#6 カフェ・ゆきつけ

 突拍子もない私の告白に、二人は笑わなかった。

 フルッフの興味は当然、惹けたらしい。


 大量の書類と、私にとっては前時代の見た目をしているブラウン管テレビのようなパソコンが置かれた机に椅子を並べ、腰を落ち着ける。

 タルトだけは椅子がなく傍にあった脚立で我慢してもらった。

 目線が大分高く、見下ろされているのが気持ち良くはないが、代わるのもそれはそれで座り心地が悪い。


 タルトはいつもと違った目線にそわそわしている。


「別の世界、か……外界の生き残りと言われるよりは、人間がいる理由に納得できる」

「外界のもっと奥を探せばいそうなものだけど……」


「もちろん、そうかもしれない。だが僕たちは奥に行けた試しがない。腕っぷしに自信がある調査隊ですら、亜人街の周囲を探索するので精いっぱいなんだ。外界の奥にそもそも広がりがあるのか、不明瞭だ。なのに人間が生き残っているとどうして言える? 亜獣の恐ろしさは身をもって知っているはずだろう。僕たちは当然としても、サヘラだって」


 この体で思い知った。

 外界にもう一度出れば、間違いなく二度目は助からない。


 さっきだってタルトが優秀だったわけではない。

 タルトも同じように命が危なかった。

 だから運だけで助かったようなものだ。


「外界にいる者は全員亜獣に喰われていると見るべきだ。亜獣は人間、亜人を毛嫌っているからな。たとえ興味のない亜獣がいてもその他が黙ってはいない。今僕たちがサヘラを庇っているように、僕たち以外はサヘラを目の敵をするだろう。あくまでも僕たちは少数派なんだ。サヘラにしたらその敵意は理不尽だろうがな」


