『よう』俺が言う。

『やあ』と向こうが答える。

 ここは俺のネグラ兼事務所オフィスから歩いて数分の所にある居酒屋兼食堂。彼は俺が店に入ってゆくと、目の前に並べられた一品物のおかずを肴に、お湯割りの焼酎を呑んでいた。

『ん?あんたはやらんのか?』彼が俺に聞く。

『毎日身体がぼろきれみたいになるまで柔道の稽古に付き合わされてるんだ。願掛けみたいなものさ。今酒を入れちまったら、明日から精神こころがぐずぐずになっちまう。金のためなら少々の我慢だってしなくちゃならん』

 俺はそう答え、どんぶり一杯の飯と、煮込みとカツ皿、味噌汁を注文し、黙々と食べる。

 今は呑むより食べる方だ。

『悪いな。あんたの金で』そういいながら、彼は遠慮なく呑み続ける。

 俺の目の前にいる、ニット帽に作業用ジャンパー、古びたセーター、作業用ズボンに地下足袋、顔の半分を覆った髭面・・・・そう、”馬さん”である。

”馬さん”については度々俺の記録に出てきているが、本名不詳、年齢不詳、前歴不詳のホームレスだ。

 しかし”情報”ということにかけては彼の右に出るものはいない。

 料金は高いことを言ってくるが、それに見合うだけの仕事をしてくれる。

 だから俺も何かあると彼に依頼をするのだ。

『ほい、こいつ』

 馬さんは紙袋に入れた”何か”を差し出す。

『あんたに頼まれた”男”と”その会社”の資料だよ』

『・・・・』

 俺はいつも通り、輪ゴムで縛った札束を馬さんの前に置いた。

 彼はそれを受取ると、ジャンパーのポケットにねじ込むようにしまう。

『手間を取らせたな』

『俺にとっちゃプロテクトを破るなんてのは、障子や襖に穴をあける程度のもんだ。造作もないさ。詳細は中身を見てもらえれば分かるが、あの野郎、相当にあくどい仕事をしてるぜ・・・・それよか』

 馬さんは空になったお湯割りのコップを目の前にかざし、

『もう一杯いいだろ?』と聞いた。今日はやけに機嫌がいい。

『ああ、構わんよ。どうせ経費で落ちるんだ。』俺はそういってカツ皿を平らげ、煮込みの残りを丼の白飯に乗せてかき込む。

『助かったよ』俺は食事を終え、馬さんの分の伝票も取り上げ、レジに向かって歩いて行った。

『でも、向こうが幾ら悪党だからって、あんまり阿漕な手を使いなさんな』

 馬さんが二杯目のお湯割りを一口旨そうに呑んでから、コップを目の高さまでかざし、俺の後ろ姿に向かって声を掛けた。

『当たり前だ、俺は免許持ちの探偵だぜ』

 ポケットに手を突っ込み、店を出た。頬に出来た青タンが流石に身に沁みる。

 年だな、俺も。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 その日も、俺はいつものように龍之介の帰りを待って、校門の前に立っていた。

 何しろ大事な試合を控えた身だからな。


 今の俺は彼の稽古相手でもあり、またボディー・ガードでもあるわけだからな。

 3時かっきり、終業を知らせるチャイムが鳴り、警備員のおっさんがゲートを開く。

 すると生徒たちが固まって中から出てきた。

 しばらくすると、信玄袋に柔道着を持ち、朴歯の高下駄に擦り切れた学生服姿の龍之介が出てきた。

 

