第6話:闖入者(前)

 入学式が終えた一年生は皆、体育館に隣接するA棟へと吸い込まれていく。


 一学年二百名超六クラスが収まるA棟は、体育館やグラウンドに最も近く、通用門や購買からは最も遠い。物理的に昼職争奪戦では上級生に勝てない構図だ。こういう立地も掃魔師としての上下関係を教え込むことに一役買っている。


 夜間クラスの生徒は便宜上、一年一組所属ということになっている。週明けからは授業自体も完全に袂を分かつことになるが、入学オリエンテーションだけは一般クラスと同じように受けることになっていた。


 だが。


「まぁ、無理もないか」


 教室のあちこちから投げつけられる視線に、神谷はそっとため息をこぼす。

 良い意味でも悪い意味でも注目される。

 その覚悟はできていても、やはり馴れるものではない。


「あれが今年の夜間クラスか……」

「僕らと同い年で掃魔師をやってるって聞いたけど」

「俺たちも負けてられねぇよなぁ」


 夜間クラスのことは入学式で生徒総代からかいつまんで説明があった。

 要は、掃魔師となる素養がある逸材だけのクラスだと。

 ゆえに、一般クラスとは異なるカリキュラムが組まれ、通常であれば大学卒業と同時に与えられる掃魔師の資格、それが高専卒業を以て与えられる存在なのだと。


 視線に込められたその多くは羨望だ。神谷や黒乃と同じ位置に立ちたい、という強い意志。若人の胸のなかで煮えたぎる情熱の熱さを捌こうにも手に余る。


 やがて一般クラスを受け持つ担任教諭がやってきて、「静かに」と凄みのある声音で一喝し、ざわつく教室を馴れた所作で鎮める。白髪頭のオールバックに銀縁眼鏡、そして皺一つない白衣姿は、未成年を黙らせるにはてきめんの風体だ。


「一年一組の担任を任された白根だ。さて……入学式でも説明があったが、便宜上、一年一組には夜間クラスの生徒も在籍することになっている。今年は四人だな。呼ばれたら、立ってくれ――神谷零也」

「はいっ」

「黒乃クロエ」

「はい」

真瞳しんどう唯華ゆいか…………、真瞳はいないのか」


 クラスがざわつきはじめる。

 神谷と黒乃も互いを見合わせて小首を傾げた。


「……まったく、八重鶴さんからは問題児だと聞いていたが、まさか入学式にも来ないとはな。こいつは先が思いやられる。いないものは仕方がない……それでは、椿つばき冥々めいめい


「椿は不在です。準一級霊魔掃討のため、静岡は青木ヶ原樹海へ出張しています」


 黒乃が凛とした佇まいで言った。

 担任教諭の白根が苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる。


「……いったい本部はなにをやっているのだ。ここに入学する以上、学業を優先させるよう委員会と省庁から通達があったはずだというのに」


「今回の霊魔は椿家の秘術でなければ太刀打ちができません。そのことが判明したのも他の掃魔師の尽力があったからですし、規模は小さくともキャンプ客、観光客、そして自衛隊のレンジャーを中心とした人的被害が発生している状況です。掃魔師はそれこそ防衛省からの命令があれば何事にも優先して霊魔掃討の任務を遂行するとの特例措置が認められています。それくらいのこと、この学校の教師なのですからご存じのはずでは?」


「ぐ、ぬぅ……致し方ないことはわかっている、頭では理解している。だがな、今日は入学式――」

「生徒に模範を見せなければならないはずの教師ともあろうものが、どうしてそのような顔をするのですか。人命よりも入学式を優先しろと? それは掃魔師連盟規則のどこに書かれていますか? それともこの学生証?掃魔師って案外軽んじられているんでしょうか」


 胸ポケットから学生証を取り出し、黒乃は鼻で笑う。


「おいおい、さっきから聞いてりゃ随分と偉そうじゃねぇかよ」


 尋常ではない剣幕で白根を詰問する黒乃に批難の声があがった。


 教室の最後列に座っていた毬栗頭の男子が制服のポケットに両手を突っ込んだまま睨めつける。


「偉そう? なにか盛大な勘違いをしているようね」


「ああ?」


「偉そうじゃなくて、掃魔師はそういう存在だという話をしているの。霊魔の掃討と人命救助をなによりも優先する職業よ? 小学校のときに習わなかった?」


「いけ好かねぇなぁ、おい――ッ!?」


 男子がいまにも好戦的な態度で黒乃へ手を出そうと一歩踏み出したその刹那。


「――私ね、これでもそこそこ強いのよ?」

「…………なっ」


 黒乃が男子の首筋に大鎌を突きつけてほくそ笑む。


「瞬間移動しやがった……!?」

「私の神格、結構便利でね? これが本来の力ってわけじゃないんだけど、あんたの首を刎ねるくらいなら造作もないってわけ」


 鈍く光る刃が皮膚に浅く食い込む。零れた血が刃の上で滑るように転がって机へと滴り落ちた。その血液が自分のものであるとようやく気付き、


「ひっ…………!?」


 一瞬にして生殺与奪を握られてしまった男子は、声にならない悲鳴を上げて固まる他ない。


「や、やめないかっ!! ここがどういう場所か分かっているだろう!?」


 怒号混じりの白根の静止に、黒乃は愉悦の笑みを湛えたまま、小首を傾げて返す。


「あなたがそれを仰いますか? 掃魔師のあり方に不満をもっていらっしゃる、あなたが?」

「万一のことが起きたらどうする!? 一般人に武器を向けることは規則違反に該当することを忘れたわけではあるまい!?」

「起こりえません。それに、身の程も弁えずに喧嘩をふっかけてくる有象無象にはこうして黙らせる他ないんですよ。私だって、自分に向けられる罵詈雑言と誹謗中傷を寛容に見過ごせるほど大人なわけではありませんし」


「……その行動と態度は品位を問われるぞ。だから、いつまでも一級になれない」


「はっ……、三級止まりで戦力外追放されたどこぞの誰かが元上官に向かってなにを言っているの?」

「……っ、ここは学校だ。そして、いまの私は教師であり、生徒を教え導く立場だ。場を弁えろと言っている」

「さっきから、随分と偉そうなのね。反吐が出そう」

「……このことは後で八重鶴さんに報告しておく」

「……最ッ低」


 きっ、と互いに睨み合い、教室に緊張が張り詰める。

 それも束の間、漂う沈黙を破るように、か細く蚊の鳴くような声が響いた。


「と、とにかくこの刃を引っ込めてくれないかな。あ、あんたの実力は分かったからさ」


「……引っ込める、ね。ところで一つ質問だけれど、あんたの名前、教えてくれる?」


「お、俺は雨宮あめみやだ。雨宮、かおる、だ」

「ふぅん、雨宮くん、ね。ところで私って今年の新入生の名前を暗記していてね」

「…………」

「それにあんた、さっき、入学式にはいなかったわよね? 一体、?」


「……ッ、ああくそ、やっぱり役回りは損ばかりだナ、ァ――」

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