 大いに理不尽だね。

 でも、敵意なんて大体そんなものだし。


「でも、別の世界から来たって言う方が、嘘くさいと私は思うけど……」

「分かり切った常識とアホみたいな突き抜けた非常識……可能性があるとしたら?」


 ニヤぁ、と笑みを見せるフルッフ。

 この気持ち、分かるだろうとでも言いたげだ。

 分かってしまうから、私とフルッフはきっと気が合う。


「それにさ、サヘラの言っている事の方が面白そう!」


 割り込んできたのは上にいるタルトの声だった。

 身を乗り出し、今にも倒れそうな体勢でバランスを維持している。

 脚立の足は地面との接地に四点があるが、今は前の二点だけだった。傾いたままとんとんと跳ねている。


「面白そうなのは同感だ」

「あのね……ふざけて言っているわけじゃなくて、真面目に戻りたいんだけど……」


 人間が絶滅した世界で私が生きていけるはずもないし、場違いだ。

 危険と命を同じ皿に乗せて天秤にかけるには、元の世界から逃げるメリットは、軽過ぎる。

 私には語れるようなものはなにもないけど、それでも命はあるし持っていたい。


「ふざけてなんかいないさ。手伝うよ、サヘラを拾ったタルトが乗り気だからね。僕もここで見捨てたくはないし、最後まで責任を持って面倒を見るよ」

「犬じゃないんだからさ……」

「サヘラの事じゃないさ。互いに面倒を見なくちゃいけない犬は、タルトだろ」


 私はバランスを崩しそうになって慌てていたタルトを見上げる。

 落ち着きを取り戻し、冷や汗を拭って安堵の溜息を吐いている。

 最後まで責任を持って……、か。


 納得した。

 タルトの事は、放っておけないや。


「タルトはそりゃそうだけどさ、きっと大変だよ? 元の世界への手がかり」

「実はそうでもない」


 タルトの扱いは大変だが、とフルッフが補足する。

 既にタルトは脚立を下りて部屋の冷蔵庫を勝手に漁っていた。


 退屈になったのだろう。

 自由奔放だが、今は助かった。

 タルトがいると進む話も進まなくなりそうだったし。


「そうでもない……って言うのは?」


 フルッフが立ち上がり、


「サヘラの帰りたい世界に直結するような手がかりではないんだが……」


 冷蔵庫の中身を漁るタルトの首根っこを掴んで引っ張る。

 地面に引きずりながら戻り、まさに犬に鎖を繋げるように、自らの手でタルトを掴んだまま話を続ける。


 ちなみに、タルトは引きずられる際、

「あーうーっ」

 と手足を伸ばして、されるがままだった。


「可能性は低い。でも考え得る限り、そこにしか可能性はないと言える」


 人間が残した遺物――それに宿る死に間際の怨念と呼ばれる、彼、彼女たちの『心』。


「専門家はそれらを【アナベル】と呼んでいる」



「い、いらっしゃい、ませっ」


 エプロンをつけた白髪で小柄な女の子が出迎えてくれた。

 目元の隠れる前髪から少し覗かせる瞳は不安で不安で仕方がなさそうだった。


 タイミングが悪かったのかな……なんだか申し訳ない気分になってきた。


「ほら、シラユキ。もっと笑顔。お客さん困っちゃうでしょ」


 カウンターにいるのは白髪の女の子を十年ほど成長させたような女性だった。

 白く清潔なラフな格好をしており、耳にはイヤリング、首にはネックレスと、アクセサリーが多く光っている。


「シラユキ、できるでしょ?」

「う、うん……。いらっしゃい、ませっ」


 胸中のあれこれを押し殺して言われたままに笑顔を作って出迎え直してくれる。

 直感で――この子は私に似ている、と思った。



 ここはカフェ『ゆきつけ』と言い、フルッフとタルトの行きつけのお店だった。


 フルッフは主にマスターの自慢のコーヒーを飲みに、タルトは小遣い稼ぎ程度の仕事をもらいに、だ。

 そして今日も、タルトの金欠に付き合わされてここに訪れている。


「マスター! たくさん稼げる仕事紹介してほしいんだけどー!」


 他のお客さんもいる中、騒がしくタルトが入店してすぐにカウンターを叩いて自己主張をする。

 落ち着いた雰囲気の店内なのにタルトが来ただけで、ここに来る際に通った商店街のような騒がしさが生まれる。

 数十人が大声で宣伝してやっと作り出せる空間を、一人で作るタルトは、やっぱり常人じゃない……。


「悪いねサヘラ。専門家に話を聞きに行こうとしていたんだが――」


 手がかりとなるアナベルについて。

 専門家とやらの場所へ行く前に、タルトが手を挙げて自分が金欠だと告白した。


 そして私とフルッフを無理やり引っ張って、ここ、カフェゆきつけに仕事をもらいに来た。

 押し切られた私たちに拒否権はなかった。


「別に気にしなくていいよ。早く帰りたいわけじゃないしさ。タルトの仕事にも少し興味があるし」

「ただのゴミ拾い……だけとは言わなくても、大体が雑用だぞ?」


 率先してやりたいとは思えない興味の惹かれない仕事だった。

 でも、現実問題、私もお金がない。


 手元には思っているよりもなにもなかった。

 貴重品は向こうでお母さんに預けたままだし、そもそも貴重品そのものがほとんどない。


 スマホは引きこもった時に止められている。

 手元にあるのは昔お母さんと一緒にどこだったかに行った時のお土産で買った、自分の名前のイニシャルのストラップだけだ。


 無くなったと思っていたらここにあったなんて……、これ、お母さんのセーラー服じゃん。

 お母さんが見つけてくれていたのか。

 そして、なぜかポケットに入れてくれていた。


 一言でいいからなにか言ってくれればいいのに……。

 なぜかそれだけはポケットの中に入っていた。


 亜獣に襲われて服がぼろぼろでも、無くならなかった物だ。

 ともかく、お金の問題が付いて回っている。

 二人のお世話になるのはさすがに悪いし……友達でいたいからこそ、お金はきちんとしたい。

 私もタルトに倣ってカウンターに行き、身を乗り出す。


「あら、お友達?」

「うん! わたしが見つけたの!」


 私が喋る間もなくタルトに横から抱きしめられる。

 もう慣れたけど、スキンシップとボディタッチが多い。

 後ろでは小さい方の女の子があわわわわ的に口を開けている。

 これがいけない事をしているように見えるのだろうか。


 フルッフが注文をし、女の子がカウンターの向こう側へ小走りで移動して、コーヒーを淹れていた。

 裏方ではスムーズに作業できている。

 慣れた手つきだったが私と目が合うと手が震え出す。

 気持ちは分からないでもないけど……極度の恥ずかしがり屋なのだろう。


 見ているこっちが不安になる足取りで恐る恐るフルッフの元へ。

 少しだけ、転べっ、と思ってしまったのは許してほしい。

 タルトじゃないけど、コーヒーを頭から被るフルッフは面白そうだった。


 結局、当たり前だがそんなギャグみたいな事は起こらず、


「初めまして、サヘラちゃん。ウチの子、危なっかしいでしょ? ごめんね、不安にさせちゃって」


「……どうして、私の名前……」

「今、タルトから教えてもらったの。隣の友達の声が耳に入らないくらいウチの子を見てたの? 食べちゃダメよ。守ってあげたくなるほど可愛いのは認めるけどね」


 目を細めて、我が子を見つめる母親の女性。

 視線の先では女の子とフルッフが世間話をしている。

 打ち解けている仲なのか、女の子が纏う緊張感は一切なかった。


「食べないですよ……」

「あら。そうね、タルトがいるものね」


「タルトを食べるわけないでしょ!」

「あらら、タルトだけの一方通行なのねえ」


 名前が彩百合だからって、百合方面に勘違いしないでほしい。

 でも、この人は私の名前が彩百合だって知らないんだよなあ……。


「私はここのカフェのマスターをしてる、フラウスよ、よろしく。で、ウチの子がシラユキ。いずれはこのカフェを継いでほしいと思っているんだけどね……今の調子じゃ心配で任せられないのよ。ここだけの話、サヘラちゃん、ウチでバイトしてみる?」

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