#3 目覚める前(現代)

 明日葉彩百合あしたばさゆりという名前が嫌いだった。


 もっと言えば明日葉の性を持つ血の繋がりのない家族が嫌いだった。


 もっともっと言えば。


 語れない空虚な自分――新しい家族に誇れない自分が、一番嫌いだった。



 両親が離婚した後、父親に引き取られた私は父親の再婚相手と暮らす事になった。


 義理の母と義理の姉。

 最初こそは優しく歩み寄ってくれていたけど、やがて私の事を厄介者と認識するようになる。


 原因は私にあるから、自業自得ではあるんだけども……。


 単純に、私は引きこもりだったわけだ。

 原因も明快。

 学校に居場所がなかった。


 中学から高校に上がり、私は見事にクラスメイトと合わなかった。

 多分、人間性という根本的な部分で。


 孤立し、常に一人ぼっち。

 話しかけてくれる優しい子はもちろんいた。


 自分で言うのもなんだけど、私の見た目はおとなしめで無害そうではあると思う。

 友達を作るチャンスは何度も巡り回ってきた。


 そのチャンスを活かせなかったのは当然私の失敗だ。

 ……そう、自業自得。


 両親のせいとは言わないが、一旦を担っているとは思う。

 特に元母親。


 あの人の影響を私は強く受け過ぎている。

 真面目な父親が社会に出る時に困らないようにと矯正させようとした結果、中途半端に両親の人間性が混ざり合ってしまった。


 二人の人間性は溶け込む事はなく、綺麗に二分化されている。

 ……両極端に。


 それだけ合わずによく結婚できたなあ、と、昔から子供ながらに不思議だった。


 結婚はできても上手くはいかなかった。

 だから離婚したのだろう。


 私の学園生活は我慢の連続だった。


 本能で生きている母親の影響を受けた私は、人間関係を壊してしまいかねない本音を無意識に言ってしまうらしい。

 気遣いや遠慮、空気を読む事ができていなかった。


 中学時代はそれで失敗していた。

 父親は、だから、グループに溶け込むよう私に教えた。


 本能を押さえ、鎖で縛るように我慢する。

 結果、私はなにを言うにも気を遣い、考え過ぎてしまう癖がついた。

 会話に大きなタイムラグができてしまう。


 人は相手の反応がないと色々と想像をするらしく、私の無反応を敵意とみなす子が多かった。

 考えている最中だとは思わないのかな? 思わないのだろうなあ……。


 友達になれるチャンスが転がっていても、私が掴もうとした頃には既に遠くへ転がって行ってしまっている。

 そのズレが、私が孤立した一つの原因。


 友達になる気がないように見える私に、友達ができるわけもない。

 好意で寄って来てくれるはずもないのだ。


 孤立している、つまりぼっちであるだけならばまだ寄って来る者はいる。

 一人よりも集団の方が強いのは目に見えて明らかだ。

 仲間を持っているリア充は、弱者をいじめるために面白そうだと悪意を持って寄って来る。


 でも、私にはそれすらもなかった。

 私は孤立したぼっちでも、弱者ではなかったのだ。


 本能に忠実――我慢して押さえてはいるけど我慢の限界だって私にはある。

 人間だし。


 男の子と本気の喧嘩をして、女の子の陰湿な攻め方に合わせてやり返して。

 いじめがいのない不気味な存在、と恐れられていた……と思う。


 そんな中で、私は強かに学校生活を送っていた。


 で、引きこもりになった原因は、……なんとなく? 

