第4話:入寮

「――とまぁ、これで一通り必要最低限の手続きは終わったかな」


 一晩明けて土曜日。

 神谷は八重鶴に引っ張られるようにして掃魔師高専への入学に必要な諸手続をしていた。


 最低限の説明を受けながら、神谷は自分がどういう立場で合格したのかも知ることとなる。


「掃魔師高専って、特待クラスがあったんですね」

「特待という表現は妥当じゃないな。正しくは夜間クラスだ。神格の開放率が規定値以上じゃないと選抜されないのは確かだが、だからといってそれは学力的に優秀であることを証明しない。昼間のクラスとは比較にならないほど危険な授業を受けてもらうことになるんだ、卑怯だずるいだのと言わせないよう入学式で口を酸っぱくして釘を刺すことになっている」

「へぇ、なんて言うつもりなんすか?」

「霊魔相手に死ぬ覚悟があるって言うなら転籍してこい、その覚悟がないなら、不平不満は口にするな、能なしども、ってね」

「……そいつはおっかねぇ」

「君みたいな若人が前線で命を張って霊魔を祓うんだ、なにもかもがタダ同然というのは期待の裏返しというわけだ」


 学費は一切が免除。学食を含めた施設は他の学生と異なり全面的に無料で使える。それだけでも破格の待遇だというのに、加えて無料で学生寮に入寮できるのだという。


 いまはその寮へと向かっている最中だった。


「……つうか、俺みたいな奴でも本当に霊魔と渡り合えるんすかね。技とか術とか、そういうのほとんど知らないんですけど」

「さきほど君の神格を見させてもらったけど、素質は文句なしだ。戦い方さえ学べばすぐ最前線に立てる。ただ、命の保証はないけどね」

「うわ、最後のほう聞かなきゃ良かった」

「まぁ、自信は持っていてくれ。夜間クラスに振り分けされるのは本当に一握りなんだからね」

「そういや、試験の採点終わってるんですよね? ぶっちゃけ今年の夜間クラスってどんくらい集まるんすか?」

「んー……そういうの、入学したときの楽しみに取って置いたほうが面白くないかい?」

「それもそうか」


 とはいえ夜間クラスに振り分けられる生徒は例年それほど多くない。一般クラス――つまり昼間のクラス――が一学年あたり定員二百人に対して、夜間クラスは十人いればいいほうで、ここ数年はずっと一桁だ。


「友達できっかな……」

「そこは心配しなくても大丈夫。嫌が応にもチームの連携が求められることになるから。死にたくないでしょ?」

「うわぁ、嫌な脅しだ……」

「卒業しても掃魔師はチーム連携が求められるからね。独断専行する奴もいるっちゃいるが、余程のことがない限りは二人以上での行動が基本になる。とはいえ、実践の前に右も左も知らない神谷くんは座学で基礎知識をしっかりと頭に叩き込んでもらうけど――と、寮が見えてきたな」


 高専から徒歩五分の場所に建てられた寮は、真新しく、まるで新築のアパートのような外観だった。オートロックのエントランスには大型テレビや囲碁、将棋、麻雀、トランプといった娯楽品が並び、エントランスの奥には待合スペース、隣接する形でトレーニングルームやサウナ、温水プールまで備わっている。


「すげぇ……マジでここにタダで住めるんですか……」

「ああ、どれも使い放題だ。入居の手続きが済んだら好きにしてくれていい」


 神谷は爛々と目を輝かせる。祖父が所有していた木造建築の古い一軒家と比べるまでもない。最新設備の数々が使い放題となれば、退屈とは無縁になる。


「ふむ、昼間だから誰かいるかなとは思ったんだが……まあいい、上級生への挨拶は今度にしよう。まずは君の部屋を案内しないとね」


 八重鶴に案内されたのは二○一号室の表札が掛かったドアの前。


「はいよ、これが鍵だ」


 渡されたのは厚みのある長方形の銀板だ。神谷には読めない象形文字のようななにかが乱雑に刻印されているが、かろうじてアラビア数字の2、0、1だけは認識できる。


「カードキーなんすね」

「鍵はなくすと面倒だからな。カードキーなら、なくなっても高専ですぐに再発行できる。このパネルにタッチしてみな」


 指示されるがままカードキーをパネルにあてると、ピシャ、と機械的な音がして、ドアがスライドして左右に開く。視界の先にはコーティングされたぴかぴかのフローリング、玄関を抜けると右手には風呂場、左手にはキッチン、向かいは十畳ほどのリビング、その右隣にはこれまた広い和室ときた。


「都内だったら二十万弱くらいの広さだね。設備も最新だし」

「ふおおおおおお……、こ、これは……使いこなせる気がしないっす……」

「ま、あっても困らないだろ? ちなみに家具とか電化製品は一式揃ってるはずだ。入学式まで二週間あるし、足りないものがあったらあたしに言ってくれ。学校にそのまま申請するから」

