島の風

@asarose617

第1話 大学生活

東京の郊外に生まれ育った私が、苦手な事がある。

自己紹介で「東京出身」と話すと、多くの人が東京人か!という色眼鏡で見てくる事だ。

私の生まれ育った地域は田舎と変わらない所だ。

ご近所の動向が分かってしまうぐらい近しい関係性にある、面倒くささが残る町だ。

小さい頃は田んぼや梨畑に囲まれて、自然の中で育った。

地方出身者以上に、田舎で育ったと言えるぐらいだ。

電車で30分ちょっとで都会には出れるが、コンクリートジャングルの中で目紛しく人が動く姿が本当に苦手だった。都内に出ると気持ちが悪くなってしまう。

そんな幼少期を送って来た事を知らない、初対面の人への自己紹介での反応がとても怖いのだ。何度か一生懸命反論したこともあるが、みなウザそうな顔をむけて来るのだ。

人の思い込みとは本当に怖い。


大学の入学式でも同じ事があった。

皆んな都会に憧れて東京の大学に来るのだ。

生まれながらにして東京に住んでいる人には、一種の苛立ちを感じている。

高い家賃や交通費を出してまでやって来た学生にとって、自宅からお金を然程かけずに通って来る東京の学生は目の敵なのだろう。

自然と同郷の人たちのかたまりができていた。



焦った私が声を掛けたのは、お洒落な男の子だった。

この子は東京出身だろうと感じて声をかけたのだ。

彼との会話の中で故郷の話は出なかったし、自分の事も聞かれなかった。

やっぱりこの人は東京出身だと思っていた頃、訛りの強い学生が1人近づいてきた。

3人で話しているうちに彼らは、都内にある地方出身の学生向けのシェアハウスに住んでいる事がわかった。訛りの強い彼は秋田出身。お洒落な彼は実は四国出身だった。

驚く私に彼は不思議そうな顔をむけて来た。

自分が今まで思っていた地方出身者の私への目が怖いという事を伝えると、2人は大きな声で笑った。「確かにそうだな。だって羨ましいんだよ。大学に通うための費用は一緒なのに、地方出身者は更ににそこに移住費がかかるんだから。でも考えすぎだよ。」という。

負に落ちないという顔で彼を見ていると、「うどん食うか。」と笑って言われた。

秋田君も「まじで上手いぞ。こいつのうどん。」と言う。


なぜか初対面の彼らの住むシェアハウスに行く事になった。

大きなキッチンは自由に使える様だ。リビングにも若者がチラホラいた。

大きなマンションの様な外観の中に、大きなキッチンとお洒落なリビングがある不思議な所だった。手慣れた仕草であっという間に茹でて出してくれたうどんは、本当に美味しかった。驚く私に、秋田君が「だべ。」と誇らしげに言った。「貴方の故郷じゃないでしょ。」と聞く私に、笑いながら「俺の故郷とは日本だ。」と一際大きな声で言った。

心の中で「確かに」と思ったが、悔しいので声には出さなかった。

このシェアハウスの人達は皆仲良しで、お互いに故郷のものを勧めあっていた。

私の知らない世界だ。

こんな世界があるのか。羨ましい。

その気持ちを感じ取ったのか、「いつでも来いよ」と彼が優しい笑顔を向けてくれた。

秋田君の部屋に3人で行き、ゆっくりと話しをした。

秋田君の部屋はお洒落なマンションの部屋が、装飾だけで古民家風になっている様な異様な空間だった。しかも彼はこれが自慢らしい。あだ名は「きり」。

此処に来た初日にきりたんぽ鍋を手作りし、皆んなに振る舞いながらきりたんぽ鍋について熱弁したらしい。それであだ名が「きり」になった様だ。陽気な人だ。

四国出身としか言わない彼のあだ名は「しま」だった。きりたんぽの様な理由があるのだろうと思い聞いたが、答えてくれない。後できりがそっと教えてくれた。彼の故郷は香川県にある小豆島で、皆んなに「しま」と名付けられたそうだ。この地方出身者が集まる場所でも島出身者は中々珍しい様だ。彼から故郷の話を聞いたのは、それから大分経ってからだった。

