第十七話 君の代わりに
「――なんだ、まだ済んでねえのか。ほだされるのは勝手だが、なにも解決しねえぞ」
「……あなた」
なんとなくだけど、初の言う『あなた』は、お前やあんた、と第三者を指す言葉だと分かっていながらも、別の意味に聞こえてきて複雑な気分だった。
名前で呼ばれるおれの方が距離感は近いはずなのに……。
声で分かってはいたが、初の手を掴んだまま、振り向いて確認する。
オウガが立っている場所は、まだ柔らかくなっていない硬い床の上だった。
「こっちはもう済んだ。あとはお前だけだ」
片手でひばりの頭を鷲掴みにしていた。
見せつけるように持ち上げる。
元々包帯で隠れていた傷とは別の、青黒く変色した痛々しい痣が全身に現れている。
意識が朦朧としているものの、死んではいない。
ひばりの視線がおれに向いたが、果たして見えているのかは微妙なところだ。
ピントがずれているのか、眼球がおれを捉えていなかった。
「ひ、つぎ……? そこ、に……?」
「いるよ」
ひばりの口から悲鳴が漏れる。
なにか、言われたくないことでもあるのか、オウガがひばりを掴む手に力を入れたのだ。
やろうと思えばオウガの力なら、ひばりの頭蓋骨を割ることだってできるはず……、
もしも、ひばりを盾にオウガに脅されでもしたら――。
『いまは、わたしと向き合ってるんだよ』
……うん、分かってる。
一度に二人の女の子と真剣に向き合えるほど、おれは器用じゃない。
そして、どちらを優先させるか、なんて既に決めている。
痛みによるものなのか、暴力への恐怖なのか、震えるひばりがおれに向けて、
「助……けて…………」
「ごめん、ひばり」
迷う時間は作らない。
答えが出ているのに、迷っているフリなんてしたくなかったから。
「おれは、初を選んだんだ」
「くっ、くっく――」
堪えていたみたいだが、我慢できなくなって、オウガが笑い声を漏らした。
「お前が求めた王子様は手を取ってくれなかったみたいだな。そりゃあそうだろ、元々お前はあいつの不都合を強制しにやってきたわけだからな」
そう言えば最初はそうだった。
ひばりはおれを実家へ連れ戻すためにやってきたのだった……。
別に、それが選ばなかった理由ではないが、オウガに説明するつもりもない。
「人質にならないなら、こいつはもういらねえか」
「待っ――」
声を上げたのは初だ。
しかしオウガの手は止まらず、小さな鎌がひばりの胸を貫いた。
既に満身創痍だったひばりは、悲鳴も上げず、口から血を吐き出してまぶたが落ちた。
投げ捨てられ、硬い床でなくぶよぶよの床へ落下したのは、オウガの最後の優しさだったのだろうか……?
ひばりの体がゆっくりと沈んでいく。
「面白い能力だ。全貌はまだ分からねえが……」
優しさなわけがない。
動けないひばりを利用して、初の能力の解明のために実験台として利用したのだ。
「……殺すこと、ないでしょ……!」
睨み付ける初を相手にせず、オウガが背を向けた。
「手伝う必要がないならオレらは解散だ。あとはお前が一人でやればいい、お前らの問題だろ。オレらは協力が必要だったが、お前は違うみたいだしな」
そう言って、オウガが軽く手を振り、
「また会おうぜ――人間として」
オウガが去った後、初がひばりに駆け寄った。
「…………っ、息が、もう――」
初が、ひばりの手についていた千切れた鎖を持ち上げたのが見えた。
今まで見えていなかったものが、はっきりと目に映るようになる。
生まれつき幽霊が見えていたおれは、見え始めたことに驚きはなかった。
素質があっても後天的な霊能力者のような、新たに見える喜びは味わえなかった。
そんなおれにもあったのだ、新しく見えるようになった喜びというものが。
緊張し、安堵した初の、度々と変わる表情。
ひばりと同じように、おれと初を繋ぐ、手についていた鎖だ。
見え始めると音も聞こえてくる。
じゃらじゃらと、金属音がおれに語りかけてくる。
多分だけど、軽くでいいからおれが叩けば、それで砕けるだろう。
たったそれだけで、おれに縛られていた初は自由になれる。
もう二度と目を開かないひばりの顔に浮かぶ、青黒い痣を撫でる初が小さく呟いた。
「ごめんね……」
守れなくて、ではない。
初は最初から、守る気なんてなかった。
結局、初は死に神たちを裏切っていない。
なにをするか事前に聞かされていたのだ。
その上で(殺されるとは思っていなかったみたいだけど)、なにもしなかった。
だから、見捨ててしまった罪悪感から出た言葉なのだ。
初は最初から、おれの鎖だけを狙っていたのだから。
「初」
おれたちを繋ぐ鎖を手に持って、声をかける。
振り向いた初がおれを見て、驚いて目を見開いた。
「……鎖、見えてるの……?」
「そうみたいだ。……初の目的も、おれがどうすればいいかも、伝わってきたよ」
「そっか……」
あれ?
初は喜んでくれると思ったのに、浮かない顔をしていた。
……浮かない顔だって分かることが、新鮮だった。
鎖を千切れば、死に神は自由になれる。
おれたち人間に縛られず、去っていったオウガや他の死に神のように、自由に動き回ることができる。
説明されたわけじゃないから本当のことは分からないけど、そういうことだって、鎖が語ってくれている。
「……これはね、わたしの弱さなの」
ぎゅっと、拳を握り締める初が、長年溜めていたのだろう感情を一気に爆発させた。
「やりたいことがあるのに、ひつぎのそばを離れたくないって、思ってる……っ!」
じゃあ一緒にいればいい――、とは言えない。
それくらい初だって考えているはずだ。
でもそう言わないのは、できない理由があるから。
殺された人間たちを考えれば、明白だ。
鎖を繋いだままなら、きっと一緒にいられるだろう。
でも、初のしたいことはできないのだ――だから悩んでいる。
でも、そんなの、二択で迷う必要なんかない。
「初のしたいことをしなよ」
だと、きっと初はまた悩んでしまうだろう。
言い方は、そうじゃない。
初はおれを大切に思ってくれている。
おれも同じくらい、初を大切に思ってる。
相思相愛って言うと照れ臭いけど……だから、そこを利用する。
人の好意を利用するけど……こういう使い方なら、許してよ、初。
「初のやりたいことをしてきてよ。おれは、初には前へ進んでほしい」
おれと同じ場所でなく、もっと前へ。
初には初の、人生があるのだから。
「でも、そしたらひつぎは――っ」
初が決められないのなら、おれが決める。
たとえおれの命がここで尽きたとしても。
初に、おれが感じた苦痛を、与えたくはなかったから。
握っていた鎖をぎゅっと握ると、ガラスを割る音と共にいとも簡単に砕けた。
これで、おれと初を繋いでいた鎖はもうない。
初はもう、おれに縛られない――。
「今まで守ってくれて、ありがとう――初」
暗転していく意識の中で、一筋の涙を流しながら呟く初の言葉が耳に残った。
「待ってて。必ず、わたしがひつぎを救うから」
完全に幕が下りた暗闇の中で。
模索するように、おれは初の言葉を繰り返す。
…………救う?
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