#20 裏亜人街

「こんな深夜でもお店やってるんだね、外には看板すら立てていなかったのに」

「お店と言うよりも私の友達がふらっと来ても入れるようにしているだけよ。お金を取る気なんて元からないわ。私が趣味で開いているプライベートなお茶会ってところ」


 マスターはそう言うが、一人で飲んでいるのは思い切りお酒だった。

 頬を少し赤らめたほろ酔い状態だからこそ、私たちをすんなりと中へ入れてくれたのかもしれない。

 いつもなら子供は寝る時間、と説教をして帰すはずだ。


 だから今の私たちは運が良い。

 出されたコーヒーを飲んで一段落している私たちに、マスターから切り込んだ。

 そりゃあ、気になるところだろう。

 切羽詰まった様子でもなく、恐る恐ると言った感じで私たちはマスターの元を訪ねたのだから。


「どうしたの? 悩み事? 恋の悩みなら朝まで聞くけど?」


 嬉しそうに顔をにやけさせながら言う。

 残念ながら、そんな浮いた話なはずもない。


 私はちらりと横目でタルトを見る。

 いつものように甘さ多めのコーヒーに夢中になっているわけもなく、半分以上も残して水面を見つめていた。

 肘で脇腹を一発ど突く。

 びくんっ、と反応したタルトが、マスターに見られていたと認識した。


 私もタルトも知らない事を聞くために、ここに来たんでしょうが。


「あのね、マスター……、フルッフが、裏亜人街に行っちゃった!」


 マスターのとろんとした目がきりっと吊り上がった。

 手に持っていたお酒を置き、注いだ水を飲んだ。

 完全ではないがそれでもいくらかは酔いが覚めたらしい。

 カウンターの向こう側で立つマスターは椅子に腰を下ろした。


 落ち着けて聞く体勢に入る。


「――説明、続けなさい」



 目立たないがそれでも確実に力を持つ者が二割、この街には存在する。

 個人ならば脅威にはならないが、数が合わさればそれは勢力になってしまう。

 街が抱える、反乱因子。


 八割は表亜人街で生活をしており、タルトと面識のある者だけがいる。

 残りの二割とタルトが面識ないのは単純な話、タルトが立ち入らない場所で活動している者だからだ。


 裏亜人街と呼ばれる、亜人街の隙間通り。

 闇に誘われた私を引き止めたタルトが足を踏み入れた事がないのは当然の事だった。


「フルッフが裏亜人街と通じていた、って事ね。それをタルトが知っちゃったんだ?」

「うん、紅蛙会(べにかわずかい)……と、フルッフは手を組んでいるらしくて――」


 非公式な情報屋をしている事をもっと疑問に思うべきだった。

 なぜ非公式なのか、と。


 非公式だからこそ利用できる組織があるところまで頭が回れば、先んじてフルッフを止める事ができたかもしれないのに。


 いや、既にこうしてフルッフは手を組んでいた後なのだから、背後に紅蛙会がいる以上はフルッフだけを引き戻す事は不可能なのだろう。

 タルトの直感を信じるなら、フルッフは人に言えない弱みを握られている。

 フルッフだけを奪い返しても、握られた弱みのせいでフルッフ自身が闇に戻る選択をしてしまう。


 誰もが気づくのが遅過ぎたのだ。


「わたし、フルッフの事を止めたんだけど、でも」


「こうして毒を刺されてやられたってわけね。でも不思議ね、タルトの運動能力ならフルッフくらいどうにかできたんじゃない? わざわざ噛まれる事もなかったでしょう?」


「少し、試したの……」

「試した? フルッフを?」

「毒を刺して動かなくなったわたしにとどめを刺すかどうかを」


 ……私もマスターも、息を飲んだ。

 いつもの猪突猛進なタルトとは思えない腹の黒い駆け引きの仕方だった。

 それ以上にハイリスクをまったく恐れない思い切りの良さが、賭博師を彷彿とさせる。


 これを計算ではなく信じた友達を助けるための必要な行動過程と認識しているところが一番恐い。

 フルッフを信じているからこそ払えるハイリスク。


 たとえば、タルトは蘇生してくれると信じているから簡単に死ねる、と言いそうだ。

 無頓着だとは思っていたけど、自己犠牲までそうだとは。


 でも、自分に当てはめて考えてみると頭の飛んだ発想でもない。

 私が失いたくない三人の輪を壊さないためなら、命を懸ける事ができる。

 三人の輪が崩れたら私にとっては生きている意味もあまりないのだから、死んでもいいかと思えるくらいには目的がなくなる。


 極論ではあるけども。あながち冗談でもないのだ。

 そう思えば、タルトにとってフルッフが私にとっての三人の輪みたいなものだ。

