第七話 瞬間移動の謎

 初が大男を相手にする。

 そうなれば必然、ぼくは転校生を相手にしなければならない。


「なるほどな、ひばりを処理する方がはるかに簡単だが、オレから目を離すリスクの方が大きい。だったら、ひばりを野放しにすることにはなるが、少し手間取ってもオレを優先的に仕留めた方が危険は少ないと判断したか」


「ひつぎは、逃げるのが得意だから」


 初が、転校生を軽く一瞥して、


「あれ程度なら、数分くらい目を離しても平気」

「ほお。数分でオレを片付けるつもりか」

「可能か不可能か、迷う意味はないもの」


 ……、続けて、初が言った。


「そうしないとひつぎを助けられないなら、無理でもやる」



「……バカにすんじゃないわよ……っ」

「ひっ――」


 初が一瞥した際の視線が、転校生にとっては不愉快だったようだ。

 それもそうだろう、転校生『程度』に、ぼくはやられないと初が言ったのだから。


 でもね、初……それは過大評価だ。

 普段以上にやる気になってる、ただでさえ霊能力者として名高い墓杜家の人間だ。


 逃げることに関してはぼくも積み重ねた経験から苦手ってわけではないけど(むしろ逆だが、堂々とは言いづらい)、幽霊相手ならまだしも、霊能力者だ。

 しかも瞬間移動してくるのだ、点から点へ座標を移動してくる相手から、どう逃げろと言うのか……。


「ひつぎ、そのことなんだけど……」


 ぼくの肩を叩いて、知秋がぼくの耳に顔を近づける。


「さっき見たでしょ……おかしいところ」


 おかしいところ?

 あったっけ、そんなの?


「…………報われないなあ、初」


 急に遠い目をした知秋に――そんなことよりも!


「逃げようっ、早く!!」



 その時――パァン、という、不吉な音が足下から聞こえてきた。


『え?』


 知秋と声が重なった。


 すると、がくんと左足が引っ張られ、咄嗟に知秋の服を掴む。

 彼女もバランスを崩していたようで、ぼくが引っ張ったことで完全に重心が横へずれ、引き戻すこともできない。


 知秋ともみくちゃになりながら、気付けばハンモックに寝ているような状態で身動きが取れなかった。

 落下の余韻が残っていて、ゆりかごのように左右に揺れている。


 仰向けに倒れたので真上がよく見える。

 覆い被さっている知秋の後ろ。


 穴からぼくたちを覗き込む転校生が……、


「きゃっ、ちょっと、ひつぎ……腕をもぞもぞさせな」


 ここにいたら、転校生にとっていい的だ!


 知秋と重なっている今、無自覚だろうけど、彼女に完全にホールドされているために腕くらいしか動かせなかった。

 だけどそれで充分だった。

 ぼくの考えを見抜いたように、鎌がぼくの手の中で転がり始め、ぼくたちを吊している周囲のゴムを切り裂いた。


 突然の浮遊感に心臓がきゅっとなった後、背中から地面に落下する。


「ぐっ、けほ、ぇぐっ」


 衝撃が全身に駆け抜け、思わず嘔吐いている内に、

 ぼくたちが開けた穴から、転校生が落下してきた。


「面白い能力ね、それ」


 当然、ぼくたちみたいに受け身も取れない落下の仕方ではなく、まるまる一つの階を飛び降りたにもかかわらず、着地は綺麗で音も澄んだ音色だった。


 こういう細かい所作から、力の差がよく分かる。

 転校生は、上から垂れている天井の切れ端をつまんで、


「斬りつけた物体をゴムに変えてる……? 一見、強そうには見えないけど」


 初が使ったならまた違っただろうけど、ぼくじゃ使いこなせないだろう。

 今だって、自分で自分を追い込んでしまっているのだから。


「初…………」


 無意識に呟いていた。


 早く、きてくれよ……。

 数分って、言っていた。

 それって一分か、九分か?


 長い。

 長過ぎる。

 ぼくにとっては数時間にも等しい初の不在だ。


「……あんたは、さ、自分がどれだけ恵まれた環境にいたか、分かってないのよ」


 恵まれた環境?


 きっと、家のことを言っているのだろう……転校生はぼくを連れ戻しにきたのだから、そうとしか考えられない。

 であるなら、ぼくの感想は一つだ。

 ……あれが?


 水中に沈められているのと変わらない、息苦しさだった。


「あんたが、あんた自身が引き寄せてる幽霊に襲われないのは、墓杜家に守ってもらっているからでしょ!? あんたがうんざりしてる厳しい修行は、いつかあんた自身の力で、自分を守れるようにってみんなが考えてくれてる証拠じゃない! なのに、あんたは! みんなの好意を踏みにじって、期待を裏切って、こんなところに逃げ込んでる!!」


 裏切る、なんて……。

 転校生からぶつけられる感情に、足が退いた。


「あんた、あの環境が当たり前に、なんの苦労もなく作られたとか思ってるの? っ、誰かが我慢して、あの環境が整ってた! あんたのために! あんただけのために!! 他の全てを犠牲にしてでもあんたを守りたかった人を、悲しませてんじゃないわよっ!!」


 じゃらら、と鎖が落ちたような音が聞こえ、転校生が握っていた鎌が、サイズを縮め、二つに増えていた。

 両手に収まっている、繋がっている鎖鎌。


 いつの間に持ち替えて……、いや、形状が変わったのか……?

