プロローグ 四月七日 -3-

 異変を感じたのは、まず嗅覚だった。

 土の匂いがする。

 そして、腹部。……痛みがない。

 あと、背中がじんわりと温かい。……太陽?

 

「…………んんっ」

 

 変に頭が痛い。

 徹夜で無理矢理公式を詰め込んでいた時のようだ。

 

「ん、だよ…………死に損なったか?」

 

 体を起こすと、そこは平原だった。

 

「…………へ?」

 

 何もない、だだっ広い平原。

 足首ほどの長さの雑草が一面に広がっているだけの、広い広い平原。

 

 ………………静岡?

 

 いや、東京から一晩で行ける距離で、平地が多そうなイメージがあったから。

 でも、何もないしな…………群馬?

 あ、群馬県の人、ごめん。さすがにここまで何もなくはないか……

 

 意味が分からない。

 ここは……どこだ?

 

 とりあえず携帯でも見てみるか…………と、ポケットに手を伸ばして気付く。

 

 …………俺、なんでブレザー着てんの?

 俺が身に着けているのは、一度袖を通しただけの、高校のブレザーだった。

 そして……

 

「……あ」

 

 左手首には、プロミスリングが巻かれていた。

 

 なんだ?

 何事だ?

 夢か?

 ほっぺたをつねってみる。が、痛いのを嫌って手加減してしまったのか、痛いのかなんなのかよく分からない状況に陥る。

 

「……コスプレ? 俺が? そんな、安物のAVじゃあるまいし高校生コスって……」

 

 アゴを撫でてみる。……髭が、ない。つるっつるだ。

 ハッとして、ズボンの中を確認してみる………………あ、ここは、まぁ、そうだな。髭より先に生えてたもんな。おっとなぁ~、ふぅ~!

 

 なんてやってる場合じゃない!

 なんだよ、これ!?

 どういう状況だよ!? で、ここどこだよ!?

 

 思わず頭を掻き毟る。と、どこかから五百円玉が転がり落ちた。

 

「ちょっ! 待てっ!」

 

 慌てて飛びつく。

 危ねぇ~……危うく落とすところだった。

 どうも俺は小銭に対する執着心が強いようだ。

 まぁ、十中八九両親の悪癖がウツったんだろうが……

 倹約家だった両親は、とにかく小銭を大切にした。

 親方は、落ちている小銭は確実に拾うし、女将さんは十円安い大根を買うために七十分までは歩けると言っていた。

 俺もその素質をしっかり引き継いでいるようで、十億の商談をやる傍らで、スーパーのおにぎりが半額になるのを心待ちにしていたりしたものだ。定価でなんか買えるか、もったいない!

 

 なので、自分の小銭を落とすなど言語道断なのだ。しかも五百円だぞ?

 五百円あれば電車にも乗れるし飯も食える。今の俺なら起業まで持っていける。

 

「ん……?」

 

 頭に浮かんだフレーズに心当たりがあり、俺はブレザーの襟元を指でなぞる。そこには、両面テープがくっついていた。

 

「これは……」

 

 そこでようやく思い出す。

 俺は高校の入学式の日の朝、ブレザーの襟に両面テープで五百円玉を仕込んだのだ。いざという時のために。

 五百円あれば電車にも乗れるし飯も食える。何があっても対応可能というわけだ。

 

 …………ってことは、やっぱり……

 

「俺は、十六歳に戻ったのか?」

 

 四月七日は高校の入学式の日で……俺の誕生日にして、両親の命日……

 その日に、戻ったのか?

 

 そこでふと、ある考えが頭をよぎる。

 切れたプロミスリングにかけた願い。

 

『俺の間違いを…………やり直させてくれ……』

 

 その願いが、聞き入れられたのか……?

 随分処理に時間がかかるんだな、神様よ。順番待ちだったのか?

 だとしたら、あんたはこう言いたいわけだ。

 

「お前が詐欺師として生きてきた間違った二十年を、もう一度やり直せ」と。

 

 そのために、チャンスをくれたんだって、そういうことか?

 

 俺は、左手首のプロミスリングを握る。

 やり直せるのか……もう一度…………

 怒りに任せて腐った道を選んじまった俺に、今度こそ真人間としてまっとうに生きろって、そう言っているのか?

 

「俺は……神様なんかいないと思ってた。最低の時も、最悪の時も、一切手を差し伸べてくれなかったからな…………」

 

 けど、今こうして奇跡としか言えないような現象が起こった。

 死んだはずの俺が生きていて、しかも二十歳若返っている。

 

 俺が捨てちまった二十年を、やり直せと、神様が言っている……

 なら俺は、そんな神様にこう言ってやる――

 

 

「へっ! ヤなこった! ぺっぺっ! カァーッ、ペッ!」

 

 

 誰がやり直すか!

 心入れ替えると思った? 残念でしたぁ!

 二十年間どっぷり汚れた心だ、こんなちょこっといい話風の奇跡ごときで清らかになるかボケェ!

 遅いんじゃい、だいたいが!

 そもそも、やり直すんなら両親が死ぬ前だろう、常識的に考えて! 空気読めや、アホンダラァ!

 

 こういう奇跡を起こせば、人間は心を入れ替えると思ったか? そう信じていたか?

 騙されてやんのー! プププッ!

 

「神よ、偉人の言葉を貴様にくれてやるぜ。『騙される方が、バカなんだよ』」

 

 人差し指と中指を揃えて伸ばし、額から天に向かってクイッと弾いてみせる。

 ビシッと決まったところで、俺は歩き始める。

 

 なんだか知らんが、折角助かった命だ。

 おまけに若返っているらしい。

 ならばもう一度、今度こそは人生というヤツを謳歌してやろうじゃねぇか!

 器用な手先と、頭脳と、嘘を武器にしてな。

 

 復讐を果たしたことで俺の内に渦巻いていた負の感情はきれいさっぱり清算され、なんだか前向きに生きられそうな気がする。

 そうだ、この一歩は新たな人生への第一歩なのだ!

 力強く大地を踏みしめ、向かうは輝かしい俺の未来だ! ただひたすら前へ!

 

 と、歩き始めて気が付く。

 

「…………で、ここどこだよ?」

 

 見渡す限り、何もない平原。

 どこを目指して歩けばいいのか、歩いてどこかにたどり着けるのかすら分からない……

 水も食料も持っていない。

 あれぇ……これってもしかして、絶体絶命の大ピンチ?

 

「あのぉ……」

 

 俺は、先ほどクールに挑発した天を再び仰ぎ見る。

 無意識のうちに揉み手をしていた。

 

「今一度、奇跡的なこととか……起こりませんかねぇ、神様ぁ~?」

 

 しかし、返事はなかった。

 やっぱりこの世に神なんていないんだなと悟った、よく晴れた午後だった。

 

 

 

 

 

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