#42 フルッフの苦悩
朝になって、起きた瞬間、部屋の小窓にタルトの顔があって思わず吹き出してしまった。
驚きと嬉しさで一気に目が覚めた。
手の平で窓を何度も叩くタルトへ、はいはい、と言いながら小窓を開けると、タルトが身を乗り出した。
部屋の中へ入ったタルトは地面に打ち付けた顔を押さえて悶えながらも、
「フルッフが、またっ、勝手にッ!」
「……嫌な予感しかしないんだけど……もうっ、なんなのあの僕っ娘お姫様はもうっ!」
「フルッフが外界へ行っちゃった! サヘラのために!
どうする、どうしよう……早く連れ戻しに行かなくちゃ、フルッフが亜獣に食べられて死んじゃうよ!」
そこまで分かっていて、どうする、じゃないでしょ……。
「会議なんて待ってる場合じゃないじゃん! 早く! フルッフを助けに行くよっ!」
私はこうして、二度目の外界へ、足を踏み入れる事になった。
【……時間は少し遡る】
ふと目を覚ました時に肩に重みがあるとフルッフが気づく。
頭を肩に乗せて体重を全て預けてきているタルトが隣にいた。
今はサヘラについて、処遇をまとめる会議の最中であり、参加できないフルッフとタルトは会議室の前の椅子で終わるのを待っているのだ。
会議が始まってからどれくらいが経ったのだろうか。
深い眠りだった事から、会議も長引いているのかもしれない。
未だに会議室からは対立する二つの意見がまとまっていなかった。
「おい、タルト。……って、お前も寝ているのか……」
無理もなかった。
直前まで人間に恨みを持った亜人から追いかけられていたのだ。
疲れが溜まっていて当たり前だ。
ぐーすかと気持ち良さそうに寝ているタルトを起こさないように……、
とは言え、乱暴にしてもきっとタルトは起きないだろうからいらない気遣いではあったが。
フルッフが無理やり立ち上がると、体重を預けていたタルトは開いたスペースに体を倒す。
目を覚ます気配は微塵もなかった。
……事態は深刻だ。
この会議がサヘラを救うものであるとは到底思えない。
意見が対立している声が部屋から漏れている事で分かる通り、満場一致ではないらしい。
だが、サヘラが亜人街にとって貴重な人間のサンプルでありモルモットになるのは避けられないだろう。
サヘラが自覚しておらず、周囲もそう言葉にしなくとも、サヘラから人間を知ろうとすれば、もうサヘラを仲間としては扱っていない。
それに、恨みを向ける亜人たち……。
人間そのものに恨みがあろうと、サヘラ個人を恨む権利は誰にもないと訴える事で、熱せられた感情は沈静化させる事はできる。
しかし小さく些細な差別が残ってしまうのは確実だ。
かつて人間が犯した罪は消えないし、亜人たちの心に強く印象づいてしまっている。
サヘラにとってこの街は、きっと最も住みにくくなるだろう。
「一体、どうすれば……」
「あら、フルッフがここにいるって事は、サヘラは大丈夫なの?」
ふと顔を上げればそこは三番街にある商店通りだった。
買い物袋を持つ主婦の亜人が多く賑わっており、交わされる言葉が重なって喧騒がまるでお祭りのようであった。
これがここのいつもの日常。
嗅ぎ慣れた料理の匂いに包まれる。
フルッフはこうして声をかけられるまで、自分が市役所から出てここまで歩いていた事に気がつかなかった。
喧騒が耳に入らないほどに、顔を俯かせて視界の変化も気づかないくらい、フルッフは思考の波に乗ってひたすら進んでは戻っていた。
「疲れ切った顔をしているわね。サヘラは……あまり良いニュースは期待できないか……。
フルッフ、うちに来なさい。焦っているようだけど、焦っていては良い考えなんて思い浮かばないわよ」
と、手を引っ張られ、無理やり連れて行かれる。
その時、声をかけてくれた女性がカフェのマスターであると今更ながらに気づいた。
フルッフの上の空は現状を打開できない事による思考の袋小路が原因だった。
光明が見えない。
今はあるかどうかも怪しいと思えてきてしまっている。
「あ、シラユキ。ごめんね、買い物がまだ途中なの。代わりに行って来てくれる?」
「いい、けど……、途中で切り上げてくるなんてどう、し……」
カフェの前を掃除していたシラユキが、フルッフを見て納得したように頷いた。
「お母さん、美味しいコーヒー出してあげてね」
「ええ、もちろんよ」
シラユキは掃除を中断させて、母親から受け取った鞄を持ち、買い物へ出かける。
フルッフには軽いお辞儀をするだけで、なにも問いかけないし言葉を交わさなかった。
フルッフにとっては素っ気ないその態度がとても助かった。
「事情を知らないシラユキも、顔を見て一発で分かったらしいわね。あなたが相当追い詰められているって事を」
「僕が、追い詰められている……?」
「あら、自覚がない? そんなわけないでしょう?
