第8話:真瞳唯華(1)
「――大活躍だったみたいだねぇ、クロエ」
騒動から三日経った、土日明けの月曜日は夕刻。
事件の起きる前となんら変わりない空間へと戻った教室の外から、甲高く硬質な音が飛び込んでくる。
「今日は野球部がグラウンドを使っているのか。授業をするには少々騒がしいな」
教壇で頬杖をつきながら八重鶴はニタニタと笑っていた。
「白根先生にも華を持たせてあげたんだってぇ? 案外優しいところもあるじゃないか。少しは改心したってことかな?」
「そういうつもりはありません。あのときはまだ竜人種も生きていましたし、結界のなかにはクラスメイトもたくさんいましたから、一番の安全策を取ったまでです。適材適所ってやつですよ。それにしても……本当にしくりました」
背もたれに身体を預けて椅子の上で胡座を掻く黒乃が、そっぽを向きながらぶつくさと垂れる。
「あーあ、きっと嫌われただろうなぁ。入学式が終わって早々に大鎌を振り回すことになるなんて想定外だったなぁ」
「気にするな。いずれ分かってくれるさ」
「友達、沢山ほしかったんだけどなぁ……」
「お前に必要なのはより高みを目指すために競ってくれる好敵手だろう? 一般クラスの生徒とつるんだところで益なんてない――そう思っているくせにか?」
「……的確に私の心を読むの、やめてくれます?」
「読んでないぞ。クロエの全身から滲み出ているのを掬い取っているだけだからな。少しくらいは隠す素振りをしたらどうだ?」
「そもそも、お前だったらあのレベルが教室にいることくらい端から感づいていたはずだな? 人に危害を加えないよう人払いをしてから祓うのが基本だというのに……それをクロエは、クラスメイトに己の力と霊魔の怖さを見せつけるために、わざとああしたな?」
「……………………」
「おいこら目を合わせろ」
「……いい機会だと思ったんですよ。あの程度で失神する連中なんて、現場に出たら使い物になりませんからね」
「人道的に褒められたことじゃないな。力試しをするんだったら他にやりようはいくらでもある。教え子のメンタルケアに奔走している白根さんが気の毒でならないよ」
事態の中心にいた白根は休日を返上して生徒の保護者へ謝りにまわっている。
我が子が掃魔師高専へと入学した、その事実を一家の誇りとし、あるいは世間体を考えてだろう、すぐさま退学という話になっていないのが不幸中の幸いだ。
「あたしもクロエの実力は買っているんだ。あとは精神的な部分がしっかりしてくれればいつでも一級掃魔師に推薦できるんだが……」
「子ども扱いしないでくれますか? そもそも、実力と霊魔を祓った数なら先輩方にも劣らないというのに、精神的に未熟だからって一級になれないだなんて。理不尽すぎませんか?」
(うーん……口酸っぱくして教えているはずなんだけどなぁ……。どうしてかなぁ……)
微塵も反省する気配のない黒乃の態度に、八重鶴は頭を悩ませる。
猟魔師は複数で霊魔に対処するのが基本だ。
多少の個性こそ重宝はされるが、それは総和を高めるためであり、度を超えた単独行動は命を落とすことに直結する。
戦場で危険を乗り越えられなければ、待っているのは死だ。
それは、弱冠十五歳にして神童と評される黒乃も例外ではない。
だが、数多の戦場を無傷で渡り歩き、霊魔のほとんどをただ一人で祓ってきた経験が、傲りに繋がってしまっている――少なくとも周囲はそう認識していた。
「そもそも、私が誰かと連携を取り合う必要なんてないんです。足を引っ張ってくるだけの他人に背中なんて預けられるわけないじゃないですか」
だからこそ、八重鶴は黒乃の今後を憂い、頃合いを見計らって掃魔師連盟に直訴のうえで一線から退き、掃魔師高専の夜間クラスを請け負うことにした。
掃魔師の未来を担う天才がこんな風に育ってしまったのも監督役であった自分の責任。
だから、側を離れた。
そして決めたのだ。
黒乃という天才と比肩する若人を育て上げなければならないと。
……まさか、黒乃自身が追いかけてこようとは夢にも思わなかったわけだが。
「……まぁ、あんなことがあっても物怖じしてなかった神谷の胆力だけは認めてあげてもいいですけど」
「そういえば彼、竜人種に襲われたときも一矢報いていたんだったか」
