#4 情報屋・フルッフ

 ――女の子に押し倒されている。


 両手を上げさせられ、地面に手で固定された。身動きが取れない。

 いーっ、と口を横に伸ばされ中を覗かれる。


 興味津々のタルトが私の体を徹底的に調べていた。

 ……なんだこれ。


「本物の人間、初めて見た……でもあんまり変わらないね。歯は丸っこいけど」


 自分の歯を見せるタルト。

 私と違って……人間と違って鋭く尖っている歯だ。


「でも丸っこい歯の人は他にもいるし、人間特有ってわけでもないんだよねー」


 じっ、と私を見つめてくる。

 タルトの瞳が間近にあった。

 不思議と惹きつけられる。


 瞳の奥――まるで意識だけが長いトンネルの中を進んで行くかのように、タルトの瞳に吸い込まれる。

 最奥まで行き、『それ』はいた。


 暗闇の中で光る鋭い瞳。

 生物界での天敵と出会った時のような絶望感と共に私の意識は覚醒する。


 はっと意識を取り戻した時、額と首元が汗で湿っていた。

 タルトにとっては一瞬で私の様子が豹変したらしく、首を傾げている。

 なんでもないと私は首を振った。


「……竜?」

「よく分かったね、わたしは竜の亜人なんだ」


 竜……、ああ、だからさっき炎を吐いていたんだ。

 自分を巻き込んでしまうところを見ると半人前らしいけど。


「翼とか生えたらいいんだけど……そしたら自由に移動もできるし。せっかく十六歳になったのに、新しい【特性】が発現してくれないんだよねー」


 十六歳……私と同い年だった。

 亜人と人間、年齢の数え方が同じなら、の話だけど。


「そう言えば、名前を聞いていなかったかも」


 私の上に馬乗りになったタルトが、あっ、と思い出した。

 とりあえず、名乗るにしても横になった状態を起こしたい。

 体についた草をはたき落とし、少し考える。


「ええっと、彩百合・平良へら……です」


 元母親の方の性を使わせてもらった。

 父親の方……、義理の母親も含まれる明日葉を使うのは嫌だった。

 私を象徴する名前として広められたくなかったのだ。


「サユリヘラ? 服も珍しければ名前も珍しいんだね」

「あっ、それは、逆で……」


 自然と逆にしてしまったのは外国感覚でいたからだ。

 前後を入れ替えてしまったので変な感じになってしまった。


 ……そもそもこの世界に姓名の概念があるかも怪しい。

 タルトはタルトとしか名乗っていなかったし。


 名前を訂正する前に、一人で突っ走り納得したタルトが私の名を呼ぶ。


「うん――っ、サヘラ! 呼びづらいからサヘラって呼ぶ事にする」


 サヘラ……。

 初めて貰ったあだ名……ちょっと嬉しい。


「サーヘラ、行こ行こっ」


 私の手を引っ張り、小規模な森を抜けると広がる住宅街。

 工場地帯にも見えるし、廃墟群にも見えるけど、人の気配があるし生活音も聞こえる。

 壁と壁の間に繋がれた太い紐には洗濯物が吊るされていた。


「じゃ、捕まってて」

「へ?」


 私をお姫様抱っこしたタルトが今いた場所から飛び降りた。

 景色に見惚れていて気づかなかったが、数歩先は結構な高さの崖になっていたのだ。

 住宅街を見下ろしている時点で気づくべきではあったが、そうは言っても初めての場所だ、無理もないと思う。


 冷静さが足りないのは、反省しなければ。


「っ、ん――――ッ!」


 悲鳴は出なかった。

 もしも叫んでいれば舌を噛んでいただろうから、叫べなかったのは幸いと言える。

 ただ悲鳴と一緒に言葉も出ないので、タルトになにも言えない。


 さらに加速する。

 洗濯物を吊るす紐、廃墟のような家の外壁を掴んで飛び移って行く。


 超特急フリークライミング。

 下がったり上がったり、臓器が体の中でシェイクされていく感覚。