 嫌になったとか、そんなもの。


 はっきりとした理由はない。

 学校に居場所がない……そんな中でもしばらくは過ごせていたし、いじめやらが原因で引きこもるのはダサいと思っていたから絶対にしなかった。


 自然と引きこもっていた。

 風邪を引き、一週間ほど休んでそのまま、治っても学校へ行く気がなくなり、部屋に閉じこもるようになった。


 そして、それを良く思わない家族が、家にはいる。

 当たり前だ。


 学校と同じで家にも居場所がなくなった。

 父親は庇ってくれてはいるものの、義理の母親は私を疎ましく思い、義理の姉は家の汚点のように扱った。

 その通りだから、なにも言い返せない。


 もっと救えないのが、家にいても特にする事もない点だ。

 私には趣味がない。


 時間の無駄でも、ゲームでもするべきかもしれない、そこから生まれるものが、なにかしらあるかもしれない。

 ネットゲームならば最低限、同じゲーマー同士で繋がりがある。

 一人きりではない、心の支えがある。


 だけど私は興味を持てなかった。

 どんなものにも、私は夢中になれなかった。


 私を自己紹介する時、なにをどう語ればいいのだろう。

 なんて空っぽな人間だろう。


 誰もがすぐに手放す、ふうせんみたいだった。




 家を出た私は元母親を訪ねていた。

 ……来たくはなかったけど、あの家よりはマシだったのだ。


 よく燃えそうな旧い建物に元母親と元祖母が住んでいる。


 十字架を掲げ、胡散臭い商売に手を出しているらしい。

 お父さんが離婚したのも、これを見れば納得だ。


 お母さんを見ればそうするべきだと言うしかない。

 離婚推奨、後先考えない本能で生きている人と、合う人なんているのだろうか。


「あっ、彩百合ちゃん、おっひさー」


 蝶番が馬鹿になっている扉が、はずれそうだと不安になる音を立てながら開かれた。

 頬に赤い……ペンキであって欲しい痕をつけながら、お母さんが顔を見せる。


 セーラー服姿だった。


 ――帰ろ。

 厄介な事に巻き込まれる前に。


「ああもうっ、せっかく来たんだから寄って行きなよー。作ったチーズケーキあるよ?」

「……食べるだけなら入ってもいい」


 美味しいのは認める。

 唯一と言っていいお母さんといて得られるメリットじゃない?


 食べ物に釣られるところはまだまだ子供で可愛いね、とお母さんに引っ張られ、家の中へ。

 チーズケーキを食べている間にさり気なく私の服装が近場行き用のジャージからセーラー服に変わっていた。


 なんと、いつの間に!


「食べるのに夢中過ぎ。彩百合ちゃん、パンツ一丁だったよ」


 それにしてもぴったり、さすが親子ねえ、とお母さんが納得している。


「お母さんが昔着ていたセーラー服なんだよ?」

「ああ、だからタンスの奥にしまってあったように臭かったんだ」

「臭くない!」


 日常的に着ていると必死に訴えてくる。

 うん、今もそうだしね。

 匂いよりも日常的に着ている方が嫌だった。


 いい歳して私服感覚で着ないでよ。

 まさかこれで買い物に行ったりはしていないよね。


「商店街はたまに。おじさんに人気なの」

「親子の縁が切れていて本当に良かった。絶対にいじられるネタだよそれ」


 いじられる以前に私に近寄る人がいないけど。

 火がないから煙も出ない。

 燃えるものすらない、まっさらなアスファルトって感じ。


「じゃ、こっち来て」


 食べ終わった私を手招く。

 何度か遊びに来た事があるこの建物。


 祖母の家だ。

 しばらく前の記憶なので忘れている可能性もあるけど、明らかに間取りが変わっている。

 こんな大部屋、以前はなかった。


 中は薄暗く、広さが測れない。

 祖母――おばばが白装束を着てろうそくを手に持つ。


「あれ? やっと死んだ?」

「生きておる」

「遺憾だけどね」


 私とお母さんの息がぴったり、これこそ遺憾ながら。


「フンっ、目的の一つも達成できないままに死ねるかい、このバカ娘、バカ孫め」


 目的、ね。

 目的のない私が言うのもなんだけど、その目的を達成したところで、なにか意味でもあるのだろうか? 

