#52 仕掛ける側vs仕掛ける側

「サヘラ、かしら……?」


 背後に気配を感じてフラウスが呼びかけた。

 足音と共に物陰から身を出したのはフラウスの言う通りにサヘラであった。


 無意識に出していたついさっきの独り言を自覚する。

 ……聞かれていただろう。


 ……油断した。

 フラウスはこの状況を運のない偶然だと思っていた。


 しかし、なるべくしてなったと言うべきだ。

 サヘラがこの場にいる事が証明になるが、彼女を丸め込むのは正直に言って難しい。

 言葉を溶け込ませても、全体を見るサヘラには一つの言葉が埋もれていたら気づいてしまう。


 なぜなら、サヘラはフラウスに似ている。

 ……彼女は仕掛ける側の人間だ。


「シラユキの事を任せたはずだけど……?」

「うん、任されたよ。でも、どう行動するかは私に委ねられてるはずだけど?」


 シラユキから離れようが、強制していない以上、サヘラの勝手ではある。


「任せたって事はあの子の傍にいて介抱を手伝ってあげなさいって意味なのよ。

 こんな場所まで出て来て……危ないじゃないの」


 フラウスが移した視線の先には倒れている三人しかいないが、さらに奥からは戦いの音が聞こえる。

 危なくないとは言えないが、危ないとも言い切れない微妙な状況だ。


 命を皿に乗せて、サヘラたちをここから遠ざけるための理由に利用したとしか思えない。

 サヘラはフラウスの避難勧告を無視した。


「……マスターがやったの?」

「なにを、かしら」


「あの二人を対立させた事。さっき、タルトとの会話を聞いてたの。あんな感じでフルッフにも同じように仕掛けたのかなと思ったんだけど……違う? 一方が違くてもいいけどタルトを煽ったのはマスターだから言い逃れはできないよ。……なにを企んでいるの?」

「企んでいる、だなんて……そんなサヘラみたいな事はしないわよ」


「え、するでしょ。もしかして裏表のない八方美人を演じ切れているつもりでいたの? それは無理だよマスター。自分のシナリオ通りに人を動かそうって腹積もりが透けて見える。腹の内側が真っ黒だもん。同族嫌悪ではないけど、似ている人は目に止まるものだし」


