第9話 明日への願い(8)

 5人は城の屋上の展望台にたどり着いた。5人は展望台から真下を見た。そこはアカザ城の最も高い場所だ。地上とは比べ物にならないほどの寒さだ。地上では体感したことのない暴風が吹き荒れていたる。周りに広がるのは、どこまでも続くような雲の海。まるで世界一高い山の頂上にたどり着いたようだ。


 サラは前を見た。太陽が沈んでいく。それはまるで消えゆく今の世界のようだった。いや、それはあってはならないことだ。世界を救って再び人間に朝日を見せたい。


 サラは下を見た。雲ばかりで何も見えないが、この下に多くの人間がいることを感じた。そう思うと、世界を救わねばならないとより強く感じた。


 その時、誰かの声が聞こえた。その声は、城の頂上の展望台の中央から聞こえた。


「ようこそ。いつ来るか楽しみにしていましたよ」


 5人は辺りを見渡した。しかし、誰もいない。


「どこだ!」


 しばらくして、誰かが蜃気楼のように姿を現した。白い忍者のような服に、白いマント。サラとマルコスとサムは、それが誰なのかわかった。10年前に敗れたロン、いや、王神龍だ。王神龍の姿は10年前と全く変わっていない。その変わらない姿は、王神龍が神のフォースを得て、永遠の命を得て、不老不死となったことを証明していた。


「王神龍!」


 サラは叫んだ。そして、10年前に敗れたことを思い出した。今日はその恨みを晴らす日だ。絶対封印して、世界を救わねば。


「ロン!」


 レミーは母のことを思い出した。母は毎年夏にロンを探していた。そしてようやく見つけた。それを早く母に伝えねば。


 それに反応して、王神龍は裁きの雷を放った。人間だった時の名前を言われたくなかった。


「黙れ! 私はロンではない。私はロンという存在を捨てた。私はやがて世界の最高神となる存在、王神龍である。私は神だ。いい加減にひざまずかんか!」


 王神龍は5人をにらみつけた。呼び捨てにした5人は許せなかった。偉大なる創造神王神龍様と言えと叫びたかった。


「いやよ! あなた、悪い神様でしょ? 悪い神様の前で、ひざまずくもんか! それに、あなたがロンだということは、みんな知っているわよ!」

「静かにしろ!」


 その時、5人の手前に雷が落ちた。裁きの雷だ。10年前同様、相変わらず強烈だったが、5人はそれで屈することはなかった。4大精霊に守られているからだ。しかし王神龍は驚かない。5人は4大精霊のオーブを手に入れたことを知っていた。裁きの雷を全く受けないことを知っていた。


「やめて!」

「やめろ!」


 5人は拳を握り締めた。世界を作り直し、人間を絶滅させようとする王神龍が許せなかった。


「何をする!」

「フッフッフ、私は世界を支配する力、神の力を手に入れた。もう誰も倒せやしない。私に勝てるものなど、この世に存在しない」


 王神龍は自信に満ちている。犬神から与えられた大いなる力で、理想の世界を作ってやると野望を抱いていた。


「あなたは人間を苦しめて、それでも人間なの?」


 サラの言葉を耳にした瞬間、王神龍は裁きの雷を放った。


「黙れ! 私はもはや人間ではない。君たちは何度言ったらわかるんだ? 私は人間の体を捨て、この世界を作り変えることのできる神となった。私は世界を支配する神の龍、王神龍である!」


 サラは拳を握り締めた。こんなことをする王神龍が許せない。


「ほほう。それではそなたに聞く。何故人間は人間と争う。何故人間は人間を苦しめる。そんな人間など、最低のカスだ。そんなこの世界の人間を滅ぼし、新しい世界を作ろうじゃないか?」