話したくない理由があるのだろう。私も自分からは聞かなかった。

その日自宅に帰る私にきりが「今度はあやかの家に行きたい」と言って来た。

「今度ね」と答えたが、いつになるだろうか。



この日から学校での殆どの時間をこの2人と過ごした。

気をつかわなくても良い、サバサバした関係性が楽だったからだ。

彼らがバイトの無い時にはシェアハウスに行って一緒に食事を食べた。

此処では彼らだけでは無く、色々な大学に通う色々な価値観を持ったひとが居て、それらの人達とも関わった。時には難しい話題で討論が始まることも。この討論が終わると皆満足そうな顔で部屋に戻って行くのだ。不思議に思っていると、「レポートに今の討論で出た話しを纏めて書くのさ」ときりが冷めた目で言った。「自分の意見じゃない物を良く、恥ずかしげもなく書けるよな。俺は嫌だ。」と怒っていた。

実はきりはウチの学校に奨学金の招待生として来ている秀才なんだよとしまが呟く。「こんなふざけた人が!」と驚く私に「俺は東大に現役で入れるだろうと言われた秋田の神童だぞ。でも残りの兄弟達が大学まで学べる様に、招待生を選んだんだよ。」とまるでラップでも歌っている様に言った。その姿からは本当に信じられない。



食事後はきりの部屋で話しをするのが習慣になっていた。しまの部屋にも行きたいと言っても、上手くかわされてしまう。きりが急に私の地元について調べ始めた。

梨が名産だと知ると、梨狩りがしたいと農園を調べ始めた。遊園地があるのに気付くと「行きたい」と言い出し、ヤフオクで株主優待券を3人分買ってしまった。

なんていうバイタリティーだと唖然としていると、しまに「口からよだれが出てるぞ。」と言われた。慌ててハンカチで拭くと、2人で床に転がって笑っていた。

目にうっすら涙を溜めながらお腹を抑えて「嘘だよ」と呟く。

騙された!と怒ってみても、2人の笑いはおさまらなかった。

日曜日に遊園地に行く約束をして、家に帰る事にした。

駅までの数分をしまと共に歩いた。

買いたい物があると一緒に出て来たしまの優しい気遣いに気づいたのは、何度目かの事だった。オープンマインドの様で、何処か秘密主義な彼の本心が何処にあるのかは分からない。

でもこの優しさに触れる度に、私は少しずつ彼に惹かれていった。

駅に着く少し前に彼の携帯が鳴った。短い着信音だったから、メールだろう。

私と別れてから意を決した様に覗いた携帯の画面を、切なそうに見つめている。

何かがあったのだと感じるには十分な彼の表情だった。

それから2日間彼は大学に来なかった。

きりに様子を尋ねると、具合が悪いと言っているらしい。

私が心配している事が分かったのか、しまの部屋にお見舞いに行こうと誘われた。

先日の様子も気になったが、彼の確信に触れる事が出来るのではないかと思い一緒にしまの部屋に向かった。



ドアをノックしても返事は無い。きりが凄い勢いで何度も叩くと微かに「うるさいな」という声が聞こえて、ドアが開いた。何も無い殺風景な部屋がそこにはあった。きりの部屋の様な装飾もなければ、物が見当たらない。机の上に学校で必要な本や文房具が置いてあるだけだった。何も無い部屋が、この人の心の中なのでは無いかと心配になる程だった。

本当に具合が悪いらしい。買ってきたポカリスエットやゼリーをしんどそうに食べ終わると、ベットに横になった。「薬は飲んだのか?」と聞くきりに、首を振って答えていた。

「じゃあ買って来るは」ときりが何時もの勢いで出て行ってしまった。私はどうすればいい?と聞く前に。扉をじっと見つめていると、「ああしんどい」としまが言った。

「大丈夫?」と心配して聞くと「弱ってる時のきり程うざいものは無いな。」と呟いた。

私は思わず笑ってしまった。「お前も同罪だぞ」と彼も笑った。

きりが帰るまでの間、2人は殆ど話さず過ごした。彼の大きな手が私の手を探し出し握って来た。具合が悪い時には、誰かに甘えたいのだろうと思いその手を両手で包み返すと、しまが私の顔を驚いた顔で見つめ返した。

見つめ合っていると、急にしまが私を抱き寄せた。ドキドキが止まらず息をする事も忘れていた私に、彼は優しくキスをした。息が苦しい。彼の唇が離れた瞬間に、私は「ぷはっ」と声を上げた。彼が大きな声で笑った。「初めてなんだもん」と呟いた私をもう一度抱き寄せて「お前、可愛いな」と言った。耳元で囁かれたその声に心がとろけた。

私は声フェチだったのか。心の中でふと思った。

高校生の頃、周りの恋話についていけなかった私。みんなには「あやかはおこちゃまだから」と呆れられていた。その頃良く匂いフェチや筋肉フェチ等良く分からない単語を、皆んなが話していたのを思い出したのだ。そうかこれがフェチか。


