2話 夜、漂ってくる美味しい匂い -1-
巨大な門をくぐって入ったオールブルームという街は、呆れるくらいにデカかった。
門の前は広場になっており、そこから街の奥へ片道十二車線くらいありそうな、とにかく広い道がまっすぐ延びていた。
広場には、街の全体図を記した案内板のようなものが建てられていたのだが……一瞬目を疑った。
その案内板が正確なのだとしたら、この街は東京二十三区くらいの広さがあることになる。
東京都二十三区を高さ30メートル級の分厚い壁でぐるっと囲ったようなものだ。あり得ないだろう、これ。どんだけ労力と金と時間を使ったんだよ? それとも、魔法でぱぱっと出来ちゃうものなのか?
だいたい、外壁を持つ街なんて人口一万人程度の都市が限界だと思っていたのだが……
オールブルームの街は全部で四十二区に分けられており、街の中心部に『中央区』というものが存在している。そこから、放射状に外へ向かって二区三区と番号が振られているようだ。ちなみに、今俺がいるのは三十区らしい。三十区から四十二区が外壁沿いに存在しており、外へ通じる門は複数の区にいくつか存在している。
三十区といえばウィシャートとかいう貴族が統治しているらしいな。
そして、このだだっ広い道を進めば中央区にたどり着くらしい。各区に荷物を運ぶため、ここの道はこんなに大きいんだな。
街並みは綺麗に整理されており、レンガや石造りの家が目立つ。中に木造の建物もあるが、みすぼらしさは一切なく、むしろ木目の美しさが街の中に映える設計がされている。
モダンという言葉がピッタリくるような、活気のよさとゆとりと遊び心がうまく調和した美しい街だ。
三十区が特別なのか、他の区もこのレベルなのかは分からないが、文化レベルは割と高そうだ。飯の不味さと衣服の稚拙さから舐めてかかっていたのだが、馴染むことが出来れば快適に暮らせそうだ。
となれば、早速香辛料を換金して寝床を確保しなけりゃな。
三十区の領主に売るはずの香辛料を三十区で売り払うのはリスクが高いだろう。よし、隣の二十九区に行こう。結構歩かされそうだが、五百万円のためだと思えば、歩調も軽くなるってもんだ。
俺はスキップ混じりで二十九区を目指した。
おかしい。
この街は明らかにおかしい。
街の中を獣の顔をしたヤツが二足歩行で歩いているとか、草食系人種向けに雑草の炒め物が置いてあるとか、後ろ姿はすげぇ美女だったのに顔を見たらカタツムリだったとか、そんなことがどうでもよく思えるほどに、この街はおかしい。……いや、カタツムリ女は素で「ギャー!」って言っちゃったけども。
そんなことよりもだ!
この街では、嘘が吐けない!
マジで、吐けないのだ。
最初俺は、二十九区の食料品店で香辛料を買い取ってもらおうとした。
すると、街の中での売買にはギルドの会員証か、区の住民票が必要だと言われた。そうでなければギルドに持っていって買い取ってもらえと。冒険者や商人以外で突発的な売買をしたい者は皆、ギルドに持ち込むらしい。
だが、門の前であれだけの騒ぎを起こした曰く付きの香辛料だ。ギルドに持ち込んだ途端御用になるのは目に見えている。
そこでなんとか買い取ってもらえないかと交渉をしたのだが……おかしいんだよ、とにかく。
食料品店の店主はまず、「その香辛料はどこで手に入れたんだ?」と聞いてきた。
ノルベールが言っていた『精霊の審判』のこともある。嘘は吐かない方がいいだろうと判断して、俺はあいまいな表現を選んで答えた。
「気のいい商人から『いただいた』んだ」とな。
『いただく』には、盗んだという意味合いも含まれる。決して嘘ではない。
これでうまくいくと思ったのだが……途端に店主が鬼の形相になり俺を叱責した。
「泥棒と取引するつもりはない! 今すぐ出て行かないと自警団へ突き出すぞ!」と。
あまりの剣幕に、俺は店を飛び出した。
逃げる俺の背後から店主がしつこく「くたばれ盗っ人野郎!」なんて罵声を浴びせてくれたもんだから、二十九区で俺のことがちょっと話題になってしまったようだ。