 自己満足と言われたらお終いだけど……、何十年と労力をかける魅力があるとは思えない。


 人柱を使った、神の召喚。

 天使だとか先祖だとか、おばばの呼称はその都度変わっているので曖昧だけど。


「さて、始めようか。儂が中学生時代に憧れておった名女優を召喚する」


 スケールが一気に縮んだ。

 ……死者の蘇生……召喚? 

 これは魂を呼ぶ儀式だと言う。


 白い粉が大部屋の地面に引かれる。

 円を描き、その中身は私には分からない細かい専門的な文字。


 魔法陣……と言えば分かりやすいか。

 魔法なんて存在しないけど。


「おっと、否定するのはいけないよ。あるかもしれないんだから……ね」


 お母さんに諭された。

 その言い分も否定できないものだった。


 私が知らないだけで、あるかもしれないのだから。

 ……いや、ないだろ。


 描かれた陣の真ん中、椅子が置かれ、おばばが私の背中を押す。

 そして椅子に座らされた。


「ちょっと待て、おババア」

「悪意を感じ取ったぞ。丁寧におをつけておるが、確実にババアと言ったじゃろ!」


「それよりも、誰が人柱になると言ったのかな。成功するとは思えないけど、だからと言って差し出せるほど私は自分を粗末にするわけじゃないから」


「大丈夫じゃよ、どうせ失敗する。なにも起きやしないよ」

「じゃあお母さんでもいいじゃん!」


「処女じゃないとダメなのよ。ねえ、いいでしょ? 彩百合ちゃん、チーズケーキ、食べたわよね?」

「うわっ、卑怯! 年を重ねるとそんな悪知恵がつくんだね、さすが熟女!」


「…………」


 お母さんが笑顔のまま固まった。

 んー、と考え、そして一呼吸。


 ぎゅっと抱き着かれた。

 心臓の鼓動が伝わるほどに密着している。


「愛してる。他の誰もが彩百合ちゃんを見捨てても、お母さんだけは見捨てない。一生、彩百合ちゃんの味方だから」

「……嘘臭いな……。じゃあ離婚した時も私を引き取ってよ」


「引き取るって言っても、どうせあの時は断ったでしょ。彩百合ちゃん、お母さんの事、嫌いそうだったし」


 それはそうだったけど。

 あの時もあんなにあっさり引き取り先が決まるとは思わなかった。


 彩百合はどっちが良い? 

 そんな答えづらい質問をされるかとびくびくしていたのに。


 もちろん、お父さん、と答える気満々ではあったけど。


 あの時は本当に、お母さんは私の事なんてどうでもいいんだろうなあって、ショックだったんだから。

 だから嫌いだった。

 でもこうして訪ねてしまう……矛盾してるんだよね。


 嘘をついている。

 私は、本当はお母さんの事が大好きなんだって。


 そう思っていたのに。

 ……今、完全に大嫌いになった。


「椅子にっ、私をっ、縛り付けるための時間稼ぎかッ!」

「ガムテープのべりべり音にも気づかない彩百合ちゃんにも問題があるよ」


「うむ、準備が整ったぞ。段取り通りに、召喚できるぞい」

「嫌だぁ! 実験体になんかなりたくない! 清い体でいたいのにぃ!」


 ふへへへへへっ、とセーラー服&白装束が陣の外側で私を見守る。

 下卑た笑みで。


 さすが親子、息ぴったりでそっくりだった。


 おばばが壺を取り出し、中身をひしゃくですくい上げる。

 陣の中を満たすように、丁寧に流していく。


 上手なもので、陣の外側には漏れていない。

 見惚れてしまうほどの腕前だった。


 薄暗い部屋が光に照らされる。

 満たされた液体が発光したのだ。


 ――嘘っ!?


「「えっっ!?」」


 ちょっと! 

 実行者二人が一番驚いた顔をしないで! 

 不安になる!


 本当に、おばばが憧れていた名女優が、私の体を使って召喚されて――




 そんなわけは当然なかった。

 目が覚めた時、森の中だった。

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