蛇口の水

あん

第1話 「現実の洗礼」

「一体どうしてくれるんですかね。今更仕事が忙しくて入稿に間に合わないとか

言われてもこちらはそちらの会社を信頼してお願いしてるんですよ。

言い訳は聞きたくありません」


 クライアントはそう言って勢いよく電話を切った。

仕方がなく僕はディレクターのところに向かい、事情を説明した。


「君ね、そんな手前勝手な道理は先方には通じないのですよ。

それが出来ないならこの仕事向かないからさっさと転職すればいい。

僕らはアーティストではないんです。飽くまでも商業デザイナーなのだから

入稿に間に合わないというのはそもそもあってはならないんです。

とりあえずその仕事は別の人にやってもらいますので

手元の資料を全部揃えて持って来なさい」


 短く丁寧だが、痛烈な叱責を受けてかろうじて返事をしたが、

そもそも僕のキャパを超える仕事を渡して来たのはディレクターだ。

僕はとても釈然としなかった。


 僕は美大を出て就職したものの、つい最近までイラストをプライベートで

描いていて、ネット上ではそこそこ人気を博していた。

学生時代から絵やデザインにはそれなりに自信があったから

就職してから数ヶ月の下働きがとても億劫で仕様がなかった。


 例えばクライアントからCMのテーマやイメージが伝えられると、

CMにあう芸能人やイメージ写真をネット上や雑誌、ストックフォトから

数百枚収集し、その中からイメージを絞り込んで行くのだが、

入社して半年の間、朝から0時過ぎまでその単純作業の繰り返しなのだ。

一緒に入社した8名のうち、5人はこれに我慢できずに辞めた。

危うく僕も6人目になるところだったけれど。


 他にもプリントアウトされたポスターの分割されたものを

四方の余白を切り落とし、つなぎ合わせてポスター原寸にはり合わせるという

デザインに関係ない雑用や、画像の切り抜きを1日50枚以上やらされたり、

学生時代に憧れたデザインの仕事と現実はかけ離れていて

僕はとても気分が悪くなったものだ。


 学生時代の友達と飲みに行くと、彼は入社初日から

POPやポスターのデザインをやらせてもらっているらしく、

「来週はカラオケ店のポスターをデザインするよ。

毎日忙しくて昨日も終電ギリギリまでポスター作ってたわ」

そんな彼の能力を内心見下していた僕のプライドはとても傷ついた。


 居酒屋を出た後に二人で件のカラオケボックスに向かい、

彼の「作品」を見ることになった。


 派手な色合いと太い書体に袋文字。

ゴテゴテしたイメージに正直「ダサい・・・」と思ったが

友人の誇らしそうな態度に気圧されて

「いいなあ。俺もポスター作りたいな」とだけ言った。

自分がもしポスターを作るならこんな汚らしいデザインなど

絶対にしないと思いながら、なぜこんな下手くそなデザインが許されて

自分のデザインが世に出ていかないのかと悔しさでいっぱいだった。


「ねえ、こんな色使いって学生時代にしてたっけ。もっとなんというか

落ち着いた感じの色使いしてたよね」

少しやり返してやろうかと思い、友人にそんな質問をした。すると友人は


「お前さ、これ客がこうしろって言ったんだよ。

だからこの色合いにしてるんだよ。文句があるなら客に言えよ」

友人は少し心外そうに答えた。

「いやそれでもさ、これやり過ぎじゃないの。フチを3つもつけたら

パチンコ屋か何かみたいでゴテゴテしてないか。なんか意外だったからさ」


「あのな、この店は色々とルールがあって、この書体しか使っちゃダメとか

この色を使わないと駄目とか、こういう構図が好きとか色々あるんだよ。

構図も向こうから細かく指示がきて、それ通りに作らないと駄目なんだよ」


 それじゃお前の作品じゃないじゃないか。

客が言った通りに作るのはデザイナーの仕事じゃない。

オペレーターの仕事じゃないかよ。

それ以来僕は友人の事を更に見下す事になった。


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