『suginoコーポレーション』は、六本木にあるタワービルを丸ごと占拠しているのだから、なかなかの会社であるには違いないだろうが、お世辞にもあまりいい印象を持たなかった。

 正面入り口の前には筋肉の塊のような制服姿のガードマンが二人立っていて、胡散臭そうな目つきで用件を聞いてくる。

 社長に会いに来たんだといってもなかなか信用されない。仕方がないから認可証ライセンスとバッジを見せると、渋々ながらやっと通した。

 うんざりしながらも、受付でまた同じことを繰り返す。

冷たい顔をした受付嬢がこっちを見上げ、館内電話の受話器を取り上げ、二言三言何か話してから、

『社長がお会いになるそうです。但し五分以内にお願い致します』と、顔とそっくりの尖って、冷たい返答が戻って来た。


 トップフロアのやたらに広い社長室に入ると、馬鹿でかいデスクの向こうから、中背をブルーのスーツに包んだ、あまり人相の良くない銀縁眼鏡の男が立ちあがった。

 これがこの会社の社長である、杉野秀樹氏(45)だ。

 まだ五十前だというのに、殆ど独力でITのみならず、金融、娯楽などいくつかのグループ企業を作り上げたのだから、なかなかのやり手であることに間違いはない。

 断っておくがこの場合の”やり手”というのは決して誉め言葉ではない。

 察しのいい諸君ならすぐに理解できるだろう、ましてやミステリー好きなら猶のことだ。

 法に触れん程度の”汚い手”なら幾らでも使ってきたという意味である。

 さもなけりゃ、五十少し前で、こんな馬鹿でかいビルと、自己資産だけで俺が一生遊んで暮らせるほどの金など持てる筈はない。

『探偵さんが僕に何の御用ですか?』杉野氏は俺の提示した認可証ライセンスとバッジを確認して、さも馬鹿にしたような口調で言った。

『率直にお伺いします。三条家に貴方が融通したという借金の総額はお幾らくらいなんですか?』

『それを聞いてどうなさるんです?』

『どうするかは私の依頼人が決めることです。』

 彼はふんと鼻先で笑い、

『今この場で正確な数字は申し上げられませんが、ざっと1億とちょっとですかね』

『その一億で、つまりは奈津美さんを買い取ろうという訳ですか?昔の女衒ぜげんよりもタチが悪いですな』

『何とでもおっしゃってください。私は欲しいと思ったものは何でも手に入れる主義です。勿論、法律に触れるようなことを何一つしていませんから、別に調べられても一向に構いませんけれどね。ただ奈津美さんがあくまでもプロポーズを断るなら、その代わりお貸ししたものは耳を揃えて返して頂く、そう申し上げているだけですよ。』

 な会話だろう?

 悪党なんてものは、フィクションもノンフィクションも大して変わらんものさ。

 杉野氏は横目で悪趣味な金ぴかのロレックスを見て、

『悪いですが、仕事の予定が詰まってるんでね』と、デスクのインターホンを押し、『お客様のお帰りだ』と告げた。

『格闘技がお好きなんですか?』

 俺は部屋から出る寸前、そう訊ねた。

 社長氏は俺の言葉にちょっと戸惑ったような表情を見せたが、目線の先に、

『新格闘技トーナメント・Sファイト』のポスターが貼ってあるのに気づき、

『ああ、これですか。はい、そうです。我が社の宣伝にもなるんでね。一応スポンサーになってるんです。というより、殆どの資金を私が出しているんです。それがどうかしましたか?』 

『いえ、別に、私もちょっと格闘技に目がないもんですからね。』

 俺はそう言って、入り口近くの本棚にまとめて乗せられていたチラシを一枚取り、

『こいつを貰っていきますよ』

 にやりと笑って、社長室を後にした。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 ふと、俺はあの姿三四郎君、もとい、鍬形龍之介君が気になり、彼の家まで足を運んでみる気になった。