二十九区での取引は諦めて俺は別の区へと向かった。
二十八、二十七と順に進んでいこうかと思ったのだが、この街は中央区を中心に円を描くように区画整理されているらしい。
二十九区の右隣が二十八区、その右が二十七区なのだが、二十九から二十七区までは随分と距離がある。綺麗に整理されているが故に、隣に行くには区を横断する必要があるのだ。
ならば、円の内側へ進んだ方が早く違う区へ移動できる。
一番外が三十区から四十二区。二番目が二十三区から二十九区、次が十一区から二十二区、六区から十区、二区から五区と続き、その中心部に中央区が位置している。
二十九区から見れば隣の二十八区より、内側の二十二区の方が近いのだ。
そんなわけで、俺は二十二区へと足を踏み入れる。
気分を一新して、さっさと大金をせしめてやろう。ふっふっふっ……
しかし、そこでも同じことが起こったのだ。
うまく言葉を濁したにもかかわらず「このコソ泥野郎! 手癖の悪い腕は切り落としてやるぞ!」と、鉈を振り上げた店主に追いかけ回された。
誤魔化しが通用しない。
かといってはっきり嘘を吐くと、きっと厄介なことになる……
「なんてこった……」
この街では、マジで嘘が吐けないのかよ……
おそらく『強制翻訳魔法』のせいなのだろう。
言葉を濁しても、相手にとって馴染みのある言葉に翻訳されてしまうのだ。
日本語の『私』も『俺』も『ボク』も『拙者』もみんな英語では『I』みたいなもんだ。
『いただいた』は『騙し取った』とか『盗んだ』と翻訳されるのだろう。
……厄介な街だ。
結局、五百万の価値がある香辛料を持っているにもかかわらず、俺は無一文のままだ。
日本円は正規の通貨だと説得を試みたりもしたのだが……この街ではルーベン硬貨以外は使用できないらしい。両替ギルドへ行けと言われた。……ギルドは、今は行きたくないんだっての……
しかも、盗人が街をうろついているという噂が広まり始めてしまったのだ。
こうなっては、二十二区にも長居は出来ない。さっさと退散することにする。
……が、噂の広まる速度は思っている以上に早く、比較的近くだった隣の二十一区に入った時にはすでに噂が浸透していた。慌てて十区へと避難するも、そこにもすでに噂は到達していた。
早い。早過ぎる!
おそらく、そういう情報を伝達する術が確立されているのだろう。ギルドが一枚噛んでいるのかもしれない。
ギルドというのは、いわば組合みたいなものだ。同じ業種の者が組合を作り、互いに利益が出るように融通したり情報を交換したり助け合ったりしている。その代わり、課される義務もあるのだが。例えば分担金とか、規則とかな。
なんにせよ、この付近には居づらくなってきた。
一気に遠くまで行ってみるか……中央区とか…………いや、待てよ。
俺は改めて街の中を見渡してみる。
現在いるのは十区。三十区からどんどん街の中心部へと進んできたわけだが……街並みが綺麗だ。すごく整っていると思った三十区よりも、さらに洗練されたイメージなのだ。
中央区がこの街の中心だと考えると…………数字が少ない方が位が高いのか?
三十区よりも二十区が、二十区よりも十区が、より金を持っているということなのかもしれない。
十区の道にはガス灯が建っている。
これは二十二区には見られなかったものだ。
それに、十区には劇場のような大きな建物まである。街行く人も高価そうな衣服に身を包んでいる。
俺の推測はおそらく外れてはいないだろう。
だとするならば……
逃げるなら数字の多い……四十二区辺りが最適だな。
数字が少ないほど高貴な人間が住んでいるのなら、世間の最底辺は数字の多い区に住んでいるということだ。
この街で最も数字が大きかったのは四十二区。地図上では三十区の右隣に位置する場所だな。
俺は踵を返して今来た道を引き返していった。
ほとぼりが冷めるまでは、底辺の街で息を潜めるとしよう。
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