バニシング・ソウル

おこげ

第1話


 人間はそのほとんどが多胎受精なのだという。


 だが妊娠初期の胎芽が染色体の異常や胎児循環不全(つまり血液が巧く行き届かず酸素や栄養不足に陥る)などを理由に死亡すると、胚は母胎に吸収され、結果的に子宮内にはひとつの生命だけが残るのだ。エコー写真ではそれまで胎内にいたはずの胎児があたかも消えてしまったように見えることから“バニシング”と表現されるそうだ。


 また、その消失現象の多くが妊娠の判明前に起こるため、実際には証明されていないだけですべての胎児が多胎受精だと提唱する研究者もいる――そんな事をさも常識だという風に、美玲みれいは昼休みの教室にて俺に語りだした。


 とりあえず箸で人の顔をすなと苦言してから、俺は辟易ながらに話を聞いてやることにした。


 「消失した胎児たちはただ母胎に吸収されるわけじゃない。彼らはそのあと産まれてくる胎児の人格形成に一役買っているの。着床後の彼らはどれも穿うがった性質しか持ち合わせていないけれど、感情は単一ながらも急速に成長していく」


 間引きと同じ理由だそうだ。感情機能を一点に絞ることで成長を促している。


 そしてある程度まで感情が育つと、今度は栄養という形で臍帯さいたいから残された胎児に送られるという。


 「やがて感情はひとりの胎児のなかで融け合い、統合し、人格を形成する。人間が本心とは違う行動に出たり、葛藤かっとうを生じるのは、各々の感情が心身に馴染みきれず反発するのを理性が抑え込もうとしているからなのよ」


 美玲は曇りのないまなこで断言した。


 「よくもまあ、そんな妄言を堂々と……」

 「事実よ」


 ちげーよ。それと箸で顔を指すなっての、鼻先れてっから。


 「でもその持論だと、感情ってなんだか別人みたいだな」


 栄養となった胎児たちの心が混在していると考えると、どいつもこいつも多重人格者なんじゃないかって気がした。


 「そうなの。何事に置いても組織を動かすには統括者が必要。ここでいう統括者を理性とするなら、それに従う部下たちは感情ね。心情に何かしらの変化が起こると、感情は必ず理性を介して表面化される。だけど部下だって異なる人格、常に二つ返事で言うことを聞くわけじゃない。時には理性の制止を振り切って暴走することだってあるわ」


 過度のストレスなどで抑制力が弱まると、稀に感情の力が理性を上回ることがある。その際、感情は理性を支配下に置くと心に致命的な軋轢あつれきを生み、はっきりと分離された代替人格を形成する――。


 「仮に私が自分の意にそぐわない行動を起こしたなら、それは私のなかにいる別人格が招いた事なのよ」

 「だからお前は悪くないと?」

 「そう」


 力いっぱい頷く美玲に俺は呆れて天井を仰いだ。


 もっともらしく弁舌を振るう彼女だが、先ほどからのそれは俺の昼飯を台無しにした言い訳だ。俺の足許には今、逆さまにひっくり返った弁当箱が中身を床にぶちまけて事切れている。


 ひどい話だ。昼休みは掃除と美玲の澄まし顔と弁明で終わり、結局口にしたのは彼女が情けでくれた生姜焼きだけだった。会心の出来だと得意げだったがちょっぴり鉄臭かった。


 席を立つとき、美玲は今日の内容はこれで決まりと日記を胸に抱いて喜んでいた。




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