第2話:邂逅、竜人種 - 後

 ファミレスを出た神谷はそのまま電車を乗り継いで、地元から離れたとある駅へと降り立った。ほとんど誰も乗り降りしない寂れた駅の改札を抜けて、隣接するコンビニで一束のチューリップを買う。線路を渡れば目と鼻の先に広がるのは薄闇の深い霊園。県下有数の霊園とあって、広大な敷地を突っ切る大通りは綺麗に舗装されている。街灯や標識も整備されているから道に迷うことはないが、やはりまだ桜が咲く前とあってか華やかさは微塵もない。身を切るような冷気と不気味な静けさが支配している。


 なんとはなしに足早に大通りを突っ切ると、そのまま見慣れた脇道へ入る。すぐに見えてくる分かれ道を右へ曲がった一角、その最前に並ぶ墓標の前で神谷は立ち止まった。


 ――神谷家之墓


 母が物心ついた頃に死んだ。父は母がいなくなってから一所懸命に育ててくれたが小学校を卒業する間際に死んだ。その後、父方の祖父に引き取られて、その祖父も死んだ。


 誰もが不審な死を遂げた。

 警察と掃魔師が必死に原因を突き止めてくれた。どれも、霊魔の仕業だと知った。


 この世ならざる者。幽霊とも悪霊とも違う。悪魔や死神の類いでもない。

 出現する原因は不明。出自も知れず。異世界からの侵略者とも、世界を滅亡させるために送られてくる異界からの使者とも揶揄される存在。

 そんな、得体の知れない化物どもに、神谷掃魔は家族をみなごろしにされた。


「…………久しぶり、じいちゃん。それに、親父も、母ちゃんも」


 先日に降りしきった雪の名残を払い、少し悴んだ手で黒曜石の墓標を撫でる。

 それからチューリップを供えると、じっと墓標を見つめて、溢す。


「……俺、掃魔師になれないかもしんねぇ」


 両親と祖父が残してくれた資産は潤沢ではなかった。塾に通えているのも成績優秀を維持して塾費免除の特待生だったからで、高校になればそれもリスタート。入学資金だけでも手一杯なのだから塾に通えるはずもない。生きるためにバイトだってしないとならない。


 だから、ここで落ちれば夢は諦めるしかない。

 その覚悟で挑んだはずだったのに。

 たった一度の機会。

 それを、こんな形で棒に振るだなんて。

 悔やんでも悔やみきれない。


「…………っ」


 目から零れて頬を伝う熱い雫を学ランの袖口で拭い、奥歯を噛みしめる。

 なんて不甲斐ないんだろう。このままじゃあ成仏しようにしきれないはずだ。


 けれどもう、夢への道は閉ざされてしまった。


 夢は諦めなければ必ず叶うなんて、嘘だ。それは強者の理論だ。

 夢を追いかけることができる環境にいなければ一歩を踏み出すことさえできやしない。


 地獄の底まで突き落とされたら、蜘蛛の糸という奇跡を願って縋ってしがみつくしかない。

 そして、そんなものは存在しないことを神谷は知っている。


 奇跡は起こらない。女神は微笑まない。

 この世界に神がいるのなら、両親も祖父も死んでいいはずがないのだから。


「これからどうすればいいんだろうな」


 祖父ならば夢破れた神谷に道を示してくれたかもしれない。

 母ならば慰めてくれただろうか。

 父ならばへこたれるなと叱咤してくれただろうか。


 もう、誰もいない。すべて奪わてしまった。


 霊魔さえいなければ。自分にもっと力があれば。神能を使いこなせれば、みんなを救うことができたかもしれないのに。

 墓標の前で拳を力強く握りしめて神谷は祈る。


 ――どうか、天国で安らかに。


 そう、祈りを届けた直後だった。


「――ッ!?」


 強い地響きに地面が揺れ、神谷は咄嗟に屈む。直後、頭上で空を薙ぐような突風が吹きすさんだ。


「っ、い、一体なにが――」


『……チィ、避ケヤガッタカ……』


 擦れた布のような声音が背後で響く。恐る恐る振り返って、


「――霊、魔……だとっ」

『ケヒッ、俺ヲ、見タナァ!? 死ネバイッソ恐怖モ後悔モシナクテ良カッタノニナァ!?』

「――!?」


 真紅の眼に、鰐のように伸びた顎と剥き出しの牙、鋭く尖った鉤爪に蛇のようにくねる尾、そして全身にびっしりとまとわりつくは気色の悪い極彩色に彩られた無数の鱗。


 霊魔――竜人種リザードマン


 なんで、こんな上級位の霊魔がここに。

 とにかく逃げなければ。

 殺される。父や母、祖父と同じように。


「やばい、やばいって!?」


 跳ね起き、無我夢中で脱兎の如く逃げる。


 他人の墓に供えてあった花立を投げつけて足止めを図るが、竜人種は眼前を飛び回る蝿でも払うように爪を振るい、粉々に粉砕してみせた。やはり物理攻撃はまるで無為だ。銃弾だって効きやしないのだから鉄瓶を投げつけた程度でどうにかなる相手ではない。


