伍
さて、その後の話だ。
三条奈津美はあの後再び俺の
(勿論俺が結果報告をするために電話をかけたからなんだが)、
彼女は期待と不安をそれぞれ半分づつ携えたような顔で、ソファに俺と向かい合って座った。
俺は報告書を渡し、結果的に彼が会うことを承知してくれたのを伝えた。
鍬形龍之介は現在城南高校の二年生である。再来年に卒業後は柔道整復師を養成する専門学校に通い、資格を取って家の跡を継ぐつもりでいるという。
彼は現在柔道弐段(講道館柔道には年齢制限があって、参段になるには十八歳以上と決められている)だが、実力的には既に参段、四段クラスとも互角以上の試合が出来るし、全日本選手権に出場してもベスト8くらいまではいけるんじゃないかと
の噂もあるくらいだ。
そのせいか、あちこちの大学等からスポーツ推薦での進学を求める声がひきもきらないらしく(柔道部がないのに意外なことだ)、『君なら絶対にオリンピックに出られる』なんて声もあったそうだが、彼はそのつもりはまったくないという。
『自分は金メダルにもオリンピックにも興味がありませんから』それが彼の答えだった。
『・・・・素晴らしいわ』
俺の差し出した報告書を読み終え、奈津美はうっとりしたような声で答えた。
『あの年齢でこれだけしっかりした考えを持っているなんて、』
俺は苦笑し、口に含んだコーヒーを吹き出しそうになった。
大学を卒業しようという女性が、年下の、それも高校生に対して、こんなに熱っぽく、キラキラした目で憧れるなんて、滅多に見たことがなかったからな。
『有難うございました。乾さん。これ、
『おいおい、既定の料金だけで構わんよ。こんな仕事、それほど大したもんじゃない』
『いえ、どうしても受け取って貰いたいんです』
実に真剣な眼差しだ。流石の俺もちょっと気が咎める。今回は本当に、それほど大した仕事はしちゃいないんだからな。
『そうか・・・・じゃ、仕方がない。有難く貰っておくよ。これが領収書だ。
鍬形の家の住所と電話番号はそこに記してある。じゃ、上手くやれよ』
彼女は何度も頭を下げ、俺が渡した報告書をバッグに入れ、大事そうに抱えて帰っていった。
当然だが、その後彼女が鍬形家に電話をし、龍之介と会い、礼と共に”世紀の告白”をした。
彼は最初は戸惑っていたものの、
”僕のような若輩者でよければ、友達からということなら”と、これまた妙に時代離れした言葉で頭を下げたという。
つまりは奈津美にとって”年下の恋人”となったわけである。
さて、本来ならここで仕事は終わり、二人は結ばれて(嫌らしい意味ではないぜ。あくまでも!)めでたしめでたし・・・・といいたいところだが、そうならないのが、俺の記録の面白いところだ。
読んでくれてる諸君らだって、それじゃあまりにも詰まらんだろ?
”せめてもう一波乱か二波乱あってもいいじゃないか?”
誰もがそう考える。
もっともだ。
今回の一件も、当然これから先がある。
まあ、暇があったら読んでくれ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
”切れ者マリー”から相談を持ち掛けられたのは、それから二週間ほど後の事だった。
何と、彼女の方からわざわざ俺の
『珍しいな。あんたが
だが、彼女は俺の冗談口にも反応せず、ソファに座り込んでシガリロに火を点けると、大きくため息をついた。
『どうした?また愛しのベルと喧嘩でもしたのか?』
何も答えず、足を組んで盛んに煙を吐き出す。
『ちょっと相談に乗ってくれない?この間の奈津美・・・・三条奈津美のことなんだけど』
『何だね?あの柔道少年の家族と揉めでもしたのか?まさか妙な関係になっちまったとかいうんじゃ・・・』
大学卒業間際、しかも教師になろうとしている女性が、まだ高校生に手を出したとあっては一大事である。下手をすれば淫行罪でひっくくられることにもなりかねない。
アメリカ辺りじゃ、女教師が男子生徒に手を出して縄付きになったなんて実例もあったくらいだからな。
『そんな浮かれた話じゃないわよ。実はね・・・・』
二人の交際は、あれから実に上手くいっている。
何度かデートらしきものをしたそうだが、この時代には珍しく”純情そのもの”で、美術館、動物園、科学博物館といったところに出かけるくらい。
勿論手も握らず、キスなどもっての外だという。
お互いの家にも行き来し、家族の了承も得た。連絡方法はメールのやりとり・・・・いや、驚いたことに、これもない。
何でも奈津美の方はともかく、龍之介は未だにスマホはおろか、パソコンすら持っていないと来ている。
だから、互いのやり取りはたまにかける電話か、手紙のやりとりといった、クラシックなものだという。
『もうね。傍目から見ててもじれったいくらいのものなのよ』
彼女は”でも”と言葉を切り、暫く間を開け、一本目を灰皿に押し付けると、二本目に火を点け、深く吸い込み、又ため息と共に煙を吐き出した。
『極めて深刻な問題が持ち上がってね』
『鍬形家かね?』
『違うわ。奈津美の実家、つまりは三条家なのよ』
そこでまたため息を吐く。
彼女の家は、東京郊外の、かなり大きなお屋敷である。
苗字からも想像出来る通り、戦前から続くかなりの資産家なのだという。
ところが、最近になって父親が事業に失敗し、大きな借財を抱えてしまった。
借金をしていたのは、最近のしてきた金融業も兼業している某IT企業である。
最初は借金の督促にやってきたのだが、その時向こうの社長(まだ40代半ばで独身だという)が、たまたま家に帰っていた奈津美に一目ぼれしてしまい、借金を棒引きにする代わりに・・・・という話を持ち掛けてきたのである。
『まるでベタな時代劇みたいな話だな』
俺が交ぜっ返しても、彼女は一向に困ったような表情を変えない。
『彼女の父親は、”親の借金の為に娘を人身御供に出すような、そんな理不尽な真似をするわけにはゆかない”と突っぱねたし、彼女は彼女で”私は鍬形龍之介さんという好きな人がいます”とはっきり断ったんだけれど、”それなら抵当に入っている家屋敷や会社も全て全部引き渡してもらおう”と言ってきたのよ。』
当り前の話だが、これは民事案件である。
借金をしたのは事実であるし、金利も法律に則っていて、決して不当なものではない。
それに当の社長には、今のところ警察に突かれて困るような臭いところは何一つ出てこない。
誰でも分かる通り警察には民事不介入の原則があるから、マリーが何とかしてやりたくっても何も出来ない。
『そこで探偵である貴方に何とかしてほしいって訳なのよ』
『なるほどね。借金絡みか・・・・しかし確かに俺だって探偵だ。出来る事と出来ないことはあるぜ』
『
日頃クールで通っている切れ者女史が柄にもなくセンチになっている。
俺はシナモンスティックを咥え、腕を組み、暫く考え込んだ。
まったく・・・・自分で”あの人は困ってる人間は見捨てないわ”なんて言葉を殺し文句にしてる癖に、自分が困っていちゃあ世話ない。
『まあいいだろう。どうせこっちも暇なんだ。俺だって三四郎と乙美さんには幸せになって貰いたいからな。やれるだけはやってみよう』
『分かってくれた?嬉しい。そうこなくちゃ、だから貴方って好きなのよ』
最後はほっとしたような表情になった。
『くどいようだがこれはビジネスだ。ギャラはいつもの倍だぜ?』
『オーケー、その位は覚悟してたわ』
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