 王神龍は笑みを浮かべている。もう恐れるものはいない。王神龍には自信があった。犬神に出会い、神の力を与えられ、龍の力も与えられて、王神龍となった。


「そうはさせないぞ。みんな、『愛』を持っている!」


 サムは反論した。これまで支えてくれた人々の愛を思い出していた。今度は僕たちがその愛を見せる時だと思っていた。


「いや、人間は『愛』を持ってない! あるのは『悪』ばかりだ! 君たちにはわからないのか?」


 王神龍は怒っていた。今まで苦しめてきた人間への怒りに満ちていた。


「『悪』もあるけど、『愛』もあるわ! ちゃんとわかって!」


 レミーは母の与えた愛情を思い出した。今度は自分が愛を見せたい。


「うるさい!」


 王神龍は再び裁きの雷を落とした。しかし5人は雷をよけた。


「やめろ!」


 マルコスは拳を握り締めた。


「憎しみしか生まない人間など、この世界にはいらない。私が私を崇拝する人間だけの世界をつくろうではないか!」


 王神龍は明日、自分は世界の最高神になることを夢に見ていた。


「家族! 身内! 友達! みんな愛で生かされ、守られている。なのにどうして、人間を滅ぼそうとする?」


 サラは5人を代表して熱く語った。


「うるさい!」


 王神龍はまたしても裁きの雷を落とした。


「もう言うな! 私は人間ではない! ロンではない! 明日からこの世界を支配する神、王神龍だ!」


 王神龍は拳を握り締めた。これまでに自分を苦しめてきた人々のことを思い出すと、今でも腹が立つ。


「何を言ってるの? 人間を消さないで! 人間も大切よ!」


 サラはこの旅で会った人々のことを思い出した。この人たちのためにも、世界を救わねば。


「憎しみしか生まない人間など、ただのカスだ! 消えればいい!」


 王神龍は地上の人たちに向かって裁きの雷を放った。下の人には当たらなかったが、木が折れた。


「やめろ王神龍!」


 サムは拳を握り締めた。洗脳され、邪教の言いなりにされた。


「裏切者めが! これでも食らえ!」


 王神龍は裏切り者のサムに向かって裁きの雷を放った。だが、サムに当たらない。


「もうやめろ、人間の敵が!」


 バズは杖を振り、強烈な雷を落とした。だが、王神龍には当たらない。


「人間はこの世界の敵だ! 消えればいいのさ!」


 王神龍は不敵な笑みを浮かべた。この世界を汚れさせる人間が許せない。この世界から消え去ればいいのさ。


「そんなことはない! 人間もかけがえのない命! そんなのを消そうとするなんて、許せない!」


 サラは今までに出会った人々の想いを考えた。必ず世界を救って彼らに会うんだ!


「黙れ! 人間の味方め!」


 王神龍は裁きの雷を放った。だが、5人には当たらない。


「やめろって言ってるんだ!」


 サムは怒った。人間を苦しめ続け、消そうとする王神龍が許せなかった。


「うるさい!」


 王神龍はまたもや裁きの雷を放った。それでも5人には当たらない。


「ロン、お願い、やめて!」


 突然、後ろで女の声がした。5人は振り返った。そこにはフェネスがいる。服がボロボロで、立つのも困難そうだ。


「お母さん?」


 レミーは驚いた。まさかこんな所で再会できるとは。だが、今は再会できたと喜んでいる場合じゃない。最後の戦いのときだ。それも、人間の明日をかけた戦いだ。まだ喜べない。


「フェネス先生!」


 サラとマルコスも驚いた。こんな所で会えるなんて。


「あの時守れなくて、ごめんね」


 フェネスはいじめられていたロンを守ることができなかったことを謝った。今なら間に合う。謝れば、元の優しいロンに戻ってくれると思っていた。


「もう遅い! 一生かけても償えぬ罪だ!」


 だが、ロンは裁きの雷を放った。フェネスは大きなダメージを受けたが、何とか立ち上がった。


「そんなことをする神なんて、許せない!」


 マルコスは拳を握り締めた。今すぐあいつをぶん殴りたい。


「あなたはどうしてこんなにも人間を憎むの?」


 サラの問いかけに、すると、王神龍は表情を変えた。


「私はかつて人間だった。私は楽しい一家団欒を夢に見ていた。家族愛に包まれていきたかった。しかし私は愛に包まれなかった。生まれてすぐ両親は離婚した。私はアルコール中速の父と暮らした。毎日酒を飲み、暴力をふるう父が嫌いだった。学校では父に殴られたあざのことでいじめにあった。地獄のような日々だった。その時私は思った。人間が憎い。いつかすべての人間を苦しめたい。大学生になって、経済学を学んでいる時も、そんな気持ちでいっぱいだった」