きりが戻って来た時に言った一言は「なんだまとまったのか」だった。

日曜日の遊園地も私達をくっつける為の作戦だったときりが言った。

「お前が居たらまとまるものもまとまらないよ」と呆れて呟くしまに、きりが遊園地のチケットを手渡した。「お祝いだ。2人で行ってこい。」と。きりの手にあったもう一枚のチケットの行方が気になって聞いてみると、明日金券ショップに持っていくという。

何処までもバイタリティがある。部屋を出て行こうとしたきりが振り向いて言った。「梨狩りは俺も行くから。」と。扉が閉まって見えなくなった瞬間、2人で顔を見合って大笑いした。



それから大学でも、プライベートの時間もしまと過ごす事が増えていった。彼は思った以上に甘えん坊で、独占欲も強かった。私を片時も離したくない様だ。きりでさえ、話すのを嫌がるほど。あいにく私は社交的ではなく、彼の希望にしっかり応える事が出来た。

でも彼の確信には触れられていないと感じた。

彼は時々やってくるメールを辛そうな顔で見つめる事もあった。

彼には何か話せない秘密があると、確信したのは付き合い始めて直ぐだった。

彼は女性の扱い方が上手かった。私は初めての恋愛に戸惑う事も多かったが、彼がいつも的確なリードをしてくれたから、そう感じたのだ。

初めて彼と夜を共にした時も、完璧なリードで私を優しく丁寧に扱ってくれた。

緊張で体が強張る私が少しでもリラックス出来る様に、私の大好きな声で笑わせてくれた。

彼を受け入れる事が出来た時には、本当に幸せを感じた。私は心身共に彼の物になったのだ。

でも彼は私だけの物では無かった。彼の心の中には誰か別の人が住んでいた。

出くわす事は無いだろうが、いつも何処か不安に感じていた。

この不安を彼にぶつけたのは、2人が付き合って3年が過ぎた頃だった。

相変わらず彼は私に独占欲をぶつけて来る。彼のお陰で少しは人付き合いも上手になって来た頃、女友達に旅行に誘われた。春休みを利用して沖縄に行こうという計画だった。

私は本当に嬉しくて彼にも報告した。それなのに彼は「だめだ。女友達だけで旅行なんて危ない。」と。国内での旅行だ。しっかりと旅行会社を通して予約もしている。危ない事は無いと反論した私を、ベットに捻じ伏せ今までした事のない様な乱暴な抱き方で私を抱いた。私は抵抗したが、敵わなかった。全てが終わった後泣いていた私を、そっと抱きしめてくれたがもう遅い。私は彼を睨みつけて、彼の部屋を後にした。

数日間彼からの電話にも出ず、メールも返さなかった。真面目な私は大学を休む事が出来ず、大学では顔を合わせていたが壮大に無視をした。この様子を見ていたきりが心配と好奇心から声をかけてきた。旅行に行くなと言われたことを怒っているとだけ伝えた。



彼を説得したから、話しをしてあげて欲しいと言われシェアハウスに向かった。

彼の部屋で3人が向き合った。私は自分の気持ちを全て伝えた。

彼はそれでも嫌だという。きりは中立に立とうとしていたが、なぜそんなに彼が嫌がるのか理解が出来ず困惑していた。きりに部屋を出て欲しいと伝えると、少し悲しそうに出て行った。私は彼の確信に触れたいと思った。

ゆっくりと聞き出していった。



彼の両親は小豆島出身でとても仲が良かったそうだ。3人で過ごすのは本当に幸せな時間だったと記憶しているという。それが変わってしまったのは、彼が7歳になった時だった。

2人が事故で死んでしまったのだ。あっという間の数日間で、彼の人生はガラッと変わったそうだ。高松市内の親戚の家に預けられた彼は、小豆島での暮らしと全く違う環境に毎日おねしょをしていたそうだ。最初は優しさや哀れみで包んでくれていた叔母さんも、自分の気持ちが伝わらないという憤りからか少しずつ冷たくなっていったそうだ。そんな彼の救いは従姉妹のお姉さんだった。何時も側にいて優しく接してくれた。いつしか彼のおねしょを片付けるのはお姉さんの役目に変わっていった。お姉さんを煩わせてはいけないと、彼もおねしょをしなくなったらしい。本当の兄弟の様に過ごしていた様だ。

しかしお姉さんが高校生になると、毎日忙しくなっていった。10歳になった彼は自分の事は自分で出来たがやはり寂しさは募った。毎日お姉さんが帰って来る時間には家の前で待っていた。彼の姿を見て、嬉しそうに笑うお姉さんの顔が好きだったという。

