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皇紀八三六年雨月一日十四時00分

ロバール川本流付近。


 ザノガミ大先生がついにバテた。

 まともに寝てなさそうだしこの暑さと湿気だしその上この荷物だ。今まで良く持ってた方だよ。

“交易路”から離れてロバール川まで先生を引きずり、そこで川の水をぶっ掛けて体を冷やし木陰で休ませる。ひとごこち着くまで二時間少し、今日は此処で野宿するしかねぇ。

 シスルはまた弓を持って狩りに出かけ、俺はまたかまど作りと副菜の採集。今日は子供の頭ほどある木の実が取れた。生のままじゃ食えないが焚火の中に突っ込んで置くといい具合に蒸し焼きに成り麺麭パンの様に食べられる。保存も効くので六つほど集めておいた。

 陽が落ちる前にシスル戻って来たが顔が浮かない。手には弓だけ、どうやら今日は坊主だったようで。


「すまない、大きな鳥を見つけて射掛けたが逃げられた。矢も無くした、散々だ」

「まぁまぁ、そういう時もあるさ、食うもんが無い訳じゃねぇしな」


 すると先生がムックリ起き出し。


「私の持ってきた食料を提供しますよ。荷物を減らしたいんでね」


 と仰せに成られた。当然、有難く頂戴致しましょ。

 てなわけで今日の晩飯は麺麭パンモドキの実と帝国軍放出品の鯨肉の甘辛煮缶。久々に文化的な食事ができぜ、先生に感謝だな。

 食後、シスルが空き缶を器用にばらし何かを作り始めた。棒手裏剣をたがね代わりに石で叩きながら缶から底辺に尻尾が着いた小さな二等辺三角形をいくつか作り出し、俺から借りた十特小刀のやすりで研ぎ澄まし、今度は出来上がったそいつをまっすぐな枝の先っぽに縛り付け、もう片方の先端には椰子の葉をばらした奴で羽を付ける。

 無くした矢の補充をしてたわけか、ナルホドネ!

 木の幹相手に試し撃ちをしてみたら、見事空き缶の矢じりは深々とぶっ刺さった。これなら人間でも倒せそうだ。

 シスルが工作にいそしんでいる間、幾分元気を取り戻した先生は荷物の整理に取り掛かった。よほど懲りたんだろな最低限の物を残し着替えなんかの明らかに不要な物は全部天幕に包んで穴を掘って埋めたようだ。おかげで背嚢は三分の一くらいの重さに収まった。

 空き缶の警報装置を仕掛け、火は灯したままでいつものようにくじ引きで順番を決めお休みの時間。今日は俺が三番目の見張り役。

 気持ちよく寝て居たら俺の肩を誰かが揺さぶる。目覚めるとどんよりとした顔のザノガミ先生。潜水夫用腕時計は夜中の二時を指している。


「交代の時間です」そういうと、先生は雨合羽を引っ被り樹の幹に身を寄りかからせた。

「眠れそうです?」俺の問いに先生は。


「なんとか、目を瞑ってるだけでも体は休まりますからね」


 と、それっきり黙ってしまう。

 俺はかまどに薪をくべた後、コンゴウ式散弾銃を手元に置いて森の奥に目を凝らし、闇に眼を鳴らしておく。

 陽が落ちて幾分ましとは言えねっとりとした密林独特の湿った温い空気がまとわりついて離れない。

 しかし、虫の声やら獣の鳴き声で夜の密林は結構にぎやかで焚火を絶やす訳には行かねぇ。

 時折嫌がらせの様にやって来る眠気をだましだましうっちゃりながら交代の時間が来るのを待つ。

 三時頃、不意に頭の上から木の葉が落ちて来た。

 風も無いのにおかしいな?と思い見上げると。煌々と輝く目玉が二つ。幅から見て人の顔ほどの大きさ。

 コンゴウ式に手を伸ばした瞬間、そいつは音も無く飛び降りて来て俺にのしかかって来た。

 強烈な獣の臭いと両肩に食い込む鋭い爪、痛いまでの獣毛の感触、大きく開かれた口には鋭い牙が二本。

 喉元に食らいつかれる前にコンゴウ式の銃身を口に突っ込む。

 鋼鉄が軋む音が聞こえ生暖かいよだれが俺の顔を汚し反吐が出そうになるほどの臭い息が吹き付けられる。

 凄まじい力だ!腕が持たねぇ!

 まだ自由な脚を動かし右膝を奴の脇目掛け何度も叩き込むがビクともしやしねぇ、引き締まり切った筋肉がまるで岩みてぇだ。


「オタケベさん!」


 ザノガミ先生が飛び起き回転式拳銃をこちらに向けている。


「撃つな!なれの腕ではライドウに当る!」


 そう叫ぶシスルはすでに弓を力いっぱい弾き絞り奴を狙っている。


「早くしてくれ!」


 弦が空気を打つ音が響き、矢じりを焚火の炎で煌めかせ、一本の線の様な航跡を描いて矢が俺にのしかかる獣の左腋に叩き込まれる。

 硬直する筋肉、明らかに命中してるが縛めはまだ解けない。間もなく二射目が放たれ最初の矢とほぼ同じ場所に突き刺さる。

 俺の腹の上で奴の拍動が一瞬強まりそして途絶える。あの強烈な目の輝きはすみやかに失せてゆき不意に縛めは解かれた。

 急に重たくなった獣の体を退かす。黒と焦げ茶の縞模様の毛皮を持つ体が力なく地面に転がる。

 立ち上がり念のためコンゴウ式散弾銃を突きつけ、銃口でつついてみるが反応は無い。

 くたばった様だ。

 今頃になってどっと冷や汗が噴き出す。三の矢を番え忍び足で俺の元に近寄るシスルがその獣見てつぶやく。


「虎か?手足が長いぞ」


 言われてみればそうだ。体の長さは150 センチほど、縞模様の体毛、ピンと尖った耳に鋭い目、短いふんはネコ科のそれだが胴の割には手足が長く、指もまるでサルか人間の様に長く己先の内側には毛が無い。

 

樹虎じゅこですよ」と先生。

 思わず「これが樹虎か」と俺もオウム返し。


 樹上生活に向くよう進化したネコ科の猛獣。木の上のサルや鳥を襲うほか、さっきの様に木から飛び降り地上の獲物に奇襲攻撃を仕掛け、大型の哺乳類までも餌にする文字通り食物連鎖の頂点に君臨する森の殺し屋だ。

 よく木の葉を落としてくれたもんだぜ、完全に奇襲されて居たら間違いなく俺はコイツのお夜食になっていただろうよ。

 弓をしまったシスルは両刃の短刀を手に樹虎の死体に歩み寄りつつ。


「肉を喰らう獣だから美味くはないだろうけど、勿体無いから食おう。それに毛皮も上等そうだ。なめす間が無いから余分な脂や肉をこそげ取って置く」


 と来たもんだ。さすが野生児だ。

 てな訳だ。樹虎さんよ、これが野生の掟だ勘弁してくれや。

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