第十六話 返す番

 どこかで、期待していた自分がいた。

 だから、おれは『おれ』のままでいられたのだろう――。


「ひばりを、助けないと……っ!」


 でも、どうやって?

 オウガを含めた死に神が、五人。


 敵のフリをしたままの初を入れれば六人だ。

 それを、おれ一人で相手をするのか……? 


 ――無理だ。


 勝てるわけがない……ッ!


 視線で初へ訴えるものの、彼女は敵のフリをやめようとはしなかった。

 初のことだから、どこかで必ず死に神たちを裏切ってはくれると思うけど……。


 いくら初でも、五人の死に神を相手にしたら厳しい戦いになる。

 だからここぞというタイミングで裏切るよう企んでいるはずなのだ。


 ……少なくとも今じゃない。

 でも、今、動かないとオウガの手でひばりが殺されてしまうッ!


 どうする……、どうすれば……。

 初……、おれは、どうすればいい……?


「ひつぎ、いま、目の前にいるのはわたし」

「え?」


 初に訴えていながら、おれは彼女の後ろで倒れているひばりを見ていた。

 視線は初に向いているが、意識や思考は全て、ひばりに注がれていたのだ。


 ……初めてかもしれなかった。

 初は、表情が変わらない、感情を表に出さない、何度とそう言ってきたけど、だからって本当に無感情ってわけじゃない。

 ただ表に出ないだけなのだ。


 淡々とおれに嫌がらせをしてくることだってある。

 分かりやすい暴力こそないものの、不機嫌を示す行動は一目見ればよく分かる――だから、初めて、なのだ。


 小学生の頃でさえ、みんなの輪に混ざっても笑うことのなかった初が。

 今、露骨に不満顔を見せていたのだ――。


「……、初……?」

「いまは、わたしと向き合ってるんだよ」


「わ、分かってるよ……言われなくても、目の前にいるのは、初だ」

「分かってないよ」


 初を見ようと意識しても、やはり気になるのはひばりだ。

 視線が散ってしまう……!


 二人を交互に見ている最中、ふと気付けば、ひばりの姿がなかった。

 場所を間違えたのかと思ったが、確かにさっきまでそこにいた。

 壁に寄りかかって、気を失っていたはずだ……目を醒ましたひばりが自分で動いたわけじゃない。


 なら……、オウガ、が……ッッ!?


「初! ひばりがっ」

「まだ」


 初が言葉を遮ると共に、大鎌の刃を地面に突き刺した。

 おれの足下に。


 すると硬いはずの床が、パンッ、と音と立てて破けている。

 砕かれているのではなくて、破けている?


「まだ、わたしが帰ってくると思ってる?」


 鎌が引き抜かれた瞬間に飛び出した突風に、両足がふわりと浮いた。

 ただの風なのに、なにかとぶつかったような衝撃を感じて後方へ飛ばされる。


 受け身も取れず背中から落下したが……クッションが落下の衝撃を柔らげてくれたみたいだ……、

 クッションなんてあったっけ? 

 そんなもの――、

 手で触れると、ぶよぶよとした感触に正体が掴めなかったが、見たらすぐに分かった。


 廊下の床だ。

 …………でも感触はゴムだ、空気を抜いたビニールプールのような……。


 徐々に、床全体が沈んでいっている。


「なんだ、これ……!」


 立ち上がろうとしたが、足が取られてしまって両手が地面から離れない。

 なんとか立ち上がると、おれが立つ場所がさらに沈んでいく。

 ハンモックの上に立っているみたいにさらにバランスが取りにくくなっていて、再び四つん這いになってしまう。


 そんな不安定な足場を、まるで普通の床みたいに初が歩いてくる。

 足音はしぼんだゴムを踏んづける音だが、歩くたびに沈む床を気にしてもいなかった。


「これが、初の、鎌の能力なのか……?」


 オウガに、瞬間移動……でなく、高速移動する能力があるように、当然、初にだってあるのだ。

 思い返せばおれもこの能力を使っていた。


 その時は知秋がいたし、咄嗟だったので自分でなにをどうしたのか覚えていない。

 あの時は必死だった。

 気付けば自分たちを追い詰めていた苦い結果だったが……能力は使い手によって強さが変わる。


 高速移動にしたって、初や知秋からかき集めたヒントのおかげで、おれはひばりを倒すことに成功した。

 でも、あれがオウガだったら、たとえ能力を解明していたところで勝てなかっただろう。


 それに、元々は死に神のものだとオウガが言った。

 高速移動はオウガの能力だし、このぶよぶよの床に変えた能力も、初のものだ。

 能力のルールブックを持つのは死に神の方で、おれたち人間は一時的に借りているに過ぎない。


 説明されなくちゃ、分かるわけがないのだ……!


