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聖歴一六三〇年六月九日(皇紀八三六年雨月九日)二十時00分

ロバール川本流付近。


 手がかりを失い四日が過ぎた。

 マーリェ達委員会の者たちは決めた通り最後に放射性物質を見つけた場所で待機、サノガミとの合流を待つことにし、索敵隊は前進して捜索を続行することにしたが、結局何の成果も無くこの付近に戻り、ここを拠点に範囲を広げ探すことにした様だ。

 だったら、最初からそうすればいいのに、全くバカな男共だわ!


「お茶は如何ですか?果醤ジャム入りはこれで最後に成りますが」


 と、ズブロフが飯盒を差し出してくる。そう言えば果醤ジャムどころか茶葉も携行口糧も乏しくなってきた。物資の補給は飛行機から投下してもらえば何とかなるが、人員の疲労はいかんともしがたい。


「ありがとう」と受け取り一口すするとひとごこち着く。体はおろか髪も洗わず全員浮浪者のような成りと臭いだがもう慣れた。

 ここは立て直しが必要か?昨日からそのことばかりを考えていた。

 部下が誰何すいかする声が聞こえる。飯盒を置いて拳銃を抜き、ズブロフを伴い声の方向に向かうと、索敵隊の兵士が居た。


「哨戒中に東方人種の男を捕まえたとかで、お宅らの身内っぽいんであんた達を連れてこいと隊長が」


 離れた場所にある索敵隊の宿営地に向かうと、汚れ切った男が一人、口や頭から血を流し転がされていた。

 草の汁や泥に汚れ切った衣服を身にまとい、顔や手足は葉や棘でつけられた傷や虫刺されで酷い有様、その上索敵隊の連中から殴る蹴るされてついた痣やこぶで顔の判別が困難だったが、マーリェの姿を認めた途端、男が発した流暢なファリクス語で誰か解った。


「ど、同志チェルガノン。お久しぶりです。水、頂けませんか?」


 サノガミだ。

 マーリェは部下に水筒を持ってこさせるとサノガミに渡す様に命じる。這いつくばりながらそれを受け取り震える手で蓋を開け音を立てて飲み始める。

 気が付けばそばにゴルステスが立っており、汚物を見る目でサノガミを見下ろしていた。


「これがおめぇン所の切り札が?随分汚ねぇなぁオイ」

 

 それを無視し、ひとごこち着いたところで声を掛けた。


「ご苦労様同志サノガミ。状況を聞かせてくれる?」

 

 サノガミの報告は以下の通り。

 まずチョル・ユハン教授は生きており、ウルグゥの族長の娘と情を交わして目下匿われている。帝国の工作員はウルグゥと接触を果たし、族長に交渉を持ち掛け、教授もろとも四百人ものウルグゥ族全員を帝国に亡命させることを提案し、ウルグゥ側はその提案を飲むか否かの協議に入った。自分は協議の結果を見極める前に正体を見破られそのまま拘束。戒めの縄の何とか緩ませ解除して逃げ出すことに成功した。

 との事。


「ウルグゥの奴等と合流して以降、隊列の真ん中に置かれて目印を置いてくることは出来ませんでしたし、道のりを解らなくするために同じところをぐるぐる回ってたみたいで奴らの宿営地の場所は見当が付きません。どうもすみませんね」


「役に立たねぇ野郎だ」と聞こえるようにつぶやくゴルステス。初めて意見が一致したと思いつつマーリェは。


「それで、帝国の工作員ってどんな人物?」

「名前はオタケベ・ノ・ライドウ、階級は少佐。十二武家の筆頭アキル家に代々仕える名門武家の四男坊です。中々の切れ者みたいですが、ユハン同様鼻持ちならない階級の敵です。もう一人はシスルって娘で、戦闘民族で知られるネールワル族出です。見た目は可愛らしいですが、ケモノみたいなガキですよ」


 ライドウ。その名を聞いた時、マーリェの脳裏にポルト・ジ・ドナール空港のあの日の風景が浮かぶ。

 笹の葉の紋章の飛行船の下で、この自分に向かい中折れ帽を取り慇懃に頭を垂れたあの砂色の背広スーツの男。

 体中の血が湧きた感覚を覚え、なぜが頬が笑みに歪む。

 あの男に違いない。確証は無いがあの男だ。


「貴族のお坊ちゃんの割には味なマネしてくれるじゃねぇか!オタケベ少佐殿よぉ、こいつはたまんねぇなぁ!絶対にブチ殺してやる!」


 実に楽しそうにゴルステスは吠えると、部下に地図を持ってこさせ懐中電灯の明かりの中で開く。


「密林で四百人もの大人数を移動させるなんて非常識だわ。だけど・・・・・・。オタケベ少佐、何を考えてるの?」


 マーリェの疑問にゴルステスはせせら笑いで答えた。


「ベッピンの割には頭が悪いなあんた。人間が四百人じゃねぇ、産まれてから死ぬまで森の中をほっつい歩いて生きるサル共が四百匹だ。痕跡も残さず誰にも気付かれない様に移動するなんざ朝飯前だ。それを仕切ってんのがあのクソ野郎だとすれば、今から奴等のケツを追い回すなんざアホの極みだ」

「貴方に考えが有るなら聞かせて」


 ゴルステスは地図上のロバール川を差し、下降に向かってなぞってゆくとモワル湖の南岸。一際東西の岸が接近している個所で指を止め。


「四百人、一気に川を渡すならここしかねぇ、俺たちはここで待ち伏せる。重火器の補充を受けてガチガチの陣地を構築し、サル共を虐殺劇場にご案内だ。山ほどのサル肉をこさえてやるぜ!」


 そしてあの耳障りな哄笑。

 確かにゴルステスの作戦は合理的で理に適っている。

 しかしあの狡猾極まるオタケベ少佐の事だ。何か考えて居るかもしれない。

 サノガミを見ると、ズブロフに食べるものをねだっている所だった。ねだられた彼は渋々と野戦服の懐から乾麺麭カンパンを取り出し手渡す。

 ボリボリと無心に齧るサノガミに。


「他に何か気付いたことは無い?特にオタケベ少佐の言動とか」


 喉を詰まらせ咳ばらいを何度かした後。


「さぁ、どうでしょ?もう後をついていくのと正体がばれない様にするので必死で、気が回りませんでした」

 

 本当に、役に立たない男。

 もらった乾麺麭をすべて食べ終えた彼はマーリェに。


「今から後退して待ち伏せするんですよね。だったら私、同盟に亡命しますんで舟でローツェンブルまで送って欲しいんですけど。間諜スパイってバレちゃ帝国に戻れないでしょ?」


 使えないうえに図々しと来た。一瞬、この場で射殺して捨てて行こうとも思ったが考え直し。


「亡命申請は受理できるよう働きかけてみるわ、でも今すぐ後送しろって言うのは諦めて。武器を支給するから貴方もウルグゥと戦いなさい」

「え、そんな、大学に入ったから徴兵免除されたんで銃の扱いなんて解りませんよ」

「わが軍が誇る二十五型歩兵銃は、読み書きできない子供でも自分の年齢すら忘れた老人にも使えると評判の銃よ、大学で助手をしてるんでしょ?大丈夫、銃を前に向けて引き金を引くくらいなら考える必要も無いわ」


 そう言い捨て踵を返し自らの宿営地に戻るマーリェ達、サノガミは「ちょ、ちょっと、そんなご無体な!」と泣きながら後を追って行った。

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