 時計を見ると、時刻はもう既に三時半を回っていた。

 彼が通っている城南高校の前を通りかかると、既に校門は閉ざされている。

 かつての欧州に存在した独裁国家の強制収容所のような高い塀の中の校庭には、数名の生徒が部活をやっている姿は見えたものの、その中には彼はいなかった。


 どうせ俺如きを中に入れてくれるはず等ない。そう思って、彼の家に向かうことにした。

 彼の家の近くの児童公園を通りかかると、そこに龍之介がいた。

 一人ではない。

 四名程の男達、縦から見ても、横から見ても、

『不良』、或いは、

『チンピラ』、若しくは、

『与太者』、

『半グレ』

 小悪党を形容する単語がどれもぴったりくるような連中と一緒だった。

 勿論ただ一緒にいたわけではない。

彼はコンクリートの遊具に背中を向け、逃げ場を封じられるように囲まれて、罵声を浴びせられながら、攻撃を受けていた

 もっと驚いたことに、一切の抵抗を見せていなかった。

 彼は両手で覆い、少しづつ身体をずらしながら、身体に受けるダメージを分散しているのが、俺にもはっきりと分かった。

 

『おい、何をしている?』

 俺は背後から近づき、わざと声のボリュウムを上げて言った。

『何だ?てめぇ、オマワリか?』

 俺は黙って認可証ライセンスとバッジを引っ張り出して見せた。

『私立探偵だよ。たまたま通りかかっただけに過ぎん。だがな、たった一人を大勢で寄ってたかって殴る蹴るをしているのを見過ごすのは昔から好きじゃないもんでね。』

『おっさん、オマワリじゃないんなら、すっこんでてもらおうか?俺達はただ遊んでただけだからよ』

 俺は龍之介の様子を見る。

 彼は唇をちょっと切ったようで、口元に血の筋が一つ出来ていた。

『遊んだくらいで血が出るもんかね?』

『何だと、おい、ジジイ、あんたも遊んで欲しいのかよ?』

 別の奴が飛び出しナイフを出して、俺の顔の前で振った。

『ほう、そうきたか。だったら猶更引き下がるわけにはいかんな。そっちが先に武器どうぐを出したんだ。そんな時には俺達探偵だってこんな拳銃ものを使ってもいいって事くらいは知ってるよな?』

 俺はそう言ってコートと上着をまくり、左腋のホルスターをちらりと見せる。

 当り前だが、幾ら探偵だって、拳銃なんか常時吊るして歩いているわけじゃない。

 ただの偶然だよ。

 そんなことをしたら肩が凝っちまう。

 昔とは違うんだ。

 自分が若くないってことくらい、百も承知さ。

 だが、時にはハッタリのひとつも利かせてやりたくなる時もあるさ。

 チンピラ連中が唾を呑み込む音が俺の耳にも聞こえた。

 奴らは顔を見合わせ、

『おい、行こうぜ』

 誰ともなくそう言って、龍之介に、

『命拾いをしたな』

『これから暗くなるんだ。特に背中に気を付けて歩けよ。』

 なんて、脅し文句の定番を吐き捨て、足早に立ち去った。

『有難うございます』

 龍之介はそう言って俺が出してやったポケットティッシュを一枚取り、口を拭った。

『何者だね?あいつらは。』

 俺が聞くと、

『さあ、知りません。ただ、一人が”お礼参りがどうのこうの”といってましたから、先日奈津美さんを助けた時の誰かに頼まれて仕返しに来たんでしょう』

 まるで他人事のような口調でそう答えた。

『何故抵抗しなかった。まだ自己制裁が済んでいないのか?』

 俺は笑いながら訊いて、シナモンスティックを咥えた。

 彼はそれには答えず、腰に挿していた手ぬぐいを引き抜いて服と

ズボンをはたいた。

『”如何に正義の道とはいえど、身に降る火の粉は払わなにゃならぬ・・・・”。』

 俺が歌ってみせると、彼は怪訝

な顔をしてこっちを見た。

『”柔道一代”村田英雄だよ。君ほどのアナクロ人間が知らん筈はなかろう?』

『そんなに格好のいいもんじゃありません。ただ必要のない喧嘩が嫌いなだけです』

 ぶっきらぼうな口調で答えると、俺に向かって頭を下げ、近くに置いていた信玄袋と柔道着を取り上げ、下駄を履きなおすと、ゆっくり歩き出そうとした。

『ちょっと待ってくれ。今日は又君に話があるんだ。出来れば茶の一杯でもご馳走してくれると、猶更有難いんだがね』

 彼は”分かりました”そう答え、俺を自分の家まで案内してくれた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る