『疑惑』

 ――と、御子峰の言葉を思い出す。


 彼女は知っていたのか……? 

 死に神たちが敵に回るということを……。


 パートナーを疑えとも、彼女は言った。

 つまり、死に神から語られた能力が本当であるとは限らない。


 ただ、嘘だと断言できる根拠もないわけだけど……。


「うん、そうだよ、斬りつけた床や壁を、ゴムのように変える能力――」


 初の言葉に、嘘はないように思えた。

 おれが知る限り、一番上手いポーカーフェイスの持ち主だが、初は口数が少ないゆえの欠点がある――普段は意図的にやっているわけじゃないだろうけど、今に限れば、わざとだろう。


 嘘は吐いてない。でも、


「全部は言ってない、ってところ?」


 口数が少ないゆえに説明不足であったり、言葉足らずで誤解させてしまうことがある。

 ちゃんと一から十まで説明すれば伝わることも、初は半分の説明しかしないため、少ない会話から読み取らなければならない。


 話さない、ということは初の中では必要のない説明で、少し考えれば分かる、と示唆しているのだろうけど……難易度は高い。


 おれくらいだろ、初の真意が分かるのは。


「疑ってるの?」

「……ごめん」

「ううん、ひつぎは悪くないよ」


 罪悪感が膨らむ。

 大切な幼馴染みを疑ったのに……、なぜか初は微笑んでいた。


 今になって、自由に動き始めた幼馴染みの表情に、思わず見惚れた。

 ……オウガたち、死に神が求めているものは、おれと同じだった――。


 だったら。

 もしかして、だけど……。



「おれのせいで、初は表情を失って……?」

「わたしを疑ってくれたなら――あと、少しで……」



 同時に呟いたことで、互いに相手の口の動きを見れなかった。

 たとえ言葉を出さなくとも、考えを伝え合える昔からの特技も、さすがに見えていなければ読むこともできない。


 初の呟きがなんだったのか、聞き返しはしなかった。

 その一言が、決定的なすれ違いになるはずもないだろうし……。



「ひつぎ、あそぼ」


 初が照れ臭そうに言った。

 状況にそぐわないセリフだったけど……おれと初にしか共有できない思い出がある。


 初は変わらない……中身も、見た目も。

 小さかった頃の初の面影を残して、化粧で極端な変化も見せず、大人へ成長した姿。


「あそびたいよ……でも、ここから出られないんだ」


 何度と繰り返していても、必ず交わしたやり取りがあった。

 初がなんて返してくれるのか分かっていながら、おれはその言葉が聞きたくて、毎日、同じ言葉を返していた。


 あの時は無表情だった初も、今は、おれに笑いかけてくれている。

 無理だよ、と言いながらも決して首を左右に振らなかったおれの手を無理やり掴んで、初はおれを屋敷の外へ、親に内緒で連れ出してくれた。


「わたしが、連れていってあげる」


 初のおかげだ。

 おれを狭い世界で満足させないで、外の世界へ興味を持たせてくれたのは、毎日、初がおれを誘ってくれたから。

 そして、屋敷の外へ出ると決まって寄ってくる悪霊たちから守ってくれたのも、初だ。


「どんなことからも、わたしがひつぎを守るから」


 交わした約束をずっと、今日まで守ってくれていた。


 ……おれは、バカだった……!

 初が守ってくれることが当たり前だって、勘違いしていたんだから……!


 約束を守ることでなにかを犠牲にしていたとして、それが初の表情だったとすれば。

 死に神である初が、おれの傍にいることで自由を制限されてしまっていたなら。

 おれは、おれが感じていた苦痛を、知っていながら初に押しつけてしまっていた――。


「……違う」


 昔は彼女から掴んでくれていた手を、今回はおれから掴む。


 連れていってもらう? 

 守ってもらう? 


 ……初に我慢を強いるくらいなら、おれだけに優しい世界なんて、いらない。


 おれは、あの日、あの場所で助けられた時から、初に生かされていた。


 だったら――初が助けてくれた命を初のために使って、なにが悪いんだ!?


「今度はおれが」

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