 王神龍は拳を握り締めていた。忘れたくても忘れられないつらい思い出であり、それが自分を動かす力だった。




 ロンの人生は全くと言っていいほど幸せではなかった。


 ロンはメンス家の長男として生まれた。兄弟姉妹がいなかった。


 ロンは母親にあやしてもらった記憶がない。ロンが生まれた直後、両親が養育費でもめて、離婚したからだ。あやしてもらったのはロンが物心つく前のことだ。両親が離婚してから、ロンは父との2人暮らしだった。


 父は全く働かなかった。職業訓練校に通わなかった。職業安定所に行かなかった。そのため、全く金がたまらなかった。借金がたまるばかりだった。


 そんな父は毎日パチンコ屋に行っていた。父はパチンコ屋で10時間近く打ち続けたこともあった。しかし、お金がたまることは全くなかった。


 父は酒癖が悪く、家ではロンにたびたび暴力をふるっていた。そのため、ロンの顔はあざだらけだった。


 ロンは6歳の春に小学校に入学したころからいじめられていた。それはどれもひどい内容だった。直や細かくちぎった消しゴムを授業中に投げつけられた。授業中、教科書やノートで頭を叩かれた。トイレに行くと、頭上から大量の水をかけられた。自分の机や椅子に大量の画鋲が置かれていた。通りすがりにわざと殴られ、あるいは物で叩かれた。歩いていると、いじめグループに通せんぼをさせられた。金を持ってこいと電話やメールで脅迫された。いたずら電話やメールが何度も届いた。自分の持ち物を取られ、隠され、破壊され、時には焼却炉で燃やされた。


 それでも先生は遊びだと思い、ロンをかわいそうだと思わなかった。ロンはその様子を憎たらしく見ていた。


 何をやってもだめで、損ばかりしていた。誰からも頼りにされず、誰にも助けてもらえなかった。友達が1人もおらず、孤独な毎日を送っていた。そのため、いつも暗い表情をしていて、コミュニケーション能力に欠けていた。


 唯一の良いところは、成績が良かったところである。しかし、それは全く生かされなかった。コミュニケーション能力に欠けているため、就職先では全くと言っていいほど使い物にならなかった。いつ解雇されてもおかしくなかった。


 貧しい生活のため、十分な服が買えなかった。そのため、いつもぼろぼろの服を着ていた。はやりのテレビゲームや携帯ゲームのソフトをさせてもらえなかった。普通の子供なら普通にさせてもらえるのに、ロンにはさせてもらえなかった。手が汚いと思われたからである。無理やり取り上げて、何とかやろうとした。しかし彼にはできなかった。以前取り上げた時に仕返しをされたからだ。また仕返しをされると思った。


 それらのことをロンの学校の生徒は知っていたものの、止めようとする勇気がなかった。離れたところでロンを見ているだけだった。中には、その様子を笑う人もいた。弱弱しいロンがおかしくてたまらなかったからだ。


 その時、ロンは人類に対して不信感を覚えた。彼らは僕を無視している、馬鹿にしていると思った。いつか、奴らを痛い目にあわせたかった。彼らが苦しむ顔が見たかった。どれだけ苦しい思いをしてきたか、わかってほしかった。


 彼らは知らなかった。後にその思いが世界を揺るがすこととなる。それによって、人間は絶滅の危機にさらされる。


 中学校になるとロンへのいじめはさらにひどくなった。いじめグループの人数が増え、更に多くの子供たちがいじめるようになった。ロンの憎しみはより一層強くなっていった。


 中学校2年になると、ロンはいじめを避けるために、学校の制服を着て家を出たまま学校に行かなかった。近くの川にかかる橋の下の土手で、誰にも見つからないように、じっとしていた。


 お昼になったら私服に着替えて近くのコンビニに行き、弁当を食べていた。そして、下校時刻まで帰らないことが多かった。


 学校に行くのは1ヶ月に数回ぐらいだった。いじめの事実を知らない担任の先生は、学校をさぼってばかりいるロンを許さなかった。学校に来るたび、ロンは担任の先生に叱られた。それでも行こうとしない場合、先生は父を呼び出し、まっすぐ登下校するように伝えた。しかし、何度伝えても父はそれをロンに言うことはなかった。


 ロンの父は、ロンが15歳の時に死んだ。高校の入学式の翌日だった。自宅で気を失っているのを知り合いに発見された。父の知り合いはすぐに通報した。しばらくして、救急隊が駆けつけて、救急車で病院に運ばれた。しかし、父はすでに死んでいた。父の死因はアルコール飲料の飲みすぎによる肝硬変だったらしい。