答えが出なくてもどかしい気持ちと答えを出せない自分を許せない気持ちが心を膨らませて、息が詰まりそうでしょ?
吐き出しなさいよ、全部。なにもあなたが全てを解決しなくちゃならないわけじゃないんだから」
店内へ案内され、いつも通りにカウンター席へ座る。
出されたコーヒーだが、今はまだ飲む気にはなれなかった。
「飲みなさい、飲む事で思いつく事もあるの。騙されたと思って、ね」
言われて一口飲んだら止まらなくなり、一気に全てを飲み干してしまう。
無意識におかわりを注文していた。
マスターは嬉しそうにおかわりをコップに注ぎ、
「今のサヘラを取り巻く状況は分かっているつもり。近くにいて見たわけでもないけど、周囲の反応と報道を見ればこれからどうなるのか予測はできるのよ。……それで。悩んでいるフルッフは一体なにを目的にしているのかしら」
「そんなの、一つに決まっている。サヘラの幸せだ」
自然と言葉が口に出た。
そして自覚する。
その行動理由が最もしっくりくるのだと。
「今のままじゃ決して幸せにはなれない。だから変えなくちゃいけないんだ、みんなの意識を……。人間はかつての罪を踏まえても、絶対的な悪ではないと常識を変える事ができれば、サヘラへの認識ももっと良くできるはずなんだ……ッ」
人間は害ではなく、人にとって利益を生み出すものだと常識にしてしまえばいい。
方針は早い段階で見つけていた。
しかし肝心の中身がフルッフには分からない。
ゴールが見えているのに前に進めないというのはかなりの精神的ストレスになっている。
「――私たち亜人も薄情なものよね。こうして私がカフェを開くことができている、商店街が出来た事で多くの人の生活を支えている、街を作るという発想だって亜人が見て真似たもの。私たちの生活基盤は全て人間のおかげなのに、誰もが忘れて人間を悪とみなしている」
自分のために注いだコーヒーを一口飲んで一息つき、
「もう一度見せつけるべきなのかしらね。人間の技術を。革新を」
「……ああ、そうか――そうかッ」
亜人は、人間が残した技術の全てを回収できたわけではない。
外界には遺物として多くの物が落ちており、中には隠されていたりもする。
意図的なのかは分からないが、隠されているものこそ、人間とって重要なものだと言える。
「フルッフ、なにか分かったの?」
「僕は今から外界に行かなくちゃならない。止めるなよ、マスター」
「止めないわよ。あなたが決めた事でしょ? なら、あなたの自由よ」
吹っ切れたフルッフの表情はさっきとは比べものにならないくらいに輝いている。
顔は無意識に、俯かせていた時よりも上がっており、口角も吊り上がっている。
元に戻せないくらいに高揚しているのだ。
目的までの手段が分かれば後は間をなぞるだけだ。
フルッフはそう考え、いま動かない理由がなかった。
おかわりをしたコーヒーを残したまま、慌ただしくカフェを出ようとする。
扉を開けたフルッフに背中から声をかけたのは、マスターだ。
「ねえ、フルッフ。多分否定するだろうから好き嫌い云々は聞かないけど――」
『好き』に反応してしまう。
自分は一体どうしたんだと困惑する中、マスターの質問。
「本当はサヘラの事を独占したいんでしょう?」
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