「いやぁ、ほんと太っ腹だよねぇ。僕も最初はびっくりしたもんだ」

「いやほんとにそうっすね……って、え?」


 八重鶴とは違う聞き慣れない声がして神谷が背後を振り向くと、青髪碧眼の美少女が可愛らしく右手を振っていた。


「やあやあ新入生くん。ここに入居するってことは夜間クラスの子だね?」

「えっと……、いつの間に?」

「さぁ、一体いつからでしょうか? そんなことより自己紹介しておこう。掃魔師高専三年の氷室涼音です。この寮に住んでるんだ。気軽に涼音さんと呼んでくれて構わないぞ」

「神谷零也、です」

「うんうん。挨拶ができる子でよかったよ。ようこそレイヤくん、掃魔師高専へ。寮生が増えるのは嬉しいことだ。分からないことがあればなんでも聞いてほしいな。あ、ちなみにどうやってこの部屋に入ったかは教えてあげないぞ」

「あ、えっと……その、よろしくお願いします」

「ちなみに僕は唯一の寮生なんだ。同じ寮に住むんだし、これから仲良くしようね」

「え、あ、はぁ……」


 ぐいぐいと迫る氷室の勢いに気圧され、神谷は困り果てたように笑った。

 その様子に見かねた八重鶴が助け船を出す。


「おいおい氷室、そんなにがっつくな。折角少しは緊張がほぐれてきたところなんだ。ぐいぐい迫らなくても神谷は逃げたりしないから安心しろ」

「あはは、ごめんねやえちゃん。それもそうだよね。とはいえ、ほら、僕以外にいないわけだから、はしゃいじゃう気持ちも理解してほしいかな」

「……つまり、この寮は俺と氷室先輩だけってことっすか?」

「おおおおおおっ!! 聞いた聞いた!? いま、先輩って言ったぞ、この子!!」


 尻尾がついていたらぶんぶんと振り回しているであろう笑みで氷室がはしゃぐ。


「いやぁ、やっぱりいい響きだねぇ、先輩って!!」

「いまだって一つ下から散々そう呼ばれてるだろうが……で、一体何用だ? 挨拶だけならこんなところまでやってこないだろ?」

「やえちゃん、電話も出ないしどこ行ったか連絡もなくて捕まらないから伝言よろしくってクロエちゃんに言われてお使いだよ。一時間後にブリーフィングルームで会議だって。お題目は竜種の件で」


 八重鶴が眉間に皺を寄せた。


「…………ふむ、そうか」

「その反応……もしかして忘れてたでしょ。あるいは出ないつもりだったか」

「……いや、そんなことはないぞ。ただ、物事には優先順位というものがあるだろ? 教師として、もうすぐ教え子になる病み上がりの未成年を野放しにしておくわけにはいくまい?」

「クロエちゃんだって教え子でしょうが。やえちゃんさぁ、彼女の扱いがどんどん雑になってない?」

「いやぁ、クロエはさぁ……もうちょっとこう……育ての親から飛び立ってくれてもいいと思うんだよねぇ……」


 ばつが悪そうに八重鶴が頬を掻く。


「なんにせよ、氷室には迷惑をかけたな。ブリーフィングまで時間もない。……悪いが神谷くん、学校案内はここまでとさせてもらうよ。続きはまたいずれ」

「とんでもないっす!! 忙しいのに時間割いてくれてありがとうございました!! 確認ですけど、この部屋、もう自由に使っていいんですよね?」

「ああ、好きにしてくれ。それと、あたしの連絡先はさっき渡した学生証に載ってるから。困ったことがあれば連絡ちょうだい」

「うすっ!!」


 深々と頭を下げる神谷。じゃあね、と軽い調子の声とともに八重鶴と氷室が部屋をあとにする。


 誰もいなくなった部屋で一人、ぴかぴかのフローリングに寝っ転がって、大の字になった。


 昨日の今日で、まるで地獄の底から天国にやってきたような心地だった。感情の浮き沈みも自分の於かれた境遇もジェットコースターに乗っているかのようで、正直、実感がまだ全然追いついてこなかった。心も足元もふわふわとしていて、八重鶴の学校紹介だってろくすっぽ頭に入っていない。


 嵐のような時間が過ぎ去って、いざ一人きりになると、騙されているのではないか、と不安な気持ちが過ぎる。無理矢理忘れるようにぶるぶると頭を振った。浮き足立ったままでいるのは今日でやめにしなければならない。


 だって、ここはもう、目標にしていた舞台なのだ。

 それはつまる話、夢を叶えるためのスタートラインに立てたということ。

 そして、死と隣あわせの世界に足を踏み入れたことに他ならない。


「マジで俺……掃魔師、目指していいんだよな」


 天井に手を伸ばし、掴んだ学生証に刻まれた名前を何度も指でなぞりながら、深く息を吐く。


「……やるだけやってやる」

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