 通夜や葬儀では、父の関係者の多くが、涙を流し、悲しんでいたという。ロンはまだ若いにもかかわらず、しっかりと通夜や葬儀の司会をした。


 ロンは全く涙を流さず、悲しまなかった。人から見ると、真剣に視界をやっているから涙を流さないように見えた。しかし本当は、父が許せなかったからだった。


 高校生になると、ロンはいじめられなくなった。しかし、その理由は先生に話して解決したからではなかった。いじめられていた生徒と別の高校になったからである。


 ロンは高校を卒業後、サラリーマンとなった。しかし、サラリーマンになってもロンは表情が暗く、全く友達ができなかった。仕事もほとんどさせてもらえず、上司から頼りにしてもらえなかった。ただ金をもらい、生きていくために仕事に就いているだけのようだった。




 王神龍は更に語った。王神龍は不気味な笑みを浮かべている。


「そんなる日、私は犬神に出会った。私は犬神から、世界を支配する力、『神の力』を得ることができる、『神のオーブ』を与えられた。そして私は『神の力』を得た。それから私は、半年の眠りを経て、ロンという存在を捨て、世界を支配する神、王神龍となった」




 それは10年半前のことだった。ここはリプコットシティの郊外にある住宅地。この住宅地にはおよそ10万人の人が住んでいる。この住宅地はリプコットシティの中心部から少し離れた丘陵地にあり、電車に乗るとおよそ30分でリプコットシティの中心部に行くことができる。この住宅地にはたくさんの1戸建て住宅やいくつもの高層マンションが立ち並び、その街で働く人々やその家族が多く暮らしていた。


 また、この住宅地の中には女子高校があり、朝は多くの女子高生が乗り降りする。この住宅地ができたのは、女子高校ができたからだ。住宅地ができたことによって、人口が増え始め、急速に発展していった。この住宅地ができたころ、そこに住む人はこの高校に通勤する子供たちの家族がほとんどだった。しかし、リプコットシティの中心部に近いことから、この住宅地ではリプコットシティの中心部に働く人々やその家族も暮らすようになった。そのため、さらに人口が増えた。


 住宅地の高架線を1本の電車が走っていた。その電車はステンレス製の車体で、下半分が青く塗装されていた。ドアは1両あたり4扉。車内はロングシート。1両の長さはおよそ20m。その電車は10両編成だった。この路線はこの近くに女子高校ができるおよそ30年前にできた。開業当初は2両編成の電車が走る路線で、とても閑散としていた。日中の電車に誰も乗っていないことがしばしばあった。


 しかし、女子高校ができてからは線路改良により高架線となり、電車が4両編成になった。その後、住宅地の住人が多くなり、さらなる人口増加によって利用者が増え、今では10両編成の電車が常に走っている。現在の時間帯、10両編成の車内はすいていた。乗客はまばらで、つり革につかまる客はおらず、ロングシートには空席が目立っていた。ラッシュアワーにはあふれんばかりの乗客を乗せて走っているらしい。今はとても静かな車内だった。聞こえるのはインバータの音と線路の継ぎ目の音だけだった。


 そんな電車の先頭車両に、1人の男が乗っていた。その男は誰も座っていないロングシートに座り、下を向いていた。とてもハンサムな顔をしていたが、表情はとても暗そうだった。その男の名は、ロン=メンス。この街の中心部で働く会社員だ。


 ロンは入社して4年目。今年の秋に36歳になった。ロンは、いつものように仕事を終えて、帰路についていた。ロンは、黒い背広の上に白いコートを着ていた。左手には黒い鞄を持っていた。冬のロンは、いつもこんな服装だった。


 ロンは複数の路線を乗り継いで職場に向かっていた。通勤時間はおよそ1時間。その仕事はとても忙しくて、帰るのが午前0時以降という日も少なくなかった。しかし今日は午後6時で終わることができた。仕事の量がいつもより少なかったからだ。ロンはとても疲れていたが、しっかりと仕事をこなしていた。その頑張りは、昇進できるぐらいだった。そんなロンを尊敬する後輩もいた。しかし、ロンは表情の悪さでなかなか昇進できずにいた。ロンは昇進しようとありとあらゆる努力をしたが、どれも無駄だった。その原因はどれも表情の悪さだった。


 電車の車内で、ロンは今日あったことを思い出していた。目を閉じると、今日あったことが走馬灯のようによみがえる。ロンは今日も上司に怒られた。その原因は接客態度の悪さだった。


