#45 白く輝く銀色の竜

【一方その頃……フルッフは】


 地上と地下、前へ進む両者は知らぬ間にすれ違っていた。

 地面が隆起し五本指の機械の腕が地上へと真っ直ぐに飛び出る。

 地面に手の平をつけて、次に出てきたのは腕に肩に頭。

 最後に足を抜いて地上に立った二足歩行の機械が気絶している亜獣を見つける。


 巨大カマキリだが人型機械の腰程度の大きさしかない。

 普段見る光景に比べて小さいと思ったが自分が大きくなっているのだとフルッフは自覚する。


 興味本位で腕を伸ばしカマキリをつついて起こしてあげようと操作したら勢い余って手の平で圧死させてしまった。

 亜獣の体内から出た血液が手の平にべったりとくっついている。


「しまった……、レバーの入れ具合が難しいな……」


 レバーとスイッチ操作を繰り返して体に覚えさせる。

 手を握ったり開いたり。軽くつまんだつもりでも亜獣を握り潰してしまうくらいの力が出ていると把握しておくべきだ。


 想定よりも強い力、と思っておこう。


「ぐっ、歩き方も、まだぎこちないか……ッ」


 躓いたわけでもなく転ぶ事はないが、障害物に足を取られたら恐らく操作でカバーできない。


 頑丈な装甲であるため転んだ程度で復帰不可能なダメージを受けるとは思えないが、戦闘であれば大きな隙になる。

 転んで上手く立ち上がれるかどうかも怪しいのだ。

 説明書などがついているわけもなく、手探り状態のままここまで来れたのは奇跡だと言っていい。


 難易度の高いだろうロッククライミングをしてここまで来たのだが。

 恐らくもう一度する機会があれば同じようにはできないだろう自信がある。


 ――ここまで、亜獣とは出会わなかった。

 この姿に恐れをなしたか偶然にも出会わなかっただけなのか……なんにしても運が良かった。

 戦闘を繰り返して操作を無理やり覚える機会はこなかったが、ゆっくりと着実に前に進む事で歩行のぎこちなさは取れた気がする。


 まだ歩いただけだ。

 ……それ以外に備えられた機能には手をつけていない。


「あ、壁、か……ここは亜人街の、包囲壁……」


 壁に沿って上を見れば、宙に浮いている八本足の亜獣がいた。

 見えないだけで張り巡らされた糸の上に乗っている亜人街の番人だ。

 巨大蜘蛛は人型機械に気づきこちらを一瞥したが、餌ではないと認識したのか興味を失い視線を逸らした。


「糸……そう言えば亜獣が乗っても頑丈ならこの体も支えられるか……?」


 包囲壁に守られている亜人街へこの人型機械を中に入れる事はできない。

 壁を掘って開通させるのは論外であるが、それよりも壁を越えた方が早いと思って、糸を使って登れないかと試してみる事に。


 糸を掴んですぐに分かった事だが粘着性が高く握った手が離れない。

 左右上下に振っても糸が手から離れる事はなかった。

 そのまま餌が網にかかった様子だろう。

 さっき視線を逸らした巨大蜘蛛も、網にかかったのなら……、と近づいて来る。


 画面いっぱいに巨大蜘蛛の姿。

 たとえ敵意がなくとも直視しづらい光景だった。

 体毛に覆われた体に不快感を覚え、フルッフは恐怖によって震える手を無理やり動かす。

 握っていたレバー以外にもがむしゃらに触れたスイッチがいけなかったのか、重力が上に感じた。


 違う。


「――僕が、落ちているんだ!」


 亜人街の上空映像からすぐ、フルッフが見ている画面には瓦礫の山と下敷きになっている多くの者と逃げ惑い混乱している人々によって埋められていた。

 外の音も拾い、フルッフに届けてくれている。

 悲鳴だ、泣き声だ。

 怒り、戸惑い……しかし誰よりも状況が分かっていないのは張本人のフルッフだった。


 どうして亜人街にいるのか――壁を破壊していなければ考えられるのは、


 どのスイッチを押したのか分からないが、操作によって人型機械は空へと舞い上がった。

 そして最高到達点から重力に従い真っ逆さまに落ちた。

 真上ではなく斜め上に飛んだからこそ亜人街に入れたわけだが、落下した事で街を一部大破させてしまった。

 しかも人口密度の高い三番街……商店通りを下敷きにしてしまっている。


 フルッフは血の気が引いた。

 事故とは言え人殺しをしてしまったかもしれないのだ。


 いや、確実に誰かは死んでいる。

 この衝撃で、これだけ重たいものが落下し、その下敷きになったのだ、たとえ亜人だろうとも命はないだろう。


 新しい人間の遺物を披露して高度な技術を利用しサヘラの誤解を解くどころか、これでは差別にますます拍車をかけてしまう。

 サヘラを救うつもりだったのに逆に貶めてしまってどうする――、自分を責めるフルッフは、


「僕が、悪役になればいい……。

 人間はまったく関係ない僕が作った兵器で僕が侵略しようとしたのだと説明すれば、悪意は全て僕に向く――」


 サヘラへの悪意がこれでなくなるとは思えないが、今より悪化するよりはいい。

 それに、フルッフの中に生まれたある感情が破壊衝動の源になっていた。


 サヘラを救うために差別をなくせば亜人たちはサヘラを好意的に見るようになる。

 人間はこの世にたった一人だけなのだ、サヘラは引っ張りだこになり、人気者になるのは間違いない。

 そうなるとサヘラはきっと構ってはくれなくなるだろう、忙しくなるだろう、互いの時間を合わせる事も難しくなるだろう。