 周囲が自分の話題を話している時、たとえ遠くだったとしても耳に入るように。

 自分と本質が似ている人がいれば、目がその人を捉えてしまうように。


「……やっぱり、あなたは一番最初に対処をしておくべきだったわね――」


 閉じ込めておくか意識を奪うか、とにかく自由意識を潰しておくべきだったと後悔する。

 サヘラもそれには同感し、頷いていた。

 ――私でもそうする、と。


「対処をしなかった今回が悪いんだし、あんまり悩まなくても……。

 ところで本当になにをしようとしていたの? 別に止めたりしないから話してよ。私たちは似ているんだし」


「似ているなら私の頭の中くらい想像できそうなものだけど、そこまでではないのね」

「似ているなら相手の口から言わせる事に意味があるのだと、分かるはずだけど?」


 フラウスは口には出さないが、生意気だな、と笑みを見せる。

 サヘラは聞こえていないはずの透明な言葉に、でしょう? と同程度の笑みを返した。


 一息吐いて観念したらしいフラウスが語り始める。


「私には夢があったの……この街の市長になる事よ。理由はごく普通よ? 良い職業に就けば幸せな生活が送れる。

 ……夫に逃げられ、生活の苦しくなった私が目指す場所としてはぴったりだったのよ。

 元々、信頼を得る事は得意ではあったし……投票制であった事もあり、楽をして手に入れる事ができると思っていたの。

 実際、あと少しだった――、邪魔さえなければ」


「今の市長から横取りされた?」


「若い、可愛いってだけでほとんどの票数を持っていかれたわ。

 知っているかしら? 裏亜人街にいる者たちのほとんどは私の支持者だったって事。

 とは言っても、今の繋がりなんてなにもないけどね」


 それはサヘラもなんとなく分かっていた。

 裏亜人街の人がフラウスの話題を出す事はほとんどなかったからだ。


 フラウスは結局、選挙時だけの人だったのだろう。

 しかし、かつて支持していた者たちが集まっている裏亜人街は、フラウスにとっては切り札になる。

 切り札にも捨て駒にもできる都合の良い者たちだ。

 懐にそれを潜ませているだけでも余裕も自信も明確な形となる。


 だが、今となってはその手札も意味をなすかどうかは怪しい。

 サヘラとフラウスが対立をすれば、支持者もまた分立するのだから。


「若くて、可愛いだけだからで今の市長が市長になったわけじゃないと思うよ。

 マスターと同じように信頼されていた。なによりも体を張って戦うなんて事、マスターにはできないし」


「できないわけじゃないのよ? しないの、そんな意味の薄い事。

 やるなら色濃く反映される行動をしないと。私は小さな労力で大きな結果が欲しいのよ」


「その差じゃないのかな」


 サヘラは核心をつく。


「利益を計算して住民を守るのと、考えずに体が動いてしまうくらい本能的に住民を守る人であれば、私は後者を選ぶよ。

 ――なんだ、マスターは単純に人の上に立つ資質で負けただけじゃん。

 ちょっと同情しちゃったのが馬鹿みたいだよ。ただの実力不足」


「へえ、言ってくれるわね。あなただって私と同じ事をするでしょうに」


 そりゃそうだね、と否定をしなかった。

 言葉が受け流されている気がする。


「でも私は別に市長を目指してはいないし。

 上に立つよりも下でこそこそとしていたい性分なの。だから黒百合会会長って肩書きもいらないんだけどね……」


「こそこそ、ね……」

「で。タルトとフルッフを対立させた意味は? マスターが会長になる事に関係があるの?」


「あるわよ。対立よりもフルッフに街を襲わせた時点で大前提はほとんど完了しているようなものよ。楽をしたい主義だからね、タルトを使って共倒れ、あるいはフルッフを打ち負かしてくれれば……もしくは厄介な発言力を持つタルトを再起不能にしてくれれば助かるわ。

 後はどうとでも言いくるめられるのよ。

 街を襲撃された責任はロワに取らせ、街を再興させるための次の市長候補として上がるのは私になる。これでもマスターとして顔は広いし、誰もが信頼してくれるように仕込んでもいた。私の言葉で丸め込めない人はいないってくらいにね……。

 サヘラ、あなた以外だけど」


「市長になってどうしたいの?」


「どうもこうも……幸せな生活を送りたいだけなのよ。もちろん仕事もするし理不尽な法律も独裁的な行動もするつもりはないわ。ごく普通の権力者として任された仕事をこなし、見合った給料を貰い、今の生活から脱却する。どん底生活から這い上がれればなんでもいいのよ」


 なんでもいいと言いながら、最高クラスを選ぶところがフラウスらしさであった。

 それにしても、フラウスでどん底であれば、負け犬通りの住民はなんと言えばいいのか。

 ……フラウスが語るどん底は、あまりにも贅沢過ぎる水準にある。


「私は、普通の市長になりたいだけなのよ」

「なるまでの方法が普通じゃないでしょ。マスターは犠牲を出す成功を認めるの?」


「成功は犠牲の上に成り立つものよ」

「ふーん。じゃあ、タルトか、フルッフのどちらかが死んでもいいと本気で思ってるんだ」


「……だとしたら?」

「もちろん、止めるよ。一人も欠けさせやしない……っ」


 僅かに腰を落としたサヘラを見たフラウスは、体勢をまったく変えなかった。

 ……人間なら特性がない分、戦闘能力はない。

 警戒するべきはサヘラの言葉の方だ。


 なにが導火線になり爆弾に繋がっているのか分からない。

 大した事のない一言が最低最悪の地雷となっている可能性も高い。


 サヘラはそれを好むだろう。

 相手に『そこにはなにもないだろう』と思わせた時点でサヘラの思い通りなのだから。


 サヘラに合わせて腰を落とし、力を入れるのも危ない。

 八方に力をいつでもかけられるようにリラックスをしている事が重要になる。

 リラックスをしていれば視界も広がるのだ。


 だから気づいた。

 ……物陰の後ろ、サヘラではない別の誰かが最初からそこにいた。


 聡いフラウスはすぐに気づいた。


 その正体が、誰であるかという事を。

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