 目立つのですぐに分かる。


 俺が声を掛けようとした、正にその直前、二人組の人相の良くない男が、

『おい、あんたが鍬形龍之介か?』

 と声を掛けた。

『そうですが?』

『ちょっとツラを貸してくれないか?何、手間は取らせないからよ』

 勿論ただの男でないことは、その人相風体を見ればすぐに理解出来た。

 よく見ると、少し先に一台の黒塗りのセダンが、路肩にせって停車しているのが見えた。


『何の用だ?』

 背後から俺が呼びかける。


『なんだ?テメェは?』

 俺は毎度おなじみ、認可証ライセンスとバッジを奴らの目の前に突き付けた。

『その少年の保護者みたいなもんさ。悪いが彼は今体力づくりの真っ最中なんだ。寄り道をしてる暇はないんでね。』

『痛い目を見たくなかったら、すっこんでいるこった。おっさん』

 一人が甲高い声で俺を睨む。

 まったく、悪い奴らってのは、どうしてこう記号みたいな態度ばかり見せるのかね。

『痛い目は見たくないが、だからといってすっこんでいるわけにもゆかん』

『これでもか?』

 もう一人がポケットの中に手を突っ込む。

 俺も反射的に懐に手が彷徨った。

『どうする?』

 俺は龍之介を振り返って聞いてみた。

『僕は必要以上の暴力は嫌いです。だから話をするだけならいいでしょう』

 龍之介は静かな声で答える。

『なるほどね・・・・君がそう言うなら、俺も付き合う。じゃなけりゃ彼は連れて行かん。どうするね?』

 二人は同時に舌をならした。

『仕方がねぇ。だったらその前に獲物を出して貰おうか?』

『断る。腹をすかせた猛獣の檻に入りに行こうってのに、わざわざ丸腰で行くバカはいないだろう』

 一人が唇を曲げ、携帯を取り出し、何やら小声で話している。

 会話が終わり、

『仕方ねぇ。そのままついて来い』

 と、俺達二人をセダンに向かって案内した。


 連れてこられたのは、銀座だ。

 まあ、銀座と言っても色々ある。

 裏に入れば良からぬ場所だってあるのだ。

 その中の一角、

『磯貝興業ビル』と看板の出た黒塗りの、華やかなイメージには似つかわしくない建物に連れてこられた。


 中に入ると、エレベーターホールに待ち構えていたのは、二人組より一層”良からぬ人相風体”をした二人組だった。


『済まねぇが、懐のモノを預からせてくれ』という。

『お迎えに来たお二人さんにもいった筈だ。そいつは絶対に断る。』

『イキがるんじゃねぇ、探偵』

『イキがってるのさ、探偵だからな』

『まあいいだろう。その代わりお前さんだけはこいつを掛けさせて貰う』

 そう言って別の一人が銀色の手錠を取り出す。

『俺はSMの趣味なんかないんだが・・・・まあいいだろう。無用の喧嘩をして、警察おまわりに来られるのも面倒だしな』

 黙って手を出すと、俺の手にワッパを掛けた。

 そのままエレベーターに乗る。

 どこにも止まらず、一気に最上階まで直行だ。


 そこで待っていたのは、でっぷりと肥ったダブルの背広を着た50がらみの男と、

 もう一人は、青白い顔をして、銀縁眼鏡をかけた背の高い男だった。

 彼らは俺達をソファに座らせると、反対側に腰かける。

 

 それを合図に、目の前のテーブルに幾つかの札束と、それから何か書類のようなものを部下に置かせた。

『鍬形・・・・龍之介君だったな?私はSファイトのプロモーターをしている磯貝というものだ・・・・単刀直入に言おう。今度の大会を降りてくれんかね?そうすればこの金を、丸ごと君に差し上げよう。もう一つは三条奈津美さんから手を引く・・・・この二つを約束してほしい。どうかね?』

『お断りします』

 龍之介ははっきり答えた。

『僕は自分の為に試合に出る訳ではありません。大切な人を守りたい。その

一念だけです。それ以外の目的はないのです。金のために自分の信念を売るつもりはありませんから』

 見事じゃないか。今時の高校生の口にするような言葉じゃないな。

『しかし、Sファイトに出場する面々は、選りすぐりの猛者ばかりだ。たかが柔道だけで君が勝ち上れると思うかね?』

『勝負はやってみなければ分かりません。そのために僕は自分をいじめぬいてきました。』龍之介が毅然とした口調で答える。

『誰に頼まれたか・・・・まあ大体想像はつきますがね、その辺にしておいたら如何ですか?たかだか高校生を恐喝するなんて、あまりいい趣味とは言えませんな。』

 俺はそういうと、彼らが嵌めてくれた手錠ワッパをあっさり外して見せた。

 磯貝が驚いたように大きく口を開けた。

『探偵ってのは、このくらいの芸当が出来ないと、飯なんか喰ってゆけんよ』

 物騒な音が鳴り、幾つかの銃口がこっちに集中した。

 俺はゆっくりと懐からM1917を抜き、磯貝社長とやらの胸に銃口を向ける。

『断っておくが、俺達免許持ちの探偵は銃を持っていいことになってる。そちらさんが先に抜けば、自己防衛と依頼人を守るために容赦はしない。あんたらだって、無用な被害を出したくはないだろう?』

 

 磯貝社長は渋い面をして、部下(いや、子分と言った方がいいな)を制した。

『用件は済んだな。とんだ時間を喰っちまった。』

『おい』

 立ち上がろうとした俺たち二人に社長は目を向いて、まるで昔のギャング映画に出てきたエドワード・G・ロビンソン・・・・いや、金子信雄だな・・・・といった風情で、せいぜいドスを効かせて呼び止める。

『後で後悔するなよ。探偵』

『ご心配なく。俺達は覚悟なんざとうの昔に出来てる。ああ、ついでに言っとくが、ここまでの会話は一切合切録音させて貰ってるからな。こいつがを言うかもしれないって、あんたの後ろにいる黒幕さんに言っといてくれや』

 俺達は嫌な目線を無視して、その部屋を出た。


 ビルの外に出ると、俺は大きく伸びをした。

『流石ですね。乾さん』龍之介が感心したような声を出す。

『仕事だよ。仕事。さあ、そんなことを言ってる暇はないぜ。早く道場に戻って稽古だ。ロスした時間を取り戻さなくっちゃな』そう言って俺は彼の肩を一つ叩いた。

 


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