黒乃の報告書で、竜人種の肩口の傷はライトニング・レイによる一撃と書かれていたのを思い出す。
「素質があるねぇ、彼」
「さぁ、どうでしょうね」
「個人的には彼にとても期待してるんだよ。才能があっても、死を前にして挫折していく掃魔師をたくさん見てきたからねぇ……」
「臆病なだけでしょう? そもそも自分が強ければ死にません」
「じゃあいますぐ青木ヶ原に行くかい? 椿ちゃん、まだ頑張ってるよ? 霊魔百本ノック」
「私が行ってなんの助けになるんですかそれ。餅は餅屋に任せるべきです」
「……二級、三級の掃魔師はね、クロエが倒してきた霊魔たちにそういう感情を抱きながら立ち向かっているんだよ。自分の力が通用しないかもしれない、次こそは死を覚悟しなければならない。それでも霊魔を祓って、自分の守りたいものを守ろうと必死なんだ」
「…………」
「自分の命が消えれば、守っていたものまで奪われてしまうかもしれないという恐怖と戦っているんだ。それを臆病の一言で片付けちゃあいけない」
「……また説教ですか。耳にたこができるほど聞かされてますけど」
「つまり、理解も納得もする気がないってことか」
「協調性となんの関係があるんですか」
「理解を示すことは連帯感に繋がる。単純な話なんだけどな」
「そんな行動に縋らなくても必要とあれば連携はしますよ。そのための訓練だってするんですよね、ここで」
(やっぱり、埒が明かないな……)
精神的な部分が、掃魔師の上に立つ者として致命的に欠けている。それを再認識して、八重鶴は小さく嘆息した。
高専へ入学してきた理由は把握している。その理由も『八重鶴宙姫の指導を受けられる場所がここにしかないから』という、ひどく自分勝手なものだ。そもそも、すでに掃魔師である黒乃にとって、ここを卒業すること自体にはなんの価値もないのだから。
そんな我が儘を通してしまう連盟側には呆れてしまうし、思うところも多い。
だが、これはこれで良い機会でもある。こうなった以上は徹底的に叩き直すまで。
「まぁとにかくここでそういうこともちゃんと学んでもらうつもりだから」
「はいはい」
拗ねたような返事が響くと同時、ばたばたと忙しない駆け足が廊下を叩く。
ばたん、と勢いよくドアが開き、ぜぇ、はぁ、と肩で息をしながら神谷が転がり込んできた。
「……はぁ、はぁ……、ま、間に合った……?」
「オンタイムだ。とはいえ、余裕をもった行動を心掛けるようにね。こういうのって普段から意識しておかないといざってときにできなくなっちゃうから。あ、席は自由でいいよ」
「う、うすっ!!」
潔い返事とともに神谷が席に着く。黒乃の隣に。
「……なんで隣にくるの?」
「え、いや……なんとなくだけど……、あ、もしかして嫌だったか?」
「別にそこまで言ってないけど、いくらでも空いてるじゃない」
「うーん……だって、四人しかいないんだろ? それで窓際とか端に座るのもなんだしよ」
「っ……、ああそう。好きにすれば?」
「じゃあここで」
あっけらかんとした反応に、毒気を抜かれた黒乃はぶっきらぼうな声を返す。
その様子を微笑ましく眺めていた八重鶴は「さて」と立ち上がった。
「今年の一年、夜間こと選抜クラスは四名で始動だ。それじゃあ時間になったところで早速授業を始めようか……と、言いたいところではあるんだが、」
八重鶴はわざとらしく両腕を目一杯拡げては嘆く。
「残念なことに、ご覧の通りの有様だ」
「……つうか、これってどういう状況なんです?」
「椿ちゃんはちょっと厄介な霊魔を相手にしていてね、もう数日は戻ってこない」
「……? それって、黒乃だけじゃなくて椿って子も掃魔師ってことっすか?」
「鋭い質問だ。掃魔師と同等の力はあるけど、掃魔師連盟に所属していない。免許があるようでないという状況だな。色々と厄介で複雑な事情が絡んでいてね、結果として連盟が認める掃魔師ではないんだよ。本人不在でこの話をするのは気が引けるし、彼女が帰ってきたら話をしてあげよう」
「はぁ……」
「で、もう一人なんだけど……これは単なるサボリだな」
「駄目じゃん」
「そこでだ。二人にはやってもらいたいことがある。真瞳ちゃんをここに連れてきてくれないかな?」
「嫌です」
黒乃が即答した。
