#37 幕間

「人間だ……人間が、この街にいる……ッ」


 あり得ないその噂は最初こそ小さかったが、やがて波紋のように全体へ伝播し、大きな波となって噂の張本人を襲い始める。


 一体、誰が第一発言者なのかは、発言者が数百人と増えているために行方不明だが、真実を口にしたあの場にいた事だけは確かだ。


 紅蛙会会長と黒百合会会長の丁半ゲーム。

 その時に『人間』は、自分自身を人間だと認めたのだ。


 彼はゲームの盤になっていた机の中で隠れていた。

 筒に入ったサイコロを暗所で緑色に光る仕様を活かして、薄い板の隙間から針を通し出目を操作するイカサマをするためだった。


 サヘラとフルッフが辿り着いた時には部屋には会長ただ一人がいたが、実は下っ端がもう一人いたのだ。

 会長さえも途中からは忘れていたのだ。

 サヘラとフルッフが気づけるはずもない。


 不用意な発言を考えればこの事態は自業自得と言える。

 噂は作り話だ、と否定する者も多く、真面目に取り合っている人物は意外と少ない。


 だが、それを仕事としている者も亜人街にはいるのだ。


 市役所――報道部。


 新米記者である彼女は噂が作り話であろうと本当だろうとスクープになると企み、たった一人で噂の張本人へと突撃取材へ出発した。



「ダメだ」

「そこをなんとか! お願いよーフルッフぅー、わたしたちの仲じゃないの」


 玄関口で知り合いに泣きつかれて戸惑うフルッフだが、今回は妥協する気がなかった。

 サヘラをネタにしたインタビュー記事など、モラルを失ったこいつに書かせるわけにはいかない。


 サヘラが疑われている……とあの噂を本気にしているわけではないとフルッフも彼女を見て分かってはいるが、たとえ即席記事のための軽いインタビューであっても、ぼろが出る可能性がある以上、迂闊にサヘラを録音機器の前に出すべきではない。


 幸い、サヘラはタルトと一緒に部屋で眠っている時間だ。

 紅蛙会と揉めたあの一夜から三日が経ち、まだ疲れが抜けていないのか、サヘラは三日ともお昼頃まで眠っていた。


 外出もしていない自堕落生活をしているせいか、噂の事も知らない。

 このまま噂が沈静化するまで……引きこもらせるのは無理そうだが、噂が盛り上がりかけている今、サヘラを外に出すのは危険だ。


 サヘラは行動が読めない。

 紅蛙会との一件でそれをよく痛感した。

 ……それに、今はサヘラを誰にも見せたくない――。


「んぁ、フルッフ……誰か、来てるの……?」

「あ、起きてるじゃん! サヘラさーん、ちょっと取材の方をいいで」


「サヘラ、戻れこっちに来るな――ほんとそんな格好で来るなよッ!」


 フルッフに両手で押し戻されるサヘラは真っ白な下着だけを身に着けていた。

 ほとんどが肌色の体を見せつけ、寝起きで虚ろな目を手でこすって大あくびを披露する。

 新米記者は見惚れてしまってから慌てて目を塞ぐが、まったく意味がなかった。


「はぁ……疲れる。――って、あっ! なに入ってるんだよ勝手に!」


 フルッフがいない隙に部屋に入り、扉を閉めて内鍵をかける。

 先輩記者が言っていた事を思い出し、新米記者は目を輝かせてフルッフに土下座をした。


「できる記者は不法侵入でもなんでもしてスクープを取るの! 

 ごめんフルッフ、わたしにはもう失敗続きで後がないの! 今回だけ、インタビューだけ、お願いします!」


 フルッフにとっては仕事だけの関係だ。

 個人的に遊ぶ事などまったくないし、仕事以外での接点などあるはずもない。


 それでも何度か助けられた事もある。

 なぜ助けた事を交渉に使わないのかは謎だが、追究して思い出させるのも馬鹿らしい。


 何度目か分からない溜息を吐いて、フルッフはインタビューの許可を出した。


「ただ、少し待て。今のサヘラは使い物にならないからな」

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