第三十九話 我慢比べ
オウガとの殴り合いは、当然のようにぼくの劣勢だ。
一撃さえ、まともに当たらない。
一方的に顔を殴られ、意識が朦朧としているし、知識がなければ技術もないぼくの体重の乗らない拳はオウガに簡単に避けられる。
咄嗟に腕でオウガの拳を防いでも、脆い盾は着実にぼくにダメージを与えていった。
全身に痛みが走る……それがずっとだ。
立っているのが不思議なくらい、オウガの本気の拳を受けている――。
でも、倒れない……。
それだけを意識していれば、できないってほど難しいことではなかった。
ただ、反撃を意識しないからこそ立っていられている……、
これが崩れてしまうと簡単に意識が持っていかれてしまうだろう。
自分自身の中で、膠着状態が続いている。
なにか、きっかけがあれば……。
反撃に転じることができる、なにかが起きれば。
しかし、オウガを前にしてそんな偶然が起こるはずがないし、それを許すオウガでもない。
オウガは油断をしなければ、淡々と同じ動きを繰り返している。
変化を求めなければ偶然も起こらない。
着実に、ゆっくりと、ぼくの意識を落とそうとしている。
我慢比べ、でもある。
ぼくはきっかけをひたすら待ち、オウガは狂いなく同じ攻撃を繰り返す。
重視するのは肉体ではなく、心だ。
どちらにしたってぼくに勝ち目はないように思える――でも。
今のぼくに勝機があるとするなら、絶対に心の方だ。
ぼくがどうこうじゃなく、急いた方が負けるとすればオウガの方が苦しいはずだから。
勝ちにはこだわらない。
なぜなら、オウガとは目的が違う。
ぼくは守れたらそれでいい――そのために、必ずしもオウガを倒さなければならないわけではないのだから。
いつまでも付き合う……その覚悟くらい、ある。
やがて、だ。
「お前は、いつまで……ッ、しつこいぞ……!」
無感情に繰り返されていたパターンが、初めて崩れた。
オウガの振るわれた拳が、今までよりも僅かに、強かった。
だからぼくの体がオウガの拳に持ち上げられ、真後ろに飛ばされる。
大木の幹に、背中を打ち付けた。
霧が晴れているにもかかわらず、視界がぼやけて見えるのは、限界が近いからか……?
オウガの拳を防いでいた左腕が上がらない……。
峠を越えて痛みは感じないのに上がらないというのは、生物的に壊れたのだろう。
ただの骨折ならいいけど、複雑やら粉砕やらしていたらと考えると恐ろしいな……。
――ともかく、膠着状態が解けて発展したというなら、一応、我慢比べはぼくの勝ちだ。
ただ、そんなの勝手にぼくが思っていただけの一人相撲でしかない。
オウガは負けたとも、そもそも勝負をしていたとも思っていないだろう。
「……そこまでボロ雑巾になってもまだ、足掻くつもりか……?
誘ったのはオレだが、そうまでして勝ちにこだわるのは、逆に男らしくなく見えるぜ……!」
すると、応援とは言えない怒声が横から聞こえてくる。
「なにが、男らしさよ……ふざけんじゃないわよ!!
そんなくだらないことで……っ、勝てたはずの勝負を投げてまで、あんたはなにを証明したかったのよ!!」
オウガへの文句かと思いきや、ひばりはぼくに言っていた。
なぜか、大粒の涙を流しながら、だ。
確かに、理解はできないだろうなあ……。
首肯していたオウガも、男らしさとは違うぼくの狙いを読めず、表情には出さないが、追撃の躊躇いから、困惑しているのが分かる。
ぼくの狙いなんて、勝負とは関係ない自己満足でしかないし、分からないのも無理はない。
逆に、分かったとしたらどれだけぼくを見ていたんだと言わざるを得ない。
見た目の話ではなくて。
だから答えを知るのは、たった一人だ。
「見つけられた?」
そんな風に語りかけられたと感じるのは、繋がっているからだろうか。
だから、ぼくも返す。
「見つけられたよ」
男らしさとか、プライドとか、約束だとか、ルールだとか、そんなものがどうでもいいと切り捨てられるほどの大事なものが胸の中にあるのだと分かった。
それが分かれば、もう充分だった。
負った傷は大きく得たものに対して見合わないかもしれないけど……長い目で見れば釣り合うどころではなく、一生ものの宝になる。
もう、前へ進もう。
膠着状態はこれで本当に終わりだ。
唯一動く右手で、背にした大木に突き刺さる、鎌に手をかけた。
狙ってオウガが、ここへぼくを飛ばしたのか……否、だろう。
偶然だ。
偶然? ぼくがこの大木に衝突した時、鎌は突き刺さっていただろうか。
分からない……気付けば手が届く位置に鎌があった、という認識だ。
その証拠に、オウガが目を見開き、ぼくの意図を察していた。
「能力はなしだと、言ったはずだ――!」
飛び出したオウガが批判の目を向けるが――確かにぼくは勝負をする前にオウガと約束を交わした……でも、似合わずオウガも真面目である。
約束を交わしたから、それが必ず守られるとも限らないのに。
約束を守るのが常識だろうけど、関係性は限られるだろう。
少なくとも、敵を前にして必ず守ると誓う……なんて、誰が言う。
ぼくが守りたいのは、約束じゃない。
守りたいものを守るためなら、悪人にも外道にもなってやる!!
ぼくは鎌を、引き抜くのではなく、突き刺さったままの状態から押し込んで、大木を切り裂いた。
根元との繋がりを失った大木は、切り口の状態から、オウガの方向へと倒れていく。
めきめき……、という重量を感じさせる悲鳴は上げず、ぱすんっ、という軽い空気が抜けた音が響き渡る。
察しの良いオウガがすぐさま気付いた――しかし遅い。
オウガの足に溜まっていた空気を使ったロケット噴射移動により、オウガはさっき、即席の高速移動を実現していた。
両足首までに溜まった空気のみで、その速度だ。
もちろんオウガの体重も関係しているが、なら、大木はどうだろう?
オウガよりも体積、重量は大きく、たとえロケット噴射を利用しても速度は出ないかもしれない……とは思ったものの、杞憂だった。
根元から切り倒した大木の切り口は、筒のように伸びる大木のほぼ全ての空気の出入り口となる。
つまりだ、見たままの容量に入る空気が、一気に噴射される。
形もさながら本当のロケットのように、大木がオウガを巻き込んで林道を滑っていく。
「……ッッ!?」
近くにいたぼくも例外ではなく、噴射された空気の影響をまともに受け、体がふわりと浮いてどこか遠くへ吹き飛ばされそうになった。
しかしだ、結果、この場にいられたのは初と繋がった鎖のおかげだった。
初と一定の距離以上を離れられないのなら、初がその場に居続ければ、ぼくの体が長距離を吹き飛ばされることもなく――。
風に煽られて数十秒、まるで鯉のぼりのようになびいたぼくの体が地面に落下する。
ふらふらとした足取りで、でも倒れなかったのは、急がなければならないからだ。
無意識に、足がそこへ向かう。
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