3話 四十二区 -4-
ゴッフレードが怖いのか、カウンター席には誰もいなかった。
気の毒なマスターだけが逃げることも出来ずにカウンターの中で体を小さくさせている。
そんなガラガラのカウンター席へ、俺はどっかりと腰を下ろす。
「なんだ、テメェは? 俺に文句でもあんのか?」
いきなり「文句あるのか」って…………他人にクレームつけられるような生き方してる自覚はあるんだな、こいつ。
けどまぁ、俺はケンカを吹っかけに来たわけじゃない。
俺は、商談をしに来たのだ。
「賭けをしないか?」
「賭けだと?」
「あぁ。俺があんたを一発で……『たったの一発で』KOできるかどうか」
「がっはっはっはっ! そんなモヤシみてぇな腕で俺をKOするだぁ!? 冗談も休み休み言え! そんなもん、賭けにもなりゃしねぇよ!」
ゴッフレードは大口を開けて大笑いをした。
ふむ。掴みはいい感じっぽいな。
「賭けにならない、か…………そいつはどうかな?」
「あん?」
「やってみなくちゃ分かんないだろ、何事も」
そう言って、カウンターの上に1万Rbを叩きつけるように置く。
「自信がないなら、下りたっていいぜ」
「……ガキが…………」
俺の出した1万Rbの上に、ゴッフレードは、カウンターに恨みでもあるのかというような強さで1万Rbを叩きつけた。
「上等だ。思いっきりかかってこいよ」
顔、怖ぇ~!
こいつ、条件反射で反撃とかしてこねぇだろうな?
「じゃ、行くぜ」
あまり長時間見ているとチビりそうなので、さっさと済ませることにする。
俺は右腕を大きく振りかぶり、渾身の右ストレートをゴッフレードの頬に打ち込んだ。
――ぺち。
音とも呼べない、軽ぅ~~~~~~い衝突音が鳴る。
…………いっっっっっったぁいっ!
腕がっ! 指の付け根が骨折した! したに違いない!
マジ痛い! 泣きたい!
一方のゴッフレードはというと…………俺のパンチがあまりにもしょぼ過ぎたせいか、目を真ん丸に見開いて驚いていた。
「…………ふっ、噂通り、なかなかやるな。勝負はあんたの勝ちだ」
それだけ言って、俺は颯爽とカウンターを離れた。
これ以上話すことは何もない。なら、さっさと離れてしまいたい。
だって、あいつ顔が怖いんだもん。
きっとゴッフレードには意味が分からないだろう。
いきなり現れて1万Rbもの大金を賭けて、へなちょこパンチをして帰っていく俺の真意が。
弱そうに見えて、実は超強い。とか、想像したのかもしれない。
「この男には勝算があるに違いない」と、「そうでなければこんな無謀な勝負を挑むはずがない」と。何より、「こんなくだらないことで1万Rbを失うようなバカは存在しない」と、そう思っていたことだろう。
だが、いいのだ。
俺目線で言えば、タダで3000Rb、日本円で三万円が手に入ったのだ。丸儲けだ。
他人の十万など、いくらでもくれてやる。俺の懐は痛まんしな。
席に戻ると、微妙な顔をしたオッサンたちに迎えられた。
「おい、どういうことだよ? ゴッフレードのヤツはピンピンしてるじゃないか!?」
「は? 俺、『ゴッフレードを気絶させる』なんて、一言でも言ったか?」
俺が言ったのは『ゴッフレードの顔面を殴る』という言葉だけだ。
そうして、見事に俺は有言実行してみせた。
どこに問題がある?
コトリ……と、目の前にグラスが置かれる。
グレープフルーツジュースが並々と注がれたグラスを持ってきたのは犬耳店員だった。
「確かに、あいつの顔面を殴ったのは殴ったけどさ…………なんというか…………すごく、モヤモヤするんだけど?」
苦虫を舌の上で転がしているような微妙な顔をする犬耳店員に、俺は言ってやる。
爽やかに。
「そのモヤモヤが、君を大人にするんだよ」
すごく楽しみにしていたことが、実際体験してみるとそうでもなかった、なんてことは腐るほどにあるのだ。
そんなモヤモヤを抱いて、人は大人になっていくんだよ。
こうして、俺はフレッシュなグレープフルーツジュースを堪能し、酒場を後にした。
飯でも食いたかったのだが……ゆっくりと寛ぐような雰囲気でもなかったしな。
なんにせよ、なんとか宿代は確保できたかな。
3000Rb。初めて手に入れたこちらの世界の通貨だ。これでなんとかなるだろう。
本日、たった今から、俺の異世界ライフは始まるのだ。
うん。幸先がいい気がする。
きっと楽しいことになるぞ。
未来への希望に胸を膨らませる俺は、……大通りで思いもよらない人物に声をかけられた。
「あっ! よかった、見つかった!」
聞き覚えのある声に振り返ると…………
「……お前は…………!?」
「もう、探しちゃいましたよ、お客さん」
そこにいたのは、昨晩俺が食い逃げを敢行したおんぼろ食堂『陽だまり亭』の店員だった。
心臓が早鐘を打つ。
呼吸がおかしくなる。
ヤバい……
こいつには明確な嘘を吐いている……
そして俺は、はっきりと食い逃げを敢行した……
こいつがその気になれば、俺は…………
ゾクッ……と、寒気が背筋を駆け抜けていく…………ヤベッ、俺……
カエルにされちまうかも……?
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