#35 駆け引きの勝者

「…………」


 目の前の麻袋に手を入れる。

 重さで弾が入っているかどうかなど分かるはずもない。


 どれにも入っているようにも感じてしまう。

 比べて軽いものを選んでも、それよりも軽いと思うような拳銃が何度も現れる。

 ……分からない。

 全部に弾が込められているように感じる。


 いつすり替えた? 

 それを指摘すれば引き金を引く必要はない。

 イカサマをしたとして告発でき、サヘラを反則負けにする事ができる。


 しかし、肝心のすり替えのタイミングが分からない。

 目の前の拳銃に弾丸を込めて以来、目の前に確かにあった。

 袋に入れる時は場所を入れ替えていたため隙はあったかもしれないが、逆にサヘラの拳銃を会長は監視していたようなものなのだ。

 サヘラの袋を持っていれば、入れ替える事は不可能になる。


 袋に拳銃を入れ、中で混ぜ、袋を机の上に置いた。

 そして元の場所へ戻ったはずだ。

 入れ替えるタイミングは、どこにもない……。


「フルッフ、か……?」


「僕はなにもしていないよ。確かにサヘラ側についているけど……。

 もし、していたとして、僕がべらべらと喋ると思うのか? 

 ――それにしても会長、珍しいな。……焦ってる?」


「やられたって感じだな」


 そう余裕を見せるので精いっぱいだった。

 麻袋から選んだ拳銃を取り出す。

 他と比べて軽くも重くもない。

 感覚が麻痺しているのだ。


「それでいいの? 本当に?」

「……見よう見真似で揺さぶりをかけてきたか。ムカつく女だ」

「攻撃的な言葉を使ったって事は、やっぱり余裕はないみたいだね」


 子供に内心を見抜かれている事に羞恥が沸き上がる。

 やけくそになって銃口を側頭部へ。


 視線が集まっている事に気づき、……もう後戻りはできない。


 側頭部へ銃口を持っていけば、もう後は引き金を引くだけだ。

 だが、その引き金が重い。


 何度も引いたはずの、いつもと変わらない引き金がこうも重たいのは初めての体験だった。


「意外だよ、経験豊富な会長さんがまさかそうも指を震わせるなんてね」


 サヘラの言葉に自覚した。

 自分の指の震えを、言われるまで気づけなかったのだ。


「ああ、俺も思ってもみなかったな。嫌な汗だぜ……」


 スーツの袖で顔の汗を拭う。

 汗を吸収し、色濃くなった赤色を見つめた。

 気づけば呼吸も荒くなっている。


 ……闇の支配者も、恐怖をするってわけだ。


「単純に死が恐いわけじゃないとは思うよ。人を殺せる人が、殺される恐怖を知らないわけないんだもん。知らずに殺すのは強者の背中に隠れた他人任せのクズだけだしね。でも、会長は違うでしょ。自分が死ぬ事で残される誰かを想って、恐怖しているんじゃないの?」


 ……知ったような口を利く。

 しかし、見当違いでもなかった。


 目を瞑れば浮かび上がるのは、捨てた娘と妻の顔だった。

 二人にはまだ、罪滅ぼしをしていないのだ。

 ……後悔であり、未練であり、死ねない理由。


「そう言えば、会長は自分で言っていたはずだよね?」


 なにをだ、と問う前に、サヘラは答えを出す。

 ……会長が選択できる、逃げ道を。


「降参を禁止にはしないんだよね?」



「ああ……、俺の負けだ」


 拳銃を下ろして机に置く。

 緊張が解かれ、会長も、サヘラも、ふぅ、と溜息を吐いて背もたれに全体重を預ける。

 サヘラの勝利で幕を閉じたこのゲームだが、気になる部分は解消されていなかった。


「サヘラ、いつ袋をすり替えたんだ? 僕も分からなかったぞ」

「フルッフも騙されてるの……? いや、だってすり替えてないし」


 すり替えていない? 

 となるとサヘラの弾が入っていなかった拳銃の説明がつかない。


「弾は入っていたけど、撃ち出されなかっただけだよ。えーっと、なんだっけ? 三つ子から聞いたんだけどね……弾を射出させる仕組みが分かれば、じゃあ射出しない場合も分かるかなって。

 弾丸って、弾頭の後ろに火薬があるのは分かる? 火薬を爆発させた勢いで弾丸を前に飛ばすんだけど、その火薬を爆発させるためには拳銃の撃針で雷管って部分を刺激するらしいの。

 で、私は弾の後ろに食べたガムを貼り付けて、雷管を塞いだわけ。

 撃鉄が雷管を打たなければ火薬が爆発する事はないし。だから弾も出ないってわけ」


「お前、それ……成功する確証があったのか……?」


 もしも三つ子の言っている事が見当違いで、貼り付けたガムも関係なく撃鉄が雷管を刺激すれば、頭に向けた拳銃は正常に作動する。

 頭を撃ち抜かれる可能性はあったわけだ。


 確実性がない中、サヘラはこの土壇場で作戦を成功させた。

 そして、こうして今、勝利を手中に収めている。


 ――なんて心臓をしてるんだ、こいつは……。


 人間だが、人間離れをしているサヘラに、これまでとは違った印象を植え付けられたフルッフは、少し近づき難いオーラをサヘラに感じるようになってしまったが……それも短い時間だった。


「……はぁ、お前さんの勝ちだぜ、サヘラ。とにかく早く報告しねえと、お互いの部下が誰かを殺しちまう。その前に止めなくちゃあな」

「サヘラ、どこも怪我してないだろ。行くぞ、一番最初にあの二人を止めないと!」


「あ、待って、フルッフ……とりあえず、拭くもの、ある?」

「なんだ、血がついてるわけでもあるまいし……――」


 フルッフは濡れた地面を見て、微笑んだ。

 サヘラは恥ずかしがって、笑ったフルッフを怒ったが、フルッフはなにも馬鹿にして笑ったわけではない。


 ……ああ、サヘラも、普通の人間なんだ……当たり前だよな……。


 弾丸が射出すれば死ぬかもしれない土壇場で恐怖しないわけがない。

 あの場でのポーカーフェイスには舌を巻いたが、その下では体は正直だったのだ。


 サヘラは顔を真っ赤に染めて、借りたタオルで体を拭き、


「……タルトには、絶対に言わないでよね」

「分かった分かった、僕との秘密だな、お漏らしサヘラ」

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