「メンス、なんでお前はいつも暗い表情をしているんだ。もっと笑顔で接客しろ。雰囲気が暗くなるだろ。じゃないとクビにするぞ!」


 上司の怒鳴り声で、ロンは目を覚ました。しかし、そこに上司の姿はなかった。ロンは夢を見ていたのだ。ロンは上司の叫び声を思い出していたのだ。それを思い出すと、ロンは下を向いてしまう。電車の車内から、ロンは街の明かりを見ていた。まだ6時だからか、いつもより街の明かりが多かった。とてもきれいだ。どこもとても温かそうだ。おそらく、彼らは家族そろって晩ごはんを食べているのだろう。


 これを見るたび、ロンは思った。とてもうらやましい。いつか、彼らのような幸せな家庭を築きたい。でも、幸せな家庭を築けるのは、いつなのだろう。ひょっとしたら、築けないまま、一生を終えるのでは?そんなの嫌だ。早く幸せになりたい。ロンはいつの間にか涙目になっていた。


 ここ最近、ロンは落ち込んでいた。毎日のように接客のことで上司に注意されたからだ。積極的な態度を取らず、いつも暗い表情をしているからである。こんな顔をしていたら、接する相手も暗くなってしまう。早く改善しろ。上司は何度言われてもなかなか改善しようとしないロンにあきれ顔だった。頼りにならないと思っていた。


 ロンは入社して14年も経つのにちっとも進歩していない。すでに1年の試用期間を経て、正社員となったはずだ。これ以上進歩しない状況が続くならば、解雇して、新しい社員を探さなければならない。他の上司は、早くロンより素晴らしい社員がやってこないか期待していた。いつ解雇になってもおかしくない状況だった。新しい社員が入ってきたら、即解雇になることは間違いなしだった。


 ロンはロングシートに座っていた。目を閉じると、今日の上司の恐ろしい形相が目に浮かぶ。そのたびに、ロンは起きあがった。その直後のロンは汗をかいていた。冬なのに汗をかいていた。ロンはあたりを見渡した。汗をかいているところを誰にも見られたくなかった。見た人がいないか心配だった。


 ロンが降りる駅のホームでは、多くの女子高生が帰りの電車を待っていた。ある女子高生は立ち話をし、ある女子高生は文庫本を読み、ある女子高生は携帯ゲームをしていた。何人かの女子高生は大きなカバンを持っていた。その中にはゴルフやラケットが入っていた。この駅ができたのは、彼女たちの通う女子高校ができたことで、その交通手段を確保するためだった。その後、駅の近くに大規模な住宅地ができて、さらに乗客が増えた。それによって、通勤客も多くなった。


 ホームに自動放送が流れた。


「まもなく、1番線に電車がまいります。黄色い線までお下がりください」

「まもなく、2番線に電車がまいります。黄色い線までお下がりください」


 ロンを乗せた電車は駅の手前の急カーブにさしかかった。このあたりは急カーブがあるため、この先の駅を通過する快速も徐行しなければならない。電車はキーキーと音をたてて、ホームに近付いてきた。電車は、1本の島式ホームの駅にとまった。


 ロンを乗せた電車が1番線に到着した。ドアの開閉を知らせるチャイムが流れ、右側のドアが開いた。乗客が1人降りてきた。このホームは緩やかな急カーブの途中にあり、電車とホームに間が広く開く箇所がある。そのため、隙間の広いところには、黄色いランプが点滅していた。また、この駅では、電車が到着すると、「足元にご注意ください。」という自動放送が流されていた。


 間もなくして、逆方向から向かいのホームに電車がやってきた。その電車は、ロンの乗ってきた電車と違う形式で、少し古そうだった。こちらもステンレス製で、ボデーの下半分が青く塗装されていた。こちらの電車も10両編成で、この電車も乗客が少なかった。


 電車のドアが開いた。しかし、ドアの開閉を知らせるチャイムが鳴らなかった。その電車には、そのチャイムが取り付けられていなかった。降りる人はいなかった。この駅から乗る客の大半はこの近くにある女子高生だ。


