第四十一話 初の願いごと
彼女はどこか、薄く見える。
それは厚みではなくて、ぼくが長年付き合ってきた、幽霊のような見え方だ。
……透けて見える幽霊というのは、ぼくからすれば珍しいけど。
周りにいるのは、母さんと、夏葉さんと、知秋。
初を囲むように見守る三人の中に、踏み込む。
「……初。鎖が、切れて……」
鎖が切れた場合、再びぼくたちの関係が入れ替わる……と思っていたが、違う。
ぼくの意思で切ったわけじゃない。
かと言って、別の死に神が隙を見て鎖を千切ったわけもない――。
どちらにせよ、鎖が切れた場合はぼくと初が入れ替わるだけだ。
しかし例外がある――初自身が、鎖を切った場合だ。
それでも入れ替わってしまえば、じゃあオウガが画策した死に神と人間の敵対に、意味がなかったことになってしまう。
自分で切れるなら最初からそうしていれば、死に神は人間と入れ替われるのだから。
でも、そうしなかったのは、できないからだ。
別の結果が待っていることは、言わずもがな。
なのに、ひばりが明確に口にする。
「……死に神が自分から鎖を千切れば……己が不要であることを意味するのよ――」
元を辿れば死に神は、主である人間を死から救うために生まれた存在だ。
急死に一生と言われ――救えた時点で死に神の役目は終えている。
のだけど、人間らしさを伴った死に神は、自分も人間として生き続けたいと、救った人間の傍にくっつき、共に過ごす中で入れ替わる機会を窺っている。
そう、死に神の役目は、救った時点で終えていて、長く居続けるのは死に神自身の都合であり、我儘だ……。
人間側がいらないと言っても、選択肢は死に神にある。
ちゃんと二つ、生きるか消えるか、初は選べる立場にあったのだ。
そして、初は選んだ。
「どうして……ッ、なんでだよ――初ッ!?」
これから、ずっと一緒にいられると思ったのに……。
初のためなら、ぼくはなんでもできる、自信になったのにッ!!
どうして、ぼくの目の前から、消えるんだ…………っ!
初が、ふっ、と笑った。
「……重荷になりたくない、ひつぎをもう、縛りたくないの」
「ないだろ、そんなこと……! ぼくは縛られたいくらい、初が好きなんだよ!!」
周りに知り合いがいても臆面もなくそう言えるくらいには、感情が爆発した。
いま言わないと、初は本当に消えてしまうと思ったから。
「わたしも好き。大好き。生まれた時からひつぎのことが」
「だったら!!」
「でも、わたしたちは同一人物みたいなものだから――恋はできても恋人にはなれない」
それが、叶わない恋慕という、重荷。
これ以上は近づけないという、関係の鎖。
初はそれに堪えられなかった。
「戸籍が、重要なのかよ……ッ、
周りが認めなくても、どんな目で見られようとも!
近くに初がいてくれるだけで、ぼくは充分幸せなんだよ!!」
初が悲しげに笑った。
多分、ここがぼくと初の違いなんだ。
「こだわるよ。わたしは先に進みたかった。でも、進めないの。恋人になれない。仮にわたしたちの間だけで演じても、結婚なんて無理。子供なんて不可能。……実現できるかもしれないってどこかで思ったまま一緒にいるなんて、生き地獄だよ、そんなの」
障害は多いだろう……でも、いなくなることは、ないだろう……っ!
「わたしは前に進めないけど、ひつぎなら進める」
「わたしのせいでひつぎが止まる方が、ずっとずっと、嫌だから」
「分からないよ……わかんねえよ!! 初!」
今度は、くすっと笑った。
もう、初に悲しそうな表情はなかった。
「わたしは、わたしよりも、ひつぎの幸せを願ってるの」
「だから……ッ、初が傍にいた方が――」
「長い目で見たら、ひつぎの幸せは、きっとこっち」
ちら、と初がひばりを見た。
「恋をしろなんて言わない、わたしを忘れてひばりと……なんて、わたしだって嫌だよ。
嫉妬しちゃうし、ひばりを嫌いになるかもしれない」
「あたしだって、こんなの好きになるわけないじゃない!」
ぼくだって、と言い返しそうになったが、初から視線をはずさない。
「でもね、オウガがいなくなったら、ひばりは一人だよ」
墓杜家はほぼ壊滅し、ひばりには両親がいなければその他の親類縁者もいない。
ぼくには母さんがいるけど、ひばりには、本当になにも……。
「ひつぎの柱が誰かを守ることなら、わたしである必要はないでしょ」
「……代わりならいくらでもいるみたいな言い方、するなよ……ッ」
初は、初だ。
誰も代わりになんかならない。
「戻ってこいよ、初……! どんな障害も、初が抱える不安も、達成困難な夢も全部!
ぼくは一生をかけて叶えるために頑張るから――だから!!」
結局、ぼくは。
これまでも、これからも、初に依存していくのだろう。
守られるのではなく、守ることで。
それが悪いだなんて、初にだって、言わせない。
これがぼくの人生なんだから――。
「ダメだよ、ひつぎ。そんなの許さないから」
すると、……はあ、と大きな溜息を吐き、ひばりが口を挟んだ。
「口を出す気はなかったけどさ、あんた、説明する気はないのね?」
ひばりが初を睨む。
数秒の間、二人に沈黙が流れ、言葉を交わさず意思を確認した。
「あんたは本当に、こいつのことが好きなのね」
「うん。大好きっ」
ひばりがぼくの手を掴み、
「諦めなさいよ。あれはもう、どんなに説得しても覆す気が無いわよ」
「だとしても! 諦められるわけないだろ!!」
「いいから」
短くも強い感情が乗ったひばりの言葉に、圧倒された。
「あの子の覚悟を、無駄にしないで」
そして、本格的に消滅し始めた初が、ぼくに微笑む。
「わたしのお願い、聞いてくれる?」
「…………もちろんだよ」
最期だから、じゃなく、いつだってぼくは、初のお願いならなんでも聞く。
助けてと言われたなら、すぐにでも。
察した初が首を左右に振り、違うよ、と示す。
「お母さんと、仲直りしてね」
最期であっても、初は自分ではなく、ぼくを優先させた。
すぐに、余韻に浸る間もなく、初が消えていく。
触れることも、もう叶わない。
この世にいたという外的な痕跡は一つ残らず消えて、関わった人間の心の中だけに、彼女がいたという記憶が残り続ける。
初が消えた際の世界改変は、人の心にまでは手を入れなかった。
だから、ぼくは覚えていた。
長年、勘違いして、嫌っていた母さんの前へ進む。
懐かしくて、こうして向かい合うのはなんだか照れ臭かったけど、
ぼくから言わないと、元には戻れないし、進めない。
上擦った声に、ぼくの緊張が母さんにも伝わって、ぎこちない会話だった――。
でも。
ねえ、初。
……仲直り、できたぞ。
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