「それこそ教師の役目じゃないんですか?」
「残念なことにあたしはこれから野暮用があって、三日くらい留守にしなきゃならない。その間に真瞳ちゃんが自発的に登校してくるよう仕向けてほしいんだよね」
「だからなんであたしたちが――」
「真瞳ちゃんね、自分より弱い奴らと一緒に授業なんて受けたくないんだってさ。強い子なら沢山いるよって説得しても聞く耳持ってくれないし、だったらほら、直接やっちゃったほうがいいよね?」
さらりとそんなことを言ってのけて、八重鶴は畳みかけるように嗾ける。
「折角あたしが勧誘してやったのにそんな態度だし、ちょっとお灸を据えてやらないといけないなぁと思ってるわけ。クロエのことも当然ながら馬鹿にしてるのよ。天上天下唯我独尊が人の皮を纏ってるって感じだから」
「誘ったんなら面倒みるべきはやえちゃんなんじゃ……」
「あたしがどうにかできるならとっくにしてると思わない? というかぶっちゃけると、自分で真瞳ちゃんを勧誘しておきながらこの有様だから、学長にはこっぴどく叱られていてね」
「つまり自業自得ってことっすね」
「そう冷たいこと言わないでくれよぉ。あたしも困ってるんだ。近いうちになんとかできなかったら……ああ、口にもしたくない」
「え、ちょっと、八重鶴さん、それってまさか……」
「ああそうだ。ご想像のとおりだ。これから先、どうやって生きていけばいいのか検討もつきやしない……。今更のこのこと連盟に戻れるわけもないし……、というわけだ。見事、真瞳ちゃんを引っ張ってきた日には、先生の窮地も救ってくれたお礼も兼ねてなんでもご馳走をしてあげようじゃないの」
ばっ、と大手を振って高らかに宣言する八重鶴。
「……それで私のことを煽っているつもりですか」
「あたしにとって人生最大のピンチなんだ、どうか頼むよクロエぇ!!」
教壇から飛び降りて教え子に縋り付く教師がここに一人。
そして、そんな教師に白い目を向ける教え子が二人。
「まぁ、俺は旨い飯がくえるならそれでいいかな」
「……気が乗らないけど、八重鶴さんの居場所がなくなるのは私も困るし。やるしかないってことなんですよね、授業を受けるなら」
「っ!! おお、そうだよ、そのとおりだっ!! ああ、持つべきものは心優しい教え子だなぁ!!」
言質を取って安心したのか、八重鶴はすぐに調子を取り戻して教壇に立つ。
「ということで真瞳ちゃんのことはよろしく頼んだ。あたしはすぐに出立しないとならないからね」
「分かりました。私と神谷とでなんとかします。ところで八重鶴さんはどちらに?」
「青木ヶ原」
「えっ」
「椿ちゃんの様子を見に行くのと、それとは別にあたししか対処できない厄介ごとが発生しちゃったみたいでね。そっちが本命。まぁ、そんな心配することないよ、あたしにしてみりゃ大事じゃないから。それじゃ、吉報を期待しているよ」
黒乃にとってはかつて何度も耳にした台詞を吐いて八重鶴が教室を後にする。
その背中を見送った二人は互いに顔を見合わせた。
「……で、どうするよ」
「とりあえず真瞳とやらの家に行って力尽くで降参させてやればいいんじゃないかしら。大見得切っているだけで、どうせ大したことないでしょうし。そもそも同い年で私より強い子がいたら連盟が放っておくわけないもの」
齢十五歳にして掃魔師準一級という肩書きはまさしく、身体能力、神能ともに同年代で比肩するものが存在しないことを意味する。
「喧嘩をふっかける相手を間違えたってこと、思い知らせてやるんだからっ!!」
「なら俺は適当にフォローすればいいか。神能を使った戦い方もロクに学んでないし」
「そうね。私の実力を知ってもらう良い機会だし、ゆったり観戦しててくれればいいわ」
「ならそうするか」
とんとん拍子で手筈を決め、ある種の面倒くささすら拭わないままに神谷と黒乃は真瞳の住まいへと足を向けた。
けれど、このとき、少なくとも黒乃は気付くべきだった。思い出すべきだった。
――吉報を期待しているよ。
それは、天才と呼ばれる黒乃が手をこまねいた事案に取りかかる折、必ずと言っていいほど八重鶴が口にしていたということを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます