第5話:入学式
桜が舞い、うららかな陽光に照らされた小さな水たまりには群青が映っている。
雨模様から一転して雲一つない快晴となった入学式当日。
神谷はグラウンドの隅に備え付けられたベンチで一息ついていた。
牧野瀬と鵺崎の二人を待っていた。ファミレスで答え合わせをして以来、なかなか都合が合わず、顔を合わせることができていなかったのだ。合格していたことをLINEで伝えて『おめでとう!』『よかったな!』とやりとりをしたきりになっていた。
「おっ、いたいた」
「おーい、神谷」ぁ
ほとんど一ヶ月ぶりの声がして、神谷は振り返る。
「久しぶりだなぁ二人とも。……って、おいおい、なんだよ牧野瀬、その髪。似合ってねぇぞ」
「う、うるせぇな!! 似合ってないんじゃなくて、まだ俺に馴れてくれてねぇだけだっ」
流行のツーブロック。一ヶ月前まで眉毛すらろくに整えたこともなかったくせにがらりとイメージが変わった牧野瀬はどこか自信に溢れた雰囲気を纏っている。
「なんだそれ。つうか鵺崎も眼鏡どうしたんだよ。まさかコンタクトか?」
「ま、まぁ……な。べ、別に、あれだぞ。そういうやつじゃないからなっ!!」
指摘すると、牛乳瓶みたいに分厚い眼鏡から脱皮した鵺崎が照れくさそうに頬を掻く。
「高校デビューなら牧野瀬みたいにもっと派手にしても良かったんじゃね? まぁ、そもそもここ、そういう場所じゃねぇけどさ」
「これまでの僕たちとは違うって意思表明みたいなもんだよ。……とにかくよかったよ、こうやって三人揃って入学できてさ」
それだけは神谷も心の底から同感できる。
ただ、一つだけ想定外だったことはあるが。
「そういや夜間クラスって、できたばかりなんだってな。いまの三年生が第一期生だってよ。神谷、大丈夫か? なんか顔色も良くねぇし」
「ん、ああ……。生活リズムを夜型にしてて。ぶっちゃけ眠い」
「夜間クラスって夕方の四時からなんだってな。そりゃあ眠いはずだわ。……っと、そろそろ入学式始まっちゃうじゃん。さっさと行こうぜ」
牧野瀬が神谷と鵺崎の肩を叩いて前を行く。鵺崎が牧野瀬の隣に並んで、神谷はその三歩後ろ。
向かって右手にグラウンド、左手にずらりと並ぶ三つの棟には学年ごとに押し込まれる教室が入っている。その間をぶち抜く桜並木に彩られた大通りは体育館まで一直線に伸びて、木々の隙間を埋め尽くすほどの先輩たちが大声を張り上げて部活動の勧誘をしていた。
「部活かぁ……どうしようかなぁ……」
「俺はテニス部だな!! 女子も多いし、一緒に練習もできるらしいし!!」
「僕は運動得意じゃないし、文化系がいいなぁ」
押しつけられては腕の中で増殖していくわら半紙のビラを忙しなく見つめながら楽しそうに会話している、その光景を、後ろから眺めて、
「…………っ」
遠い世界のようだな、と神谷は少し寂しい気持ちになる。
午後の四時から夜半、日付が変わる頃までが夜間クラスの授業時間だ。部活動はもとより、牧野瀬や鵺崎、その他大勢の同級生と授業を受けることもない。わずかに離れたこの三歩分には、埋めようのない断絶がある。
いまこの瞬間、それを理解しているのは神谷だけ。
そして、間もなくこの二人も知ることになるのだ。
後悔しないでほしいと強く願う。
「文化系なら文芸部とかどうだ? 読書好きなんだし」
「部活入る意味あるかなぁそれ」
――とにかくよかったよ、こうやって三人揃って入学できてさ。
そう言ってくれたことが、神谷は心の底から嬉しかったのだから。
「テニス部に入ると決めてはいるけど、ビラを見てるとちょっと迷うなぁ。体験入部くらいだったら他に行ってもいいかも」
「そっか、体験入部なら本格的にシゴかれることもないか……」