 ロンはこの駅で降りた。外に出た瞬間、ロンは少し震えた。外は寒い。冷たい北風が吹いた。今日の天気は曇り時々晴れ、最高気温は摂氏6度。例年より少し寒いという。天気予報によると、深夜には雪が降るかもしれないという。街の人の中には雪が降ってほしいと祈る者もいた。このあたりで雪が降るのはごくまれで、1年に数回降るか降らないかだ。ロンも降らないかどうか気になっていた。ロンは雪が降ってほしかった。滅多に見ることのできない雪を見たかった。


 乗客の乗り降りが終わった。


「扉が閉まります。ご注意ください」


 駅の自動放送が流れた後、発車を知らせるブザーが鳴った。その時、1人の乗客が駆け込んできた。セーラー服を着た少女で、駅で待っていた高校生と同じ高校に通う生徒と思われる。ブザーが鳴り終わると、最後尾の運転席から出てきた車掌が最後尾の運転室から上半身を出した。車掌は、乗降客がいなくなったのを確認し、口にくわえていた笛を鳴らした。ドアの下に取り付けられたスピーカーから流れるチャイムとともに、ドアが閉まった。電車は警笛を一度鳴らして、可変電圧可変周波数インバータ制御装置特有の唸り音をあげ、ゆっくりと動き出した。電車は駅を後にした。電車は漆黒の闇に消えていった。


「扉が閉まります。ご注意ください」


 少し遅れて、もう一方の電車のドアも閉まった。しかし、チャイムは鳴らなかった。電車は駅を後にした。唸り音がなく、とても静かだった。おそらく抵抗制御方式だろう。


 ロンは階段を下りた。この駅は2階がホームで、1階が改札口だった。改札口の横には、事務室があり、何人かの駅員がいるが、この時間帯はいなかった。この駅は、最も混雑する平日の朝を除き、無人駅となる。その間は、その隣の駅で一括管理しているという。


 ロンは有効期限半年の定期券を自動改札機に通して駅の外に出た。駅前にはバスの回転場があり、ここから路線バスが発着している。しかし、路線バスがたった今出てしまい、バス停は静まり返っていた。しかし、そのことをロンは全く気にしていなかった。ロンの家は、徒歩でも疲れないぐらい近かった。駅から家までは歩いて10分程度だ。そのため、ロンは路線バスを使ったことがほとんどなかった。使うのは、ここから少し離れたところにある市役所などに行く時ぐらいだ。今使っている定期券は、有効期限が切れるまであと4ヶ月足らずだった。


 駅を降りた人々のほとんどは、女子高生だった。学校帰りなのだろう。女子高生は騒々しく騒いでいた。駅前では、女性が路上に座っていた。フリーターだろうか。駅前の女性は、まるでコギャルのようなメイクをしていた。夜中に繁華街を歩きまわっていたのだろうか。ロンは、そんな女子高生を見ずに、まっすぐ家路を急いだ。明日も朝早くから仕事が始まるからだ。少し遅いが、今日はゆっくり休み、明日に備えよう。早く寝ないと、寝坊して遅刻する。


 ロンは駅のロータリーを後にして、1車線の道路横の歩道を歩いていた。太陽は5時ぐらいに沈み、街は闇に包まれていた。北から吹く冷たい北風が身にしみる。ロンは少し震えていた。冬の日の入りは早く、夏と比べると一目瞭然だった。夏は午後7時ぐらいに沈むのに対して、冬は午後5時ぐらいに沈む。夏に仕事から帰ってくる時は、明るかったのに対して、冬は日が沈み、暗い。その歩道の所々には街灯が立っていた。道路では家路を急ぐ車が多く行き交っていた。歩道沿いに設けられた街灯が、街を行く人、道路を走る車、マンションを照らしていた。とてもロマンチックな光景だが、ロンにとっては、ロマンチックだと感じるよりも、うらやましいと感じる。これほどロマンチックなことを経験した事がなかった。


 その時、ロンは子供たちとすれ違った。ロンはそれに気付き、振り返った。子供たちはランドセルを背負っていた。みんな黄色い帽子をかぶっている。1年生と思われる。もう下校時刻は過ぎている。おそらく塾の帰りだろう。彼らは笑顔を見せながら喋っていた。とても楽しそうだった。


 その姿をロンはうらやましそうに見ていた。多くの友達に囲まれて、楽しそうにしているからだ。自分もこんなに囲まれたかった。もし、自分がこの子供たちだったら、どんなに幸せだろう。あのころに戻りたい。もう一度人生をやり直したい。でももうやり直せない。人生とはやり直しのきかないものだ。ロンはそう思っていた。