 身を胎児のように縮めるので精いっぱいだった。


 やっと止まった時、そこは建物の屋上だった。

 賑やかな声が下から聞こえる。

 騒がしい場所に辿り着いたらしい……というか、気持ち悪い……っ。


「わっ、大丈夫!?」


 優しく地面に降ろしてくれる。

 手をぱたぱたと仰いで風をくれようとしているけど、まったくこない。


 そこにいられると流れて来る風が遮断されて、逆に邪魔なんだけど……とは言えない。


 多分、嫌われるだろうから。

 言わなくてもいずれ反応のない私に愛想を尽かすだろうけど。

 そろそろ、時間の問題だと思う。


 タルトは良い子だ。

 だからこそ私とは根本的に合わないと確信を持って言える。


 ……あれ? そう言えば、タルトは? 

 いないからこそ涼しい風が私に当たっている。


 さすがに放置はしないとは思うけど……いや、でも――、


「ばっ――冷たっ!?」


 驚きで飛び上がる。

 呼吸を荒くする私の前髪から水が滴り落ちる。

 セーラー服もびしょ濡れだ。


 どうやら私は冷たい水を頭からぶっかけられたらしい。

 ……確かに気持ち悪いのは綺麗さっぱり無くなったけど……朦朧とした意識も覚醒している。


 でも、さ。


「いや、一言ちょうだいよ……」

「効率を考えたらこれが一番だったのさ。最短距離を走るタイプでね。それに、タルトに泣きつかれたんだから、これくらいは許してほしいな」


 タルトに心配させた罰だ、とでも言いたそうだった。


「サヘラーっ!」


 起き上がった私に抱き着き、またもや押し倒される。

 びしょ濡れだけどタルトは気にしないらしい。

 元々水着だし、濡れるのを気にするのもおかしな話だ。


「じゃ、僕はこれで」


 立ち去ろうとするスーツ姿の女の子……タルトの友達、だろうか。

 待って、と呼び止めると、揺れていたポニーテールが止まる。

 そして振り向いた。


「あ、ありがとう……?」

「なんで疑問形なのさ。ま、お礼を言うのはタルトだと思うけどね。君も、お礼を言うのは僕じゃなくてタルトにだよ」


 タルトが助けを求めなければ僕はここにはいないわけだし、そんな事実を淡々と話す。

 タルトの友達とは思えないくらいに真面目だ。

 縁なしメガネをかけているし。

 それは関係ないかもだけど。


 正反対だからこそ、上手くやれているケースなのかな。


「フルッフー、ありがとー」


 私から離れて女の子に抱き着こうとするタルト。

 女の子がひょいっと避けるが、逃がすタルトではなかった。


 最終的に、タルトに捕まる前に女の子は自分の足に絡まって勝手にこけていた。

 後頭部を打ったらしく頭を抱えてぷるぷると震えている。

 小動物みたいだった。


「ぬ、濡れた体で抱き着くな、バカ」


 レンズの奥では瞳に少量の涙が溜まっていた。

 あぁ、泣いちゃったよ……。

 それを知られたくないのか、すぐに屋上の出口へすたすたと歩いて行ってしまう。


「フルッフは恥ずかしがり屋だなー。泣いても気にする事ないのに」

「泣いてない」


「涙声だったのわたし、聞いたもん」

「泣いていないと言っているだろ!」


 にしし、とタルトがからかい、彼女が全力で否定する。

 二人の関係性がよく分かる。


 腐れ縁、というやつだ。


「タルト、その子は?」


 私が聞くと、タルトが振り向き、迷いなく言った。


「親友だよ。フルッフ。この亜人街で非公式の情報屋をやってる。だから人間のサヘラの事も知っているかなって思って、紹介したの」


 この隙に帰ろうとしていたのか、扉のドアノブに手をかけたフルッフが、私を見る。


「……人間?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る