 そして霊魔に遭遇したが最後、神能を操れない人間に抵抗する手段などない。


『逃ゲラレル、ワケガナイダロウ?』


 ケラケラと竜人種が嗤った。

 その刹那。


「――うわっ!?」


 神谷は見えない壁に激突し、その場に尻餅をついた。


「……まさか、結界!?」

『獲物ハ、逃ガサナイ』

「っ……!?」

『ケヒ、ケヒヒヒヒヒヒヒッ』


 振るわれる鋭爪を転がるように躱し、神谷は逃走を試みる。

 だが竜人種は人外の跳躍で一気に距離を詰めると、不気味な声音で叫びながら鉤爪を振るった。

 誰家のものとも知れない墓石が豆腐のようにスライスされていく。悪夢のような光景。けれどまだ悪夢は醒めない。


『早ク、死ネ』

「――っ!?」


 竜人種が行動を起こす前に、神谷はその場から飛び退いた。

 同時、神谷がいた場所に黒曜石の石版が幾重にも突き刺さる。


「ちっくしょうが……っ」

『足掻クナ、死ネ』


 切り裂かれた墓石が逃げ惑う神谷の足元へ次々と突き刺さる。竜人種の霊力が満ちる結界内では、霊気に取り憑かれたものは有機物だろうが無機物だろうが霊魔の思うがまま。


 結界の外へ逃げ出す手段もない。状況はどんどん悪くなっていく。

 ただ逃げ回っていても埒が明かない。助けが来る気配もない。そう分かっていても、この窮地を切り抜ける術がない。


 絶体絶命。ここで自分も殺されるのか。

 そう弱気になっていたからかもしれない。神谷は竜人種の張った罠に気付かず、


「が、あっ――」


 土を踏んだはずの右足に刺すような痛みが走った。釘のように尖った石が、肉を抉って深く突き刺さっている。激痛に立っていられず、思わずしゃがみ込んだ。追い打ちを掛けるように竜人種が操る岩盤が背中に激突し、その衝撃で視界が一瞬真っ暗になる。


 気付けば横に倒れていた。

 背中が燃えるように熱い。失血量が酷くて、視界がぼやける。

 だが、眼前に迫り来る霊魔の気色悪さだけははっきりと分かった。


『手間ヲ煩ワセヤガッテ』

「まだ……だ…………っ」

『瀕死ノ餌ニ何ガデキル……』

「歯ぁ食いしばれ、化物っ!!」


 神谷はなけなしの力を振り絞り、震える右手を竜人種に突きつけると、銃の型を作った。

 そして、


「神能解放――射貫け雷閃、ライトニング・レイ!!」


 刹那、神谷の指先から一条の雷撃が放たれ、銃弾さながらに竜人種の肩口を抉る。


『ギャ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』


 劈く悲鳴が谺する。結界が張られていなければ、耳を聾する霊魔の叫びに異変を感じる誰かが駆けつけてくれたかもしれない。

 そんな、奇跡みたいなこと、起こるはずもないのに。


『ヨクモヤッテクレタナァ……ッ!! 貴様ハ微塵切リニシテヤル!!』


 本当は頭蓋を狙ったつもりが、大きく外した。むじろ中途半端にダメージを与えたことが逆鱗に触れてしまったのだろう。

 神谷には、もう抵抗する力は残されていない。

 これでチェックメイトだ。


「…………ははっ」


 力なく、諦念の混じった笑みが零れた。

 独自に練習してきた神能も不発となれば、あとは情け容赦なく嬲られるだけ。


(じいちゃんと同じ場所にいけるかな……)


 失血のせいで頭がぼうっとしてきた。もう意識も途切れ途切れだ。無惨に殺されて、遺体は残るだろうか。誰か、葬儀をやってくれるだろうか。そういえば霊魔に喰われた人間の魂は永遠に成仏しないんだっけ。ああ、つまりそれって地縛霊になるってことだよな……。とことんツイてない。最悪だ。


 なんのための人生だったんだろうな……。


 虚しい。

 悔しくて、情けなくて、理不尽と不条理とやるせなさでいっぱいになる。

 誰かのためになりたかった。誰かを助けられる存在になりたかった。


(所詮、俺は何者にもなれなかったんだ……)


 救う側でも、救われる側でもない。この世界にいてもいなくても同じ。


『死ネ、死ネ、死ネッ!!』


 怒り狂った竜人種が鉤爪を振るう。伸ばした右手の肘から先が虚空へと吹き飛んだ。能が麻痺しているのか、痛みももう感じない。今度こそ終わりだ。


『死ネエエエエエエエエエエエッ!!』


 神谷の右腕をお切り飛ばした鉤爪が喉笛へと迫る。神谷に止める術はない。

 だが、その瞬間。


『イ、ギィアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』

「――そこまでだ、竜人種」


 絶叫に混じって凛とした声が響いた。喉笛を引き裂きはずだった竜人種の、肘から先がどさりと音を立てて神谷の目の前に転がる。


「一体、なに、が……」

「傷に響く。じっとしてな。すぐに終わるから」


 声がした。自分と同じか、あるいは年上か。低く、それでいて信頼のおける力強さの宿ったその子の胸元に光る、掃魔師であることの証。

 そこに、いまではもう見慣れてしまった紋章を見つけて、神谷は安堵する。


 どうやら、神様はまだ見捨てたつもりはないらしい。


「わりぃ、たの、んだ……」


 任せて、という返事が聞こえた気がした。

 神谷の意識はそこで途絶えた。

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