3話 四十二区 -1-
夜が、こんなに恐ろしいと思ったのは初めてだった。
なにこの世界!?
夜中、マジで真っ暗なんですけど!?
月もほとんど隠れてるわ、田舎のくせに星が全然見えないわ、っていうか一晩中ずっと曇ってるし、当然のように街灯なんかないし、どの家も早々に明かりを消して漏れる光すら見当たらない。
唯一光っていたのが、猫の眼。
余計怖いわ!
「ヒィッ!?」って言ったわ!
泣きそうだったわ!
ちょっと泣いたわ!
アホでお人好しな店員に世のつらさを教示してやった後、俺は食堂を離れて寝床を探し歩いた。
コンビニや漫画喫茶みたいな店など当然なく、どこもかしこも真っ暗だった。
数字の大きい区はマジで暮らしの水準が低いらしく、宿一つない。誰も四十二区になど泊まらないのだろう。
もっとも、宿があったとしても、俺、金ないんだけどね。
そんなわけで野宿をしたのだが……闇の恐ろしさたるや…………幽霊など信じていない俺ですら恐怖にキャンタマ縮み上がったね。
いや、幽霊なんか可愛い方だ。
なにせ、ここは異世界。どんな獣が潜んでいるかもしれない。
巨大カエルだっているのだ……そんな連中が闇の中から出てきたらと思うと……いや、闇の向こうでジッとこっちを見つめていると考えただけで……縮み上がり過ぎて女の子になるかと思ったぜ。
そんなわけで、太陽が顔を覗かせた時は歓喜に震えた。
昇る太陽をずっと拝んじゃったもんな。……あぁ、田舎の爺婆が日の出を拝むのってこういう気持ちなのかぁって、しみじみ思っちゃったし。
結局一睡も出来ず、頭はガンガンするし、目はシパシパするし、足はフラフラする。
けど、この夜明かしで分かったことが二つある。
この街には獣人と獣がいる。
さっき言った、闇の中で目を光らせていた猫だが、あれは確実に猫だった。
けれど、門のところで見かけた二足歩行の猫は、おそらくネコ人族とかいう種族なのだろう。
同系統の動物で、獣人と獣がいるのだ。
人間と猿、ってのとは違う気がするのだが、線引きはどうなっているのだろうか?
仲間意識とかあるのかな?
言葉が分かったりするのだろうか?
……謎だ。
これが分かったことの一つ目。
猫と同様に鳥もまた、トリ人族(オウム人族がいたんだから鳥の中でも細かく分類されるのだろうが……)と鳥は別物なのだ。
早朝、ニワトリの鳴き声を聞き、俺は急いでそこへ駆けつけた。なんでもいいから生き物を目にして安心したかったからだ。すると、向かった先ではトリ人族が鳥の卵を拾っていた。
「食べるのか?」と問うと「もちろんよ」という答えが返ってきて、「お前も卵産むの?」と問うと平手が飛んできた。……トリ人族相手にはセクハラになるらしい。気を付けよう。
つまり何が言いたいのかというと、トリ人族が鳥を食うということだ。共食いにもならないし、そもそも嫌悪感すらないようだ。
たぶん、食肉用の鳥も飼育しているのだろう。
となれば、仲間意識はないと見ていいだろう。
……というのが、分かったことの二つ目だ。
あ、それからついでにもう一つ。
獣人族の性別は、見ただけでは分からん。
トサカとかタテガミとか、特徴的なものがあれば分かりやすいのだろうが……
まぁ、そんなわけで、ようやく昇った太陽の下、俺は早速行動を開始した。
もう二度と、あんな闇にのみ込まれるのは御免だ。震えながら夜明けを待つ時間のなんと長いことか……心がポキポキ折れまくった。
まずは宿だ! 安全な寝床を確保しなければ!
そのためにも金だ! この世界で使える金を手に入れる必要がある。
香辛料の売却は後回しでいい。どんな手段を用いてでも金を手に入れるのだ!
今日中に! 一晩以上の宿代を! なんとしてでもだっ!
というわけで、俺は四十二区の中を歩き回った。
小銭が落ちてないかと思ってね!
…………なかった。
そうだよな。
街の中の最貧民区。ここに集まるような連中が、小銭を落としたままにするわけがないよな。『小銭を拾うなら大都会』ってのが小銭ハンターの定石だ。
理想は、「小銭などしゃがんでまで拾う価値がない」と思っているような連中がいる場所だ。
ザックザク拾える。
ちなみに、祇園祭レベルの大きなお祭りがあったなら、行くべき時間は翌明朝だ。夜店が並んでいた通りには面白いほど小銭が落ちている。祭りでの買い物は小銭が大量に動くからな。落ちやすい上に、人ごみのせいでしゃがんで拾うのが躊躇われる。ないし、気付かないヤツもいる。
そこで俺は二万円弱の小銭を拾った経験がある。人生の勝者になった気分だった。
ただ気を付けなければいけないのが『同業者』だ。所謂、家がなく、ちょっとお金に困っている人々が、割とマジで殺気立ちながら小銭を探し回っているので、見つからないように気を付けなければいけない。発見されることは、即、死を意味する。
あれは、遊びでやっちゃいけない……危険な仕事なのだ。
幸いにして、この四十二区ではそんな『同業者』に出会うことはなかった。
そりゃそうだ。小銭なんか落ちてねぇんだもんな。
これだけ歩き回って成果なしか……くそ。
しかし、そのおかげで四十二区の地理はだいたい把握できた。
三十区に隣接していた湿地帯辺りが最も寂れていて、そこから四十一区に近付くにつれ活気づいてくる。住宅も増え、商店なども散見され始め、宿も発見した。
そして、四十一区との境に程近い丘の上には、すげぇデカい建物があった。
あれはたぶん四十二区を治める領主の館だろう。
その証拠に、領主の館がある付近は道も整備されており、それなりに小奇麗だった。
区の中でも格差があるのだろう。
領主は己の権力を示すように、自身の周りを飾り立てるものだ。
あの付近の街並みが、この四十二区の最高水準なのだろう。……低い。まぁまぁ見られなくはない程度だ。
あのお人好し店員がいた『陽だまり亭』という食堂は、四十二区の中でもとりわけレベルの低い地域に建っていたわけだ。
そりゃ、客も来ないわな。
四十二区の西側が湿地帯。南側には外壁があり、その向こうには森が広がっているようだ。
東側に多少栄えた地域があり、北側は湿地帯の向こうと同じく切り立った崖になっている。つまり、四十二区は西と北を崖に、南を街の外壁に囲まれた袋小路みたいな場所に作られているということになる。
……うわ~、陰気くさい立地。
とりあえず、「金が欲しけりゃ人のいる場所へ行け」の精神で、俺は栄えている東の地域へと足を運ぶ。
時刻は昼前というところか。夜明け直後から四十二区内をウロウロしていたおかげでいい感じに時間が潰せた。早朝は店も開いてなければ人もいないからな。
ようやく活気を見せ始めた街の中をブラついてみる。
まずは観察だ。
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