 だからこそ、私も大概、人から見るとぶっ飛んでいるのかもしれない。


 タルトは言う。


「とどめを刺さなかったフルッフは、わたしに助けてと言ってるの!」

「本当に寝返っていれば、邪魔者のタルトは始末するでしょうけど……」


 マスターは困った顔をした。

 止めるべきだがタルトを止める説得の言葉がないのだ。


「止まらないよ、タルトも私も」

「サヘラまで……。はぁ、どうせ、止めてあなたたちが素直に頷いても、勝手に行くんでしょう?」


 タルトを理解しているマスターの言う通りだ。

 そしてタルトの意見は私の意思でもある。

 問答無用で否定しないと分かっているからこそこうして相談をしたのだ。

 行くべきかどうかではなく、フルッフを囲う裏亜人街を知るために。


「――裏亜人街のいる勢力を、亜人街の人口比率で考え、二割。内訳は分かる?」

「……仕事の無い人、とか?」

「違うわ。現在の市長を、認めなかった者」


 市役所市長、彼女が選ばれたのは亜人街住民の投票だった。

 支持をするかしないのかの二分する意見を踏まえて、半々でなければ少数派は切り捨てられ、市長が決定する。


 八対二だったために市長が今の市長になった。

 新しい法律の制定など、前市長から引き継いだものがあれば廃止したものも新しく作られたものもある。

 そこでもまた支持をするかしないかの投票が行われ、少数派もこの時点では意見を言える立場がある。


 しかし市長を支持するかしないのかの反対意見は相手にされなかった。

 一番最初の二割の反対派は、見事に切り捨てられていたのだ。


「反対派が集まり、建物の隙間や光の届かない通路、市役所の監視が行き届かない空間を使い自分たちで一つの社会を築き上げた。それが裏亜人街。今になって始まった事じゃないわ。昔から表も裏もあったの。そして市長が代替わりするように、裏社会の主も代替わりする。社会には必ず、主が必要なのよ」


 たとえ無法地帯でも、無法者を束ねる権力者が必要になる。

 今世代はそれが、紅蛙会だったのだ。


「フルッフがどうして見初められたのかまでは私も分からないわ。情報屋だから、が理由なのかも分からない。順番だってそうよね。フルッフが紅蛙会に弱みを握られ、情報屋になったのか、情報屋だから弱みを握られたのか……」

「タルト、どっちなの?」

「え、うーん……。昔からフルッフはそういう系が得意だったからなあ――」


 どっちもあり得るね、という解答を得て時間の無駄だったと実感した。


「二人の保護者代わりとしては、止めなくちゃいけないのよね……」

「止めたって無駄だよ、私はともかくタルトが聞きやしないもん」

「サヘラだってじゅうぶん人の話を聞かないよ。聞いた上で否定するから質が悪いのよ」


 タルトよりも厄介者だと思われてる気がする……。

 そんなもやもや感を払拭する前に、

 行かせるわけにはいかないわ、とマスターは言いながら……お酒を取り出した。


 お酒には詳しくないしこっちの銘柄なんて知るはずもないから分からないけど、お酒の雰囲気で、強いものだとはなんとなく分かった。


「止めなくちゃいけないけど、酔っていたんだから止められなくても仕方ないわよね」

「……うん、私たちが無理やり飲ませたんだから、マスターは悪くないよ」


 交わした言葉が意思疎通の確認だった。

 マスターはコップ一杯、お酒を飲んだ。


 それを合図に私はタルトの手を取り、引っ張って店を出る。

 深夜、明かりのない外の通路に漏れる部屋の光が、やがて小さくなる。


 扉を閉じる寸前に、小さく聞こえた。


「二人とも、いってらっしゃい」


 閉じ切った扉に手を触れて、私も小さく呟く。


「……行ってきます」


 誰一人、欠けさせるわけにはいかない。




「……お母さん? 今、タルトお姉ちゃんいた……?」


「んー、私一人だけよ? どうしたの、眠れない?」

「そういうわけじゃないけど……トイレ行ったら騒がしかったから」

「そっか、ごめんね、お客さんと少し話が盛り上がっちゃって」


「……嬉しそうだね、良い事でもあったんだ?」

「そう、見える……? そうね、確かに嬉しかったわね」


「お酒、飲み過ぎちゃダメだよ?」

「はーい。そういうシラユキも、もう寝なさい。夜遅くなると騒ぎ出すおバカさんがいるからね、その間は眠っているのが一番安心よ」


「おバカさん?」

「今日は二人ほど追加されているでしょうね」

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