 大鎌に比べたらさほど脅威は感じられない。

 小回りは利くだろうけど、さっきの大鎌の方が向かい合ったら恐いだろう。


「ひつぎ、違うよ……こっちの方が、間違いなく厄介だよ!」

「え?」


 鎖を持ち、先端の鎌をくるくると回転させる転校生が、回転の勢いのまま、投げた。


 廊下と周囲の壁を斬りつけながら、鎌が迫ってくる……けど、考えるだけで自然と動いてくれる手の中の鎌のおかげで、小さな鎌を弾くことに成功した。


 ……大丈夫、飛び道具は恐いけど、この鎌があれば、なんとか……、


「ひつぎっ、あの子の能力のこと忘れてるの!?」


 ――っ、知秋の言うとおりだ。

 確か、鎌がある場所に、瞬間移動を……!


 視線を鎌へ向けるが、そう言えば鎌は二つある。

 いやでも、そりゃ投げた方に瞬間移動するよね?


 注視していた鎌が、ぐんっ、とあり得ない方向へ引っ張られ、弾いて離れていく方とは反対――ぼくに向かって飛んできた!


「なんでこっちに……!?」

「あたしがここにいるから」


 後ろから、転校生の声が聞こえた。


「瞬間移動は……鎌があるところじゃなかったのか!?」


 どんっ、と真横から押され、ぼくがいた場所を、引っ張られた鎌が素通りする。

 瞑った目を開けると、知秋の顔が、視界いっぱいに広がっていた。


「思い出して! 初がくれたヒントを!!」

「ヒント……?」


 初が、ぼくに伝えてくれていたこと……。

 口数が少ない初の言葉はよく印象に残る。

 無駄なことは喋らないし、だから必要なことしか口に出さない。


 今日は、いつもに比べて多弁だった気もする……その初の言葉なら、よく覚えてる。


「…………斬りつけた、場所……?」


「そう!」


 知秋が頷いた。

 いや、分かってたなら教えてくれればいいのに。


 わざわざ、ぼくに気付かせようとしなくても――……狙いは分かるけどさ、こんな非常時にぼくに問題を解かせなくてもいいじゃないか。


「初が残してくれたヒントは、それだけじゃないよっ」

「って、言われても……」


 ぐいぐい顔を近づけて急かされると、考えがまとまらないよ。


「――あのさ、ここはあんたに優しい世界じゃないんだけど」


 ぼくが答えを出すまで、転校生が待ってくれるわけもない。


「あたしは、こんな奴と比べられて……ッ」


 すると、転校生が包帯を巻いている腕を掴んで、顔をしかめていた。


 ……古傷、か? 

 ――転校生に隙ができた今なら、逃げられる!


「知秋! こっち!」


 知秋の手を引いて逃げた先はまたも似たような空き教室だ。


 建物は広く立派なものだけど、人がいないため教室もほとんど使われていない。


 三学年まとめて一クラスなのだから、理科室、保健室、音楽室……など、専門的な教室を除けば、あとは使い道のない教室だ。

 倉庫代わりにしたって、そりゃ余るのだ。


 教室に入り、ゆっくりと戸を閉める。

 転校生が追ってくる足音は聞こえなかったが、念には念を入れてだ。 


 怒濤の展開に息を吐く暇もなかった。

 だから久しぶりに視野を広げて周りを見渡す。


「そっか、まだ、昼休みが終わってないんだ……」


 壁にかけてあった時計を見て、ふっ、と気を抜いた瞬間、

 地面に亀裂が入り、平らな形を変えて、膨張していく。


 地面を突き破り、階下から現れた巨体が、ずしんっっ、と、教室全体を揺らすように着地した。

 その衝撃で、穴の空いた教室の床から、砕けた瓦礫が階下へ落ちていく。


「あ? なんだ、ひばりから逃げ伸びてるのか」

「お、おまえ……っ」


 転校生の傍にいた、大男……ッ!


「そう睨むな。オレのことよりも、お前は落ちたもう一人を、すぐに助けにいくべきじゃないか?」

「え? ……あれ? 知秋!?」


 隣にいるはずの知秋の姿がない。


 落ちた……落ちた!? 

 大男が突き破って作った大穴に、吸い込まれて……?


「は、早く、助けにいかなくちゃ……」

「いや、少し待て」


 と、人に探しにいくべきだと促しておきながら、今度は引き止められた。


 なんなんだ一体……、

 それにしてもぼくを見つけておきながら、攻撃をしてこないところを見ると、この大男は別に敵ってわけでもないのか……?


 ……あ。

 というか、ちょっと、待て。


「…………、なあ、……初は?」


「相変わらず、なにもかもが、気付くのが遅せぇなあ」


「初を――ッ、初に、なにをしたッッ!?」


「吠えるな。感情的になって欲しいものが手に入ると思うな。お前は聞けば答えが得られると勘違いしてやがる。そういう環境にいたってのが原因だがな」


 厳しくすると悪者扱いされやすいが、

 甘やかすのもまた、同じくらい罪深い、と大男が呟いた。


「最低限の情報は、オレが教えてやる」

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