 ロンは、家路に向かっていた。ここから家までは、10分近くかかる。歩いても疲れない距離だった。近頃、このあたりは再開発が進み、この通りには瀟洒な街灯が設置された。街灯は、暖かそうにロンを照らしていた。しかし、ロンの心は暖かくならなかった。今日のことで落ち込んでいるからだ。


 ロンは近頃、憎たらしい人類を殺し、自分の思い通りの世界を作りたいと思うようになっていた。幸せな家庭なんか、誰からも頼りにされたいなんか、どうでもいいと思っていた。父や、いじめていたやつらのような人類を、この世界から滅ぼしたかった。そして、自分の思い通りの世界を作りたいと思っていた。しかし、ロンは、人前では絶対に言わなかった。変人扱いされ、警察に捕まって、精神鑑定をさせられるからである。精神鑑定が一体どういう内容なのか、まったくわからない。でも、恐ろしいことをさせられるに違いない。ロンはとても怖がっていた。


 家まであと少しの所に差し掛かったその時、ロンは誰かの気配に気づいた。突然かすかな風が吹いたからだ。ロンは振り向いた。しかしそこには誰もいなかった。


 ロンは、誰かが待ち伏せしているんだろうと思った。いじめようと待ち伏せているんだろうと思った。誰もいないことを確認すると、ロンは前を向き、家に向かって歩き出した。下を向いてばかりでは何も進まない。前を向いて現実と向き合おう。ロンは心の中で言い聞かせていた。


 近頃、ロンは誰かにつけ狙われているような感じがしていた。気配を感じて振り向いても、誰もいなかった。ロンは首をかしげた。ひょっとして、あのいじめグループ?それとも、誘拐犯?ロンは不安になっていた。上司や同僚に相談したが、原因は全くわからなかった。精神科にも相談したが、それでも原因はわからなかった。


 ロンは再び前を向いて、家に向かった。みんな家の中にいて、目の前には、誰もいなかった。明かりは全くついてなかった。もう寝静まったんだろう。とても静かだった。横から誰かが出てきて、襲い掛かってきそうだった。ロンは緊張していた。


 ロンはその時、見知らぬ獣人につけられていることに気が付いていなかった。ロンの後ろには、陰陽師のような服を着た獣人がいた。その獣人は鋭い目でロンを見ていた。まるでロンを狙っているようだ。


 その獣人は帰宅途中のロンに声をかけた。その声は20代の若者のようで、はきはきとしていた。


「ねぇ」


 その時、誰かの声が聞こえた。聞いたことのない人の声だ。誰だろう。ひょっとして、誘拐犯?ロンはそう思い、緊張しながら後ろを振り向いた。しかし、そこには誰もいなかった。見えるのは、街の明かりだけだった。


 ロンは首をかしげた。昨日もこんなことがあったからだ。誰かの声が聞こえるのに、誰もいない。透明人間?ゴースト?ドッペルゲンガー?それとも、自分をいじめている奴ら?ロンはますます不安になった。


 実はその時、獣人はある力によって姿をくらましていた。だから、ロンには見えなかった。


 その間に、獣人は瞬間移動して、ロンの前に現れた。そして、ロンの前に姿を現した。


 ロンは再び前を向いた。ロンは正面の1人の獣人に目がとまった。ロンは驚いた。その獣人は首から下が人間で、顔が柴犬だった。獣人は陰陽師のような服を着ていた。獣人の目つきは鋭く、クールな表情だった。その獣人こそ、犬神だった。


「ねぇ」


 犬神は鋭い目線でロンを見ていた。まるで何かを期待しているようだった。


「誰ですか?」


 ロンは少し戸惑っていた。犬神が急に出てきたので、驚いていた。


「君、強くなりたい?」

「うん!」


 ロンの答えに迷いはなかった。今まで苦しめてきた人々に復讐したいからだ。いつか強くなって、かつていじめていた奴らを見返したいと思っていた。そうしたら、今までの嫌な過去を忘れることができると思ったからだ。


「世界を作り直したい?」


 犬神は少しえくぼをのぞかせた。犬神はまるで何かを企んでいるかのようだった。


「うん」


 ロンは今の世界にうんざりしていた。今まで自分をいじめてきた人間が1人もいない世界を作りたかった。そして、世界を作り直す神となりたかった。しかし、そんなことは無理だと思っていた。


