プロローグ 四月七日 -2-

 意味が分からなかった……

 

 目の前のソレが、一体なんなのか……まるで理解できなかった。

 

 ただ、女将さんが懐に忍ばせていた下手くそなクレヨン画が、俺がここに来て初めての母の日に、女将さんにあげた女将さんの似顔絵だということはすぐに分かった。

 ……バカじゃねぇの?

 そんなもん抱いてたって……あの世に持っていけるわけねぇだろが。

 

 

 両親の部屋には手紙が遺されていて、バカな俺はそこで初めてすべてを知った。

 詐欺に引っかかっていたこと。

 貯金も家も工場も、みんな奪われてしまったこと。

 俺の知らなかった事実が、見慣れた親方の文字で綴られていた。

 そして、『申し訳ない』と……

 そこから先は、女将さんの優しい文字で俺を引き取ってからのことが綴られていた。

『子供が出来ないと言われ諦めかけていた時、俺を引き取ることになった』と。

 そして、親方と女将さんの文字が交互に、いつもみたいに、みんなで会話している時みたいに、とりとめのないことがたくさん書かれていた。

 物作りに必要なのは心だとか、河原の桜は今年も綺麗だとか、この時期のアユは美味いとか、どうでもいい……けど、普段通りの言葉が並んでいて……そして、後半はただひたすらに息子自慢が続いていた。惜しみなく、俺への思いが書き綴られていた。

『お前を愛していた』と。『かけがえのない宝物だ』と。『誰がなんと言おうが、お前はワシらの自慢の息子だ』と……

 最後の一枚は、俺のこれからの話だった。

『学費のことは心配するな』と……『二人とも保険に入っているから』と……『十年も前から入り続けているところだから、きっと保険は下りると思う』と…………

 

『どうか、幸せになってほしい』と…………

 

 バカヤロウ……

 

 何が、『いつまでもお前と共にいるからな』だ……

 

 

 真面目さと正直さくらいしか、取り得がなかったくせに。

 騙すより、騙される方がいいだなんて言っていたくせに……

 

 最後の最後に大嘘吐きやがってっ!

 

 

 堪らずに両腕を振り上げてテーブルを強打した。

 その時……ずっとつけていたプロミスリングが切れた。

 あっけなく腕から落ち、テーブルの上に転がるプロミスリング。

 切れると願いが叶うというのなら、今すぐ返せよ。

 俺の大切なものを全部返してくれ!

 勉強している間に壊れちまった、気付かないうちに遠くへ行っちまった、俺のいないところで全部終わっちまった……日常を、返してくれ……もう一回、やり直させてくれ……今度は、間違えないから…………

 

 

「俺の間違いを…………やり直させてくれ……」

 

 

 静まり返る家の中で、俺の声に応える者は誰もいなかった。

 

 その時俺は悟ったのだ。

 

 

『騙されるヤツがバカなんだ』と――

 

 

「大丈夫」

「心配いらない」

 そんな言葉に騙された俺が、バカなんだ……

 

 高校はその日に辞めた。

 真面目に通うと思ったか? ふん、騙されたな、バカめ。

 本当は、高校なんか行く気もなかったのさ。

 

 俺は就職するぜ。

 夢もあるんだ。

 聞きたいか? なぁ、『お父さん』『お母さん』……

 

 

 俺な、詐欺師になるよ。

 で、こんなふざけたことをしやがったヤツを地獄に突き落としてやる。

 

 

 そこからの記憶はあまりはっきりしていない。

 

 気が付けば俺は、三十五歳になっていた。

 そして、一つの大きな組織を壊滅させていた。

 

 両親の工場を、命を……俺のすべてを奪ったあの詐欺組織を、俺は詐欺にかけ返してやったのだ。

 

 奪うことと奪われることにだけ敏感だったヤツらは、もらうことには無頓着だった。

 自分に迎合し、諂い、様々な物を献上してくる手下が大好きだった。

 だから俺は、それを演じた。

 ヤツらの懐に忍び込み、ヤツらのすべてを……うっかり落としてやったのだ。

 財産を恵まれない国への募金箱に。

 情報をネットの大海原に。

 そしてヤツらの信用を、地の底にまで叩き落としてやった。

 

 俺には一円も入ってこない。

 それが、ヤツらの油断を誘えたのだろう。

 俺はお前らの稼いだ金など欲しくはない。ただ、お前らが持ってさえいなければそれで満足なのだ。

 

 

 その年、大きなニュースが二つ、日本中を駆け巡った。

 

 一大詐欺組織の摘発・解体。

 そして、その組織のトップが護送中に脱走し、失踪。

 

 詐欺組織のトップはいまだ潜んでいた協力者の手を借り逃亡した。そして、とある廃ビルの四階へとやって来たのだ。

 俺が隠れ家にしている、この場所に。

 

 髪を乱し、無精髭を汚らしく生やし、服も顔もボロボロで、組織を牛耳っていた面影など一切なくしたソイツは、血走った目で俺に恨み節をぶちまけた。

 それがおかしくて、俺はただただ笑った。

 笑って笑って……そして刺された。

 小さな、しょっぼい、くだらねぇ刃物で。

 カボチャすら切るのに手間取りそうな、安物のナイフで、俺の腹は抉られた。

 

「お前がっ! お前が全部悪いんだぁああぎゃひゃひゃひゃひゃひゃぁあああああっ!」

 

 ブタが鳴いているのかと錯覚した。

 醜い声だ。

 落下した携帯のディスプレイに『 4月7日 』と表示されていた。

 

 最低の誕生日、おめでとう……俺。

 

 そうして、俺の意識はようやく、途切れた。

 

 

 

 

 

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