無限に続くように思える輝かしい青春の一ページ、その次をめくりたくて仕方がないとばかりに弾む会話を聞きながら辿り着いた体育館前。二人と同じようにきらきらと、あるいはどこか緊張しながら期待に胸を弾ませる同級生でごった返す入口までもう少しというところで、神谷は足を止めた。
「二人とも、悪いけど先に行っててくれないか?」
「どうして? え、というかなんで列にいないのさ?」
体育館の入口、その向かって右手にある駐輪場を一瞥して、神谷はいたずらじみた笑みを浮かべてちろりと舌を出した。前を歩いていた二人はもう体育館に吸い込まれる入学生の列のなか。ぐねぐねとうねる列を抜けるのは難しい。
「ここは一つ、デートのお誘いってことにしておいてくれ」
「は? いやおいなんだそれいつの間に抜け駆けかよぉ!?」
「そんじゃあまたなー」
牧野瀬の叫びを聞き流しながら腕を振って二人と別れ、神谷はくるりと反転、駐輪場へと足を向けた。
視線の先、駐輪場の屋根を支える鉄柱に背中を預けて睨み返してくる命の恩人に、神谷は躊躇いなく声を掛ける。
「待たせた?」
「……別にいいわよ。見てたから。友達なんだからそっち優先すればいいのに」
「いいや。いいんだよ。あいつらはさ、その気になればいつだって会える。夜間クラスの連中とは、そうはいかないだろ?」
八重鶴の言葉が頭を過ぎる。夜間クラスの授業、その大半は常に死と隣あわせだ。掃魔師のほとんどは複数で動く。となれば必然、相手のことを知っていないといけない。知ろうとしなければいけない。
「その気になれば会える、そんな程度のつながりじゃあ駄目だろ?」
「まぁ、そうだね。だからって和気藹々とした仲良しこよしのおままごとをする気はさらさらない」
「つれないなぁ。だからいままでずっとそれらしい友達もいなかったんじゃないのか、黒乃は」
言うと、神谷の命を救った恩人は、いまにも射殺しそうな視線を神谷に向けて鼻白んだ。
「……なにが大事か、その優先順位の結果だよ。別に――」
「――別に羨ましいなんて思っちゃいない、ってか」
「なぁっ――」
言わんとした気持ちを横取りされて、黒乃はむすっとふくれる。
「あんた、やっぱり性格悪いね。あのとき助けなきゃよかった」
「心にもない酷いこと言わないの。そんなんだから――」
「――友達いないんじゃなくて、できなんでしょう、って?」
「……なんだよ、分かってるじゃん」
「ばか。そういうあんたは全然分かってないじゃん」
「あ?」
黒乃が跳ねるように鉄柱から背中を剥がし、神谷の隣に並んだ。たんっ、と茶色のローファーが薄灰色のコンクリートを叩き、小気味いい音が響く。首もとで切りそろえられた髪が春風に吹かれて、散った桜が清潔な香りを運んできた。暴れる髪をされるがままになびかせながら、うららかな陽光を浴びながら、だのに涼しげな顔を浮かべて、黒乃は小さく、けれどはっきりと呟いた。
「友達ってのは、こういう軽口を叩くもんなんじゃないの?」
「……っ」
少しどきりとして、だから、なんだかやられたような気分になって、神谷は咄嗟に頭を巡らせて反撃に掛かる。
「……そういうキザったらしい台詞は無視するとして、助けなきゃよかった、は言い過ぎだぞ。洒落にならねぇだろ」
「おいこら無視すんな。零也が拾ってくれなかったら私が可哀想だろうが!!」
きゃんきゃんと叫く声を聞こえないふりして、神谷は続けた。
「だから、まぁ、なんだ……。そういう距離感を掴むサンドバッグにならいつでもなってやるから。良い感じに遠慮はしろよな?」
「っ……、そういう格好つけるの、これっぽっちも似合ってないから辞めたほうがいいよ」
「うるせぇよ」
こういう行儀の悪いやりとりも悪くないな、と思った。
ほんの少し恥じらい照れた顔が見られたのだから、加減のなってない軽口と引き換えでも充分なお釣りが帰ってきたようなものだ。
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