第7話:闖入者(後)

 ざんッ、と。


 躊躇なく刃が引かれ、雨宮と名乗った男子の首が床に転がった。噴き出したの血液が天井を濡らし、床のタイルを不気味に染め上げる。


「ひっ――」

「あ、あああっ――」

「「う、わああああああああああああああああああああっ!!」」


 同時、クラスメイトが一斉に悲鳴を上げ、ドアや窓から飛び出そうとして。


 だが、ドアも窓も、まるで物質として固定されてしまったかのようにびくりとも動かない。


「な、なんだこれっ!?」

「どうなってんだよおおおおおおっ!!」

「嘘だ嘘だ嘘だっ、こんなの普通じゃねぇよ!! 殺されるっ!!」


 一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と化した教室で、血塗られた鎌を振り回しながら即座に黒乃が叫ぶ。


「みんな、騒がないで!! 私が殺したのは霊魔よ。人じゃない。この世界に存在してはいけないそれ。掃魔師として当然のことをしただけであってみんなを殺すつもりなんてないわ」


「…………キ、ハハハ」

「なっ……こいつ、まだ生きてやがる!?」


 死体を検分していた神谷が、転がった首から距離を取る。

 その首はすでに人間の形を象っていない。鰐のような大顎からはみ出る二叉の舌がちろりと蠢き、こぼれ出た血液を舐め取った。


「霊魔ガ、首ヲ刎ネラレタ程度デ死ヌワケガナイダロウ?」


 鱗に覆われた鰐型の口が、気色悪い声を発する。


「これはお前がやったのか」

「キヒヒ、コイツハ、俺ノ絶命ヲ発現起因トスル結界ダ。普通ノ結界トハ、強度ガ違ウ。一級ノ掃魔師デモ、コノ結界ヲ破壊スルコトハ不可能。オ前タチハ、コノママ、我ガ主ノにえトナルノダッ!!」


「……主、ね。なるほど竜人種、お前たちの狙いはやはりそういうことか」


 黒乃が感情を殺した眼光を宿して転がった首を睥睨する。


「イマサラ気ガ付イタトコロデ遅イ。掃魔師トアロウモノガ、ザマアナイナァ!! キハハハハハッ!!」

「……あまり人間を舐めてくれるなよ、使い魔ごときが」

「強ガッタトコロデ救イハナイゾ?」

「……これだから彼我の差も分からない雑魚は愚かで見苦しいのよね。舐めるなという言葉の意味を理解できないのか? ねぇ、白根先生」

「――まさか私の力がこうも早々に必要となるとは思いもしませんでしたが」


 ぴしり、と。


 ドアが、

 壁が、

 窓が、

 天井が、

 床が黒板が机が椅子が――

 生命以外のありとあらゆる存在のすべてに亀裂が走る。


 世界そのものが壊れ、ずれて、拉げていく光景に多くの生徒がいよいよ失神してばたばたと倒れた。


「……ナ、ナニガ起コッテイル!? ドウシテコノ結界ニひびガ……ッ」

「腹立たしいものです。生物以外のすべてを破壊するという、掃魔師にとってこれほど無用な神能というものがあること自体がね」

「馬、鹿ナ……」


 ガラスが粉々に砕けるような音とともに亀裂の走った結界が壊れ、燐光を散らせながら欠片もなく消え去った。

 同時、異変を察知していた教師たちが教室へとなだれ込んでくる。その中には三年の氷室の姿もあって、神谷の姿を見つけるや否や飛びつくように駆け寄ってきた。


「うわ、すごいことになっちゃってる……、神谷くん、大丈夫だったかい?」

「ええ……まぁ、やられる前に黒乃が倒しちゃったので……」

「へぇ……さすがは神童って言われるだけあるのかな?」


 氷室は興味津々といったふうに黒乃へと目を向ける。

 黒乃の足元では、竜人種の首が泡を吹きながら滂沱ぼうだしていた。


「ア、アアアっ!! 主ヨ、申シ訳ガ立タナイッ!!」

「残念だったわね。これでも霊魔を祓うプロフェッショナルなの。自分の命を代償にするくらいの結界なんて、私たちにとっては障害でもなんでもない。無駄死にだったわね」

「ク、ソガアアアアァァァァァァァァァァァァアアアッ――」


 とん、と軽い音が響き、大鎌の先端で頭蓋を貫かれた竜人種が、今度こそ絶命する。


 ふうっ、と軽く一息ついた黒乃とは対照的に、白根はどんよりとした面持ちで眼前に広がる惨状を見やる。あちこちに亀裂の入った教室、失神したまま動かない教え子たち、そしてこの事態を引き起こした元凶である竜人種の死骸。滅茶苦茶な有様だった。


「ああくそ、面倒だ。左遷された先はいつもこうなる」

「けれど、あなたの神能を思えば、ここは天職ではなくて? 人生なにも霊魔を祓うことばかりがすべてじゃないでしょうし、結界であれば必ず壊せるのだから」

「まさかきみに諭されるとは思わなかったよ、黒乃くん。それはそうと、お手柄だ」

「全然嬉しくないわね。まさかこんなにも早々に嫌われ役を買って出ないといけなくなるなんて最悪よ。お互いにツキがないわね」


 つまらなそうに黒乃が溢し、白根もまた力なく首肯した。


「……ああ、まったくだ」

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