 犬神は笑顔を浮かばせていた。


「それじゃあ、俺について来い。俺が強くしてやる」


 犬神はロンと手をつないだ。そしてロンは、獣人とともにどこかに消えていった。ロンの表情はとても嬉しそうだった。これから楽しいことが待っているに違いないと思ったからだ。


 その時ロンは、自分に与えられる大いなる力が、どのようなものか、全くわからなかった。そしてこれが、世界を揺るがすおどろしい出来事の発端になるとは、その時誰も思っていなかった。


 その後、ロンの姿を見た人は、ほとんどいないという。翌日、ロンが会社に来ないことに気づき、同僚が彼の住むマンションに入ったが、ロンはいなかった。彼はすぐに警察に捜索願を出した。しかし、ロンの行方は分からなかった。まず分かったのが、いつも通り出社したことだった。ロンの様子は普段と変わらなかったという。後に、駅の改札口を抜けたという情報が入った。それが最後の目撃情報だった。


 犬神は魔法である森に瞬間移動した。そこはアカザ島のある森で、そこには犬神の隠れ家があるという。


 ロンは犬神に連れられて隠れ家にやってきた。そこには結界が貼ってあって、犬神以外の者は見つけることができない。


 犬神とロンは部屋に入った。部屋の中は整っていて、本棚には研究のための本がびっしりと並んでいた。


「どうぞ」


 そこには、光り輝くオーブがあった。そのオーブこそ、神のオーブだ。これを持つことによって、人間は神の力を与えられ、世界を見守ることができるようになるという。しかし、それを悪用して、世界を作り直そうという奴もいた。犬神もそうだ。


 犬神は神のオーブを手に取り、ロンに見せた。


「これは」


 光り輝くオーブを見て、ロンは唖然となった。こんなに美しいオーブは見たことがなかったからだ。


「さあ、これを手に。これは『神のオーブ』という。そのオーブに触れた者は神のフォースを手に入れる。神のフォースを手に取ると、その者は神となり、永遠の命を得ることができる。さらに、自分が憎む者を生贄にすることで自分の思い通りの世界を創ることができる」


 ロンは、神のフォースを手に取った。その瞬間、ロンは深い眠りについた。実は、神のフォースに目覚めるには、6か月の深い眠りを要す。その間に、神のフォースが徐々に蓄積されていく。

 それから半年後、ロンは王神龍として目覚めた。ロンの捜索はいまだに続いていたが、なかなか見つからないため、忘れ去られていた。




「私は、新たなエデンを築き、人間を滅亡させ、世界を支配する神、王神龍として再び生を受けた。世界を支配し、人間を苦しめたいという長年の夢がかなったのだ。互いに争いあい、この世界を破壊し続ける、愚かな人間どもなど、この世界にはいらぬ。愚かな人間のいない、新しいエデンを築こうではないか! 見ろ! 明日になり、あの太陽が再び昇る時、愚かな人間は消え去り、われわれ魔族の新たな世界が幕を開ける。それはまさしく、新たな世界の門出だ。何と素晴らしいことだ。愚か者のいない、賢い魔族ばかりの、素晴らしき世界ではないか。君たちには、それがわからぬのか?どうしてどこまで愚かな人間との共生を願っている。もう諦めろ、愚かな人間ども!」


 王神龍は笑みを浮かべた。明日、世界を支配するのは私だ。


「人間が大好きだから。人間にも頭のいい者がいるわ。だから、滅亡させないで!」


 サラは反論した。世界を作り直そうとしている王神龍が許せなかった。


「いるわけない! みんな人間をいじめようとする、愚かなものばかりだ!」


 王神龍は左手に持っている杖を振った。裁きの雷が落ちてきた。だが、5人には当たらなかった。精霊が彼らを守った。


 しかし、王神龍は驚かなかった。精霊が守っていることを知っていたからだ。


「もう遅い。どれだけ苦しんだのか、わからないくせに」


 王神龍はレミーに向けて裁きの雷を放った。レミーは素早くよけた。


「私、そんなロン、許せない」


 サラは拳を握り締めた。


「ロン、絶対に許さない」


 王神龍は不敵な笑みを浮かべた。5人に勝てる自信があった。


「さぁ、かかってこい! 我が世界を支配する神たる所以を見せつけてやる!」


 王神龍が襲い掛かってきた。

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