 ……想像してフルッフは、サヘラに群がる人々を嫌悪した。


 ただのイメージだが、兵器を使って掃射したりもした。

 やり方は違えど、今みたいに。


 カフェのマスター、フラウスにも言われた――


 家族と自分を助けてくれたサヘラを普通の友達とはもう見れなくなっていた。

 独占して誰にも取られたくなくて、自分だけを、いつでも優しく見てほしい存在になっていた。

 その感情をなんと言うのかはフルッフには分からなかったが、きっと知る者はこう呼ぶのだろう。


 好意を越えた愛情を……恋と言う。


「……僕が捕まればサヘラの悪意は多少減るだろう。このまま亜人街を殲滅すれば、サヘラを独占できる可能性が高くなる――。

 どっちにしても僕の望む方向へ辿り着くのか。――最善だ」


 すぐさま出て来そうな調査隊隊長と幼馴染のタルトは姿を現さない。

 サヘラは市役所にいるだろうからそこには手をつけないように……。

 それにしても、落下した時に市役所を破壊していなくて良かったと本当に心の底から安堵する。


 サヘラを潰してしまっては全ての意味がなくなるのだから。


「そうか、タルトは僕を追ったのか……隊長もそれについて行って――なるほど、運が良い」


 亜人最強が立ちはだかればこの兵器でも倒せるか危うい。

 機能に劣っている面がなくとも操作本人に問題ばかりがあるのだ、隙を突かれて負ける未来が容易に想像できる。

 と、そう想像できるフルッフの隙を突くのは難しいものだが、本人に自覚はなく。


「今なら……ッ」


 震える手が固まってしまって動かない。

 指先一本動かすのに数十秒ほど力を入れなければ動き出さない。

 これは恐怖だ。


 罪悪感。

 覚悟のなさ。

 自分は簡単に犠牲にできるのに、他人になると簡単にはできなくなる。

 悪の道へ踏み出せないフルッフは、まだ戻れる位置にいる。


 時間をかけてなんとか立ち上がった人型機械だが、ここから具体的にどうすればいい?

 突発的なもので、しかも乗っているのは未知の遺物。

 想像ができないし、したところで想像を越えられてしまっては無計画と同じだ。


 立ち上がったまま動かない人型機械の中、操作室のフルッフは呼吸を荒くし汗だくになっていた。

 緊張感だけではなく、熱い……操作室が機械によって熱せられているのだ。


 冷却装置も普通はあるはずなのだが故障しているのか機能していない。

 スイッチをオフにしてしまっているだけかもしれないが、過去の遺物だ。

 期待はできない。


 熱さも加担し、フルッフの意識を朦朧とさせていく。

 さっきから、正常な判断ができているのか、フルッフ本人でさえ自信がない。

 自分は今なにをして、なにを成そうとしている。


 誰のどの言葉が原動力になっているのか。


「はぁ、はぁ……熱い……ッ」


 落ちかけた意識を支えるために体重を乗せたレバーが前へ倒れ、右腕が意思とは関係なく正面の地面へ拳を叩き付けた。

 ……多くの人がいた、それを潰した事になるのだが、汗で視界が歪んでいるフルッフにはその結果さえ認識できていない。


 だから、拳が受け止められた事にも気づいていなかった。

 誰かが言った。


「市長……」


 銀の翼を広げ、体の皮膚を銀色の鱗に変え、両腕で人型機械の拳を受け止めた、市長。


 彼女は決して戦闘タイプではない。

 今も受け止めたはいいが防御し損ない、額から血を流している。

 躾をするために叩いても、勝つために人を殴った事などない。


 人とのコミュニケーションを取るのが得意ではなく、効率を考え業務的な口調で私情を挟まない。

 だけど誰よりもこの街を大切にし、大好きで、自らが盾になって守るからこそ、


 彼女はこの街で市長を務めている。


 冷たい言葉に傷つけられた者は多い。

 だがその言葉は自分を想っての事だと気づいた者は全員、市長の虜になっているのだ。

 人を人と見ていないかのような扱いは大好きだからこその裏返し。

 事実はどうあれ、彼女を支持する理由の大半がそれに絞られる。


 示し合わせたわけもなく、誰かが言ったから続いたわけでもなく、自発的に全員が、


「市長――頑張れっ!」

「ロワちゃん、負けないで!」

「あんな怪物、やっつけちゃって!」


 その声には指摘したい部分もあったが、市長はその声援を受けて支えていた機械の拳を、はッ、という声と共に押し返す。


 押し負けたフルッフはバランスを崩しそうになり、一歩下がった足で踏ん張った。

 市長を見下ろす位置関係になる。

 向こうは操作室にフルッフがいるとは思ってもいないだろう。


「それがお前の選択なら――付き合ってやろうか」


 まるで操作しているのが誰なのか知っているような口ぶり。

 カマをかけただけだ、とフルッフは唾を飲み込み朦朧とする意識を集中させる。


 勝てないわけではない、はず……。

 市長が強いという噂は聞かない。

 しかし油断はしないように――、


「鱗が、全身に……っ」


 形こそ人型のままだが、銀色の翼に、鱗で体が一色に染まった姿はまるで小さな竜だった。

 市長はタルトと同じ、竜の亜人である。


 彼女はまるで月に照らされているかのように、白く輝いていた。

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