次第にお姉さんの帰宅時間がどんどん遅くなっていった。お姉さんが少しずつ変わっていく様子も分かった様だ。ある日帰って来たお姉さんの横には、見知らぬお兄さんがいた。

その姿を見て彼は嫉妬というものを初めて感じたらしい。

彼はお姉さんに恋していると初めて自覚したそうだ。

初恋は早々に玉砕したのだ。でも彼はめげなかった。弟の様な立場を利用し続けたらしい。

自分が15歳になった頃、お姉さんは21歳になっていた。地元の大学に通い、地元の市役所に勤める事が決まっていたが、実はもう一つ決まっていた事があった。

あの彼との結婚だった。彼は地元の名士の息子で、彼との結婚を叔父夫婦は本当に喜んだ。「でかしたぞ、我が娘」と笑って喜ぶ叔父に「彼が名士の息子じゃなくても私は結婚したは」と少し怒った顔で言ったお姉さんの顔は綺麗だったと言う。

僕はいつまで経っても弟なのだと理解させられた瞬間だったという。



そうか彼の心の中にいたのはこの人だったのか。理解した。

あのメールは姉から弟に送られる残酷な近況メールなのだ。結婚相手に良く似た甥っ子の写真が送られてくるとか。

切ないが、この関係を崩すのも嫌だと未だに気持ちを伝えて無いとか。

その話に苛立ちを覚えたのは言うまでも無い。

彼は戦わずして、その気持ちを持ち続けているのだ。

全てお姉さんにぶつけるべきだと言った私に、切ない笑い顔で「何の為に」と彼が言った。

「自分の気持ちに区切りをつけるためよ。」と詰め寄ると「必要ない」と彼は言った。

彼の気持ちは痛いほど分かるが、それで束縛されるのは嫌だ。

「私は貴方から離れない。どこにも行かないから。」と彼の丸くなった背中をギュッと抱きしめた。喧嘩の後の仲直りはいつもsexだった。彼はこの方法しか知らないのだ。

その日の彼は何時もと違った。私の全てを貪る様に私を抱いた。彼は飢えているのだ。愛情に。それをぶつけられる相手を探していたのだ。表面上は紳士で落ち着いた様子を醸し出しながら、獲物を狙っていたのだ。まだ誰の物でもない、自分だけの玩具を。

そう実感した時、彼の本質を見た気がした。

彼への気持ちが冷め始めたのはこの頃だろう。

私は黙って沖縄旅行に向かった。彼からの連絡を拒否して。

私は玩具でも人形でも無いのだ。1人の人間だ。私にだって意思はある。


春休みが終わって大学が始まると、彼とも顔を合わせる様になった。

今まで通り接していたが、もうそこには彼を愛おしいと感じる感情はなかった。

そんな私の様子に気づいた彼は、とても切ない顔をしていた。

どんな時も身体を重ねさえすれば元に戻ると思っている彼は、今迄以上に私を求めた。

拒否はしなかったが、今までの様なトキメキは感じなかった。

そんな私への苛立ちからか、扱い方が乱暴になってくる。

彼に聞いた。「今までどんな女性と付き合ってきたの?」と。

彼は言う「付き合ってと言われた女性と付き合って来た」と。自分から言った事は無かったそうだ。自分に言い寄って来るのは、恋愛ゲームに手慣れた先輩や近所の主婦だった様だ。

それらの人達は彼に女性の扱い方を教えたが、安らぎはくれなかったという。

つまり彼が女性に慣れていたと感じていたのはsexだけだった。

初めて本気で付き合った私を、彼はどう繋ぎ止めていけば良いか分からなかったと言った。

切ない顔だ。ほんの少しだけ哀れみを感じた。


彼と別れようと決心した。大学に行くときりが飛んできた。「あいつ休学届出して居なくなったんだよ。シェアハウスも退出したし。どうなってるんだよ。」とすごい勢いで喋っていた。逃げたんだと理解した。私から別れを切り出されるのが嫌だったのだろう。

彼は私の前から姿を消した。

それからしばらくの間は平穏な時間が過ぎた。

彼の存在に蓋をして、毎日を過ごしていた。

人生はつながっていくのだ。


就職活動も始まった。広告会社に的を絞っていた私は、厳しい状況だったがなんとか希望の仕事が出来そうな会社に滑り込む事ができた。私達が卒業するまで彼は戻ってこなかった。

新しい人生が始まる。彼のいない。

私は切り替えられる。彼のように思いを残さずに。

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