第3話:通知
目覚めると、見慣れない天井だった。
「っ……ここ、は…………」
神谷は両腕でベッドの手すりを掴んで身体を起こす。
どうやら病院の個室のようだ。枕元にあったデジタル時計は真夜中の一時過ぎを指している。淡い白球灯の光が眩しく感じて瞬くうちにぼやけた視界が部屋の隅に白衣姿の人影を結ぶ。
「誰、だ……」
「お、こいつは意外と早いお目覚めだね」
両手を白衣のポケットに突っ込みながら近寄ってくる女医(?)が微笑んだ。ただそれだけなのに絵になるような美人だった。
「あんたは一体……う、ぐっ……!!」
少し身体を動かしただけだというのに、引き裂かれるような痛みに襲われ、神谷は苦悶の表情を浮かべる。
「安静にしていたほうがいい。その右腕、ちょいと強引に治したからね。まだ痛むだろう?」
「そ、そうだ……俺っ、千切られたはずなのに、なんで腕、治って――痛っ!?」
「ああもう、だから動かすなって言ってる。ちょいと無理やりくっつけたから神経が馴染むまで二日はかかるぞ。まして失血量も酷かったんだ、立ったところで貧血になってまた倒れるのがオチだな。大人しく横になっていろ」
言われて神谷は大人しくベッドに身体を倒した。全身に気怠さを感じるのもそれが理由か、と納得する。
「つうか、ここはどこなんだ? あと、竜人種はどうなった? 俺を助けてくれた子は?」
「待て待て、そんなに質問攻めにされてもいっぺんには応えられん」
女医がベッドの側にあった丸椅子に腰掛ける。
「まずは自己紹介だな。あたしは
「あの子が、掃魔師……」
「掃魔師と言っても、まだ十五歳。ワケあってこの四月から掃魔師高専に入学することが決まってる」
「そんな歳で掃魔師だなんて……」
「しかも準一級」
「えっ」
神谷は耳を疑った。
「準一級……って、いまは百人もいないっていう超エリートじゃないですか!?」
「そうだよ。紛れもなくエリートだ。そもそも高校生で準一級なんて他にいないしね。ちなみに今日の数学の試験で君の隣に座っていたよ」
「はっ……? いや、え、なんであんたがそれを……」
「ん? あ、そうかそうか、この格好じゃあ気がつかないのも無理ないか」
言って八重鶴が黒縁眼鏡を掛け、髪留めをさっと付ける。
そのポニーテールの姿には見覚えがあった。
「あ、試験官……」
「ご名答。君の消しゴムを拾ってあげた先生だ」
「よく俺のこと覚えてましたね……」
「まさかこんな形で再会するとは思ってもみなかったけどね」
「それはお互い様です。ただ、ここを出たらもう、この学校にお世話になることもありませんけど……」
そう。消しゴムを落とした数学の試験で神谷は壊滅的な失敗をした。
まるまる一つの科目を捨てたようなもの。他のテストが満点でも、きっと合格には手が届かない。
そんな現実を思い出して、涙が溢れるのを必死に堪える。
「テスト、失敗しましたから……」
「失敗、ねぇ……」
「……数学のテスト、頭の良い友人と答え合わせをしたら、俺だけ違う回答だったんです。だから……駄目だったんです。掃魔師高専には合格、して、ませんから……」
初対面の相手を前に、いよいよ吐露してしまった。
「掃魔師になりたくて、頑張ったんですけど、届かなかったんです……」
「どうして君は掃魔師になりたいんだい? さっきみたいな霊魔に襲われて、恐ろしいと思わなかったのかい?」
「正確には、なりたかった、ですけどね……」
神谷は自嘲気味に笑う。
「俺、すげぇ小さいときに両親を亡くして、ずっとじいちゃんに育てられたんです。じいちゃんも霊魔に襲われて死んじゃったんですけど……そのじいちゃんがいつも俺に言ってたんです」
――みんなから愛される人になれ。
「愛されるにはどうすればいいかって聞いたら、霊魔をたくさん倒して、世の中の平和に貢献すれば、きっとみんなから愛される、って。まぁ、目指してた理由はそれだけじゃなくて、ほとんど覚えてない両親の敵討ちとか、神能はちょっとだけど使えるから、俺みたいに不幸な人が減ればいいなとか、個人的な想いもありますけど……」
――そうすりゃ、きっと、零也も誰かを愛せるようになる。
「俺は誰かに愛されたいんだと思います。すげぇ独善的かもしれないっすけど、みんなに必要とされたいっていうか、大事にされたいっていうか……ああ、なんかうまく言えねぇな……」
「なるほど。君はその言葉をくれたおじいさんに愛されていたし、君もまたおじいさんを大事に思っていただろう?」
「そりゃあもちろん。ただ……もう、この世にはいないっすけどね。今日、ちょうどじいちゃんが死んで百日目なんです。それで墓参りに行ってたんですけど、土産話も持って行けないし、死にかけるしで、ほんと最悪ですよ……」
「そいつは災難だったな……ただ、君は一つ大きな勘違いをしている」
「なんすかそれ……」
きょとんとした顔で問う神谷に、八重鶴は柔らかく微笑んだ。
「人を愛し、愛されるために掃魔師になりたい――その心意気やよし」
そして、白衣のポケットから真っ赤な手帳を取り出して、神谷に枕元に置いた。
「数学のテストには一つ細工をしてあってね。受験者していた君たちには分かるはずもないんだが、あれは学力の他に、もう一つ、まったく異なる素質を測るための試験でもあった」
「……素質?」
「そう。問題用紙に触れた瞬間、神能開放率が一定値を超えている者にだけ、まったく別の問題にすり替わるという細工を施していたんだ。だから、神能が使える君はみんなとは違う問題を解いていたというわけだ。無論、あたしが採点をした。結果は問題ないし、なんなら満点だったよ」
「…………は、え?」
「だから心配しなくていい、君は問題なく掃魔師高専に入学できる」
「嘘じゃ、ないんですよね……?」
「衰弱してる病人に追い打ちを掛けるような極悪人に見えるかい?」
「そ、それじゃあ、本当に……マジで、掃魔師高専に、入学できるんすね!?」
「ああ。そいつはあたしが保証するよ。入学前の手続きもあるし、明日は休日だけど君にはやってもらうことがそこそこあるから、いまのうちにしっかり休んでおくといい」
「…………分かり、ました」
「嬉しさ極まって言葉もない様子だね。上々だ。じゃあ、とりあえずいま説明したいことは伝えたから、諸々はまた明日以降にね。お大事に。ああ、なにか異変を感じたらそこのナースコールを押してね」
颯爽とした足取りで病室を後にした八重鶴の足音が遠くなっていく。
やがてほとんど無音になった病室で、神谷は目頭を抑えて嗚咽を溢した。
「……じいちゃん……俺、やったよ…………」
まだ、スタートラインに立っただけのことだけれど。
夢を叶えるための第一歩を踏み出すことができたのだと。
日を跨いでしまったけれど、神谷はようやくこの日、天を向いて涙混じりの笑みを浮かべた。
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