#25 分かれ道【タルトの先】

「フルッフッ!」


 疾走し、見つけた背中に思わず声が出た。

 その叫びに気づいた者がいた。


 青いネクタイを締め黒いワイシャツを着た縁なしメガネの少女。

 フルッフが振り向いた。


「ここまで追いかけて来るか。――相変わらず、無謀な奴だな、タルト……」

「わたしと一緒に帰ろう。大丈夫、フルッフの抱える問題はわたしたちが解決するから!」


「抱える問題? 問題なんてなに一つ抱えてはいないが? ……これじゃあ、あの時の会話の焼き増しじゃないか。僕は僕の意思でここにいる。もう連れ戻そうとしなくていいと言っているのに……。タルト、これ以上続けるのなら、またお前をねじ伏せるぞ」


「ふふん、やってみればいいじゃん。フルッフの毒はもう克服した!」


 タルトの体は毒をフルッフに注入されたすぐに比べれば自由に動けている。

 動きの違和感もない。

 痺れも痛みもタルトは感じていなかった。

 免疫が既に出来ていると思い込んでいた。


「僕の毒は遅効性なんだが……」


 分かるか? という質問にタルトは首を傾げる。


 一度を毒を味わい、時間と共に体への影響はなくなっていった。

 遅効性だろうと一度消えた毒が再び猛威を振るうはずはないとタルトは信じていたのだ。


 タルトの判断は間違ってはいなかった。

 苦しみという点において毒の効力はほとんどない。


 フルッフの言いたい事はそれではなく、


 ――フルッフが近づいて来る、また噛まれる!?

 ――ううん、大丈夫、避けられる。このまま掴んで取り押さえちゃえばっ!


 しかしタルトが動くよりも早く、決して速くはないフルッフの腕がタルトの首を締め上げた。


「え、――んぐっ」

「タルトの動きが自覚ないくらいに遅くなっているの、気づかなかっただろ」


 フルッフの運動神経は良くない、逆に悪いくらいだ。

 比べればもちろんタルトの運動神経の方が良い。

 万全であればタルトがフルッフの伸ばされた腕を避けるくらい、難しくなかった。


 だがフルッフの腕は蛇が獲物を絡め取り、締め上げるようにタルトの首にある。

 運動神経が悪くても、力が弱くても、人一人を締め落とす事はそう難しくはなかった。


「タルト、いいから帰れ。ここがどこだか分かっているだろ。僕は僕の意思でここにいるし、正直に言うが僕はここの住民の仲間だ。仕事の関係でな。つまり安心は保証されてる。友達想いのお前の事だから心配なんだろうが……ありがとう。だから大丈夫だ」


「そんな、わけない……ッ」


 タルトは諦めなかった。

 原因はフルッフにある。

 もしもフルッフが本気でそう言っていればタルトだって無理に連れ戻そうとはしない。

 フルッフの中に企みがあるのであれば邪魔をしては悪いと思うからだ。


 しかしフルッフはタルトを説得しながらも常に助けてほしいという隙を見せている。

 見せかけた強さは助けを求める本音によって歪んで見える。

 出会ったばかりのサヘラを騙す事はできても、幼少の頃から一緒にいる幼馴染を誤魔化す事はできなかった。


「わたしは、帰らないよ……っ、フルッフを――救い出すまで!」

「いい加減にしろ!」


 ぐっ、と少しの力をさらに加えただけでタルトが吠えるのをやめた。

 タルト自身が支えていた体重がずんっとフルッフに任される。

 ぐったりとしたタルトをゆっくりと地面に置き――そこで後ろに気配を感じた。


「フルッフ、なにか叫び声が聞こえたが……敵でもいやがったか?」


「……迷い込んだハエが一匹、やかましく飛び回ってまして」


 燭台でなく、街灯に照らされた地面に降ろされる革靴。

 視線を上げれば赤いスーツが見える。


 右目に刻まれた縦の斬り傷。

 スーツと同じ真っ赤な髪をかき上げていた。


 紅蛙会――会長。


「んで、そのハエってのは?」

「ええ、もう始末しましたよ。殺してはいませんけど」


「だろうなあ、お前に殺しができるとは思えねえ。それで、それをどうしたんだ?」

「身ぐるみ剥いで捨てました。地下水道に落ちていますよ」


「負け犬通りか。表のやり方に嫌気が差し、この裏亜人街でも行き場を失くした奴らの溜まり場か。あんまり反乱予備軍を増やされても困るんだがな、フルッフ」


「申し訳ありません」

「いや、一か所に意図的に集めて一網打尽にする計画があるからな、なにも悪いとは思っちゃいねえよ。どうせ殺すのはあいつの役目だ」


 会長はフルッフを乱雑に手招く。

 すれ違った会長の背中を追おうと振り返り、足を踏み出したら目の前に刃先があった。


「っ――」


 温度を姿として見る事ができる特性がなければ、一瞬早く気づけず刃先が深く顔に差し込まれていたはずだ。

 今でさえぎりぎり、頬にチクっと刃が刺さった程度で済んでいる。

 粒ほどの血が風船のように膨らみ、重力に従い頬を伝って垂れていく。


 いきなり現れた全身黒尽くめの正体不明の人物が、手に持つナイフをくるっと回して腰のホルダーにしまった。


「嘘をついてる」

「……僕も、思春期の女の子ですから、言いたくない事の一つや二つ、ありますよ」


「会長を裏切るような事があれば、刃の速度は今の数百倍になるから、そのつもりで」

「おい、嘘がなんだ、そんな小せぇ事なんざ構わねえ。行くぞ」


 黒尽くめは、ふと見れば目の前にいなかった。

 フルッフの特性で見ても、温度で見える存在は目の前を歩く会長……と、近くのゴミ袋の山の中で隠れているタルトだけだ。


 一瞬だけゴミ山に目を向け、すぐに視線をはずす。

 見捨て切れなかったフルッフは、タルトを放置し、会長の後を追った。


「正体不明の黒尽くめ……。でも、服がぴったりだから体のスタイル的に女性なのは分かるんだがな……」



 そして数時間後の事だが、


「はっ――フルッフッ!?」


 目が覚めたタルトは勢いよく起き上がり、周囲を驚かせていた。

 タルトの周囲には黒マントを羽織っているがフードを被っていない者が多い。


 二十人……いや、見えているだけでももっといるかもしれない。


 急に起き上がったタルトにびっくりし、ほとんどの者が一歩後ろに引いていた。

 中でもタルトにとって見知った顔は、驚いてもすぐに引いた一歩を前に戻す。


「起きた?」

「大丈夫?」

「お腹空いた?」


 獣の耳を持つ、顔がそっくりの少女たちが尋ねてくる。

 三つ子……タルトはぴんと来た。


「先輩もいる……なになに、この集まりはなんなの!?」


 タルトが露店通りで仲良くなった塩麺を分けてくれたおじさんや、露店を開いていたお姉さんもこの集まりの中に混じっていた。

 知らない顔も多いが、露店通りで見た事のある顔もちらほらいる。


 タルトは、話した事がなくとも視界に入っていればなんとなく人の顔には見覚えがあるのだ。


 だからこそ、初対面でも友達感覚で話せてしまう。

 仲良くなるコツにしては難易度が高いだろう。

 少なくとも、サヘラには真似できない芸当であった。


「あ、やっと起きた。もうっ、タルト待ちだったんだから!」


 言われても把握できていないタルトはきょとんとするしかない。

 そんなタルトに、サヘラがにやり、と活き活きした笑みを作った。


「ここにいるみんな、『黒百合会くろゆりかい』に入ってくれるって」

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