第2話「風間さん」
僕が取り上げられたポスターの仕事は、先輩の風間さんが担当する事になった。
先輩は遊んでいるように見える。後輩には軽口を叩くし、
みんなが必死に働いているのにも関わらず、喫煙室でタバコをふかしながら
後輩たちの緩い似顔絵とか描いて爆笑している。
ディレクターが「飲みに行くぞ」と言えば真っ先に手をあげて
ついて行く腰巾着のような人だ。多分上司に取り入るのがうまいのだろう。
あんな人に自分の仕事が取られたと考えると気分が悪いが、
あのクライアントは些細な事に細かく、何かにつけて
「この書体はなんでこんなのを選んだんですか。
この色はどういう意味があるんですか。
この文章のレイアウトはどういう意図があってこうしたんですか」
などなど、文句をつけるためだけにデザインをさせているような
いやらしい客だった。
そのせいで僕はその仕事に掛り切りになってしまって
他の仕事が疎かになってしまい、今回の事態に発展したと言える。
それだけにこの面倒臭い仕事があの暇そうな先輩に回されたと聞いて
とてもいい気味だと思った。少しは仕事しろ。
しかし風間さんはまた喫煙所でタバコをふかしてのんびりしていた。
これで失敗しても風間さんは多分ディレクターのお気に入りだから
叱責されることはないのだろう。
社会的にはうまく立ち回っているのだろうから、それはそれで
すごい事なのかも知れないが、僕は風間さんを心底軽蔑している。
友人の事も相まって、これがデザイナーと呼べるのかと
憤懣やるかたない。
喫煙所で談笑している風間さんに声をかけてみた。
「おう優ちゃん。喫煙所に来るって珍しいね。お前タバコ吸ったっけ」
風間さんは僕をいつも優ちゃんと馴れ馴れしく呼ぶ。
僕はタバコを吸わないからそもそも喫煙所に入った事はなかった。
「風間さん。今日僕の仕事が風間さんに回ったって聞いたんですけど
大丈夫ですか。あそこめんどくさいですよ」そう僕がいうと
「えーまじか。めんどくさいの俺嫌いなんよねえ。でもまあ入稿日は明後日だろ。
明日に回して俺今日は帰るわ」と相変わらず緊張感のない調子で風間さんは答えた。
「え、帰るんですか。まだ7時ですよ」
「いやだって今日は9時から新しいドラマあるからさ。
とりあえずそれみた後で考えるわ」
この人テレビなんか見てるのか。
「ドラマですか。そういうのはネットで配信されるでしょ。
僕テレビとか何年も見てないですよ。つまらないし」
「へえ。テレビの仕事もやってる癖にテレビ見ないんだなお前」
風間さんが苦笑しながら答える。
「いやほら、自分は興味ないことばっかりですからね」
なぜか必死に言い訳する僕に、風間さんは笑うばかりだった。
なんでこんなヤツに言い訳しているのかも自分ではわからなかったが。
「まあそんなわけで俺もう帰るわ」風間さんはタバコを揉み消すと
さっさと退社していった。
こんな先輩がいるから、若い社員たちはみんな
深夜まで仕事する羽目になるのだろう。
とりあえずクライアントの事で注意は喚起したのだから
あとはもうどうでも良かった。
失敗してクライアントから叱責されればいいのだ。
そう思うと、僕は入稿日が待ち遠しくなってきていた。
席に戻ると同僚の一真くんがみんなの弁当を準備していた。
さっき僕が電話して数人分の注文をしていたのだ。
下っ端の雑用とは言え、こんなことまでやらされるのは
とても不快だった。
「一真くん、風間さんのチームだったよね。
風間さん帰っちゃったよ。そっちのチームの仕事大丈夫なの」
「ああ、うん大丈夫なんじゃない。風間さん帰ったんなら」
「でも今日そっちに行った仕事、洒落にならないよ。
下手したら明日帰れないんじゃないかな」僕がそういうと
一真くんは笑ってこう答えた。
「風間さんは今まで仕事落とした事ないらしいから
風間さんが大丈夫っていうなら大丈夫だよ」
「へえ。でもそれは普段そんなに忙しくないからでしょ。
あの仕事半端ないくらい修正来るから他の仕事できないくらいに
なっちゃうよ」僕がそういうと、一真くんは少し怒ったみたいで
「その言い方はおかしいんじゃないかな。
うちのチームは社内の仕事の7割以上をこなしてるんだけどな。
それで少ないって言われるような仕事はしてないんだけど」
その答えは意外だった。
どちらかと言えば風間チームはどの部署よりも早めに切り上げたり
遅くまで仕事をしているイメージはあまりなかったからだ。
「それはさ、10時出社なのをみんな9時に出社して午前中に大半の仕事を
終わらせているからだよ。この会社って遅くまで残っても残業代なんか
出ないだろ。だからみんな早く帰りたいから早く出社してるんだよ」
「早くって言っても1時間だけでしょ。僕らは夜に何時間も残業してるんだよ。
朝に1時間早く来たってそれが何になるのかな」僕は言い返した。
一真くんは困ったような顔して僕を見た。
「君らが夜3〜4時間かけてやっている仕事を僕らは朝の1時間で終わらせてるんだ。
僕らからしたら、君らがなんで遅くまで残っているのかが不思議でならない」
結局一真くんとはお互いに納得のいかないまま自分の仕事に戻る事となった。
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