第六話 大鎌の能力

 日暮初について。

 振り返ってみれば、不可解なことばかりだった。


 始めて初と出会った時、崖から落ちたぼくを助けてくれた初……あの時、初は引っ越してきたばかりで山の中を散歩していた、と言った。

 でも、そこそこ深い山の奥だったし、日もすっかりと落ちていた。


 当時、小学二年生である……幽霊に連れられたぼくとは違い、初は一人だった。

 山奥まで、小学二年生が散歩で踏み込んでくるだろうか。


 視界も暗くて、人が通る道でもない。

 進むことを躊躇うはずだ。


 もしかしたら、戻ることさえ躊躇う状況……、

 そう、迷っている内に、ぼくを助けてくれたのか、とも思ったが、その後は山の出口まで案内してくれた。

 長い長い距離を、だ。


 地元の住人ですら、夜の森の中は、明かりがあっても迷うというのに……、月明かりだけで進んでいた記憶がある。

 ぼくは、手を引かれて歩いていただけだった。


 もう十年近い付き合いの幼馴染みだ。

 にもかかわらず、初に関して知っていることと言えば、性格や好みなどを除けば、名前だけである。


 初の家族を見たことはないし、家に遊びにいったこともない。

 あ、誕生日なら知っている……けど、「じゃあ……」と、取って付けたような初の言い方に、引っかかりは残るものの、当時は疑いもしなかった。


 子供の時は、初の素性をそう気にしなかった。

 聞いたことはあるものの、いつもはぐらかされていたので、中学生の頃になれば人の隠したいことについても機敏に気付くようになったし、意図的に避けていた部分もあった。

 言えない家庭の事情があるのだろう、と。


 ぼくだって、家のことを聞かれてはいはいと答えるわけじゃないのだから。

 だとしても、知っておくべきかもしれないと思い始めたのが、一ヶ月前。


 丁度、クロスロンドンへぼくが逃げてきた時だ。


 相当追い詰められていたのだろう、ぼくは初に家から逃げることを告白して、無責任にも一緒にきて欲しいとお願いした。

 その時、初は二つ返事で「いいよ」と言ったのだ。


 ぼくは、女の子を一人、初の家族に承諾を得ないまま、連れ出してしまった。

 一般人が入れない、ある意味、閉鎖的な町に連れ込んでしまったのだ。


 連れ戻したくても連れ戻せない場所に。

 ……初の家族に、殴られても文句が言えないことをしている。


 だから、初が嫌だと言っても、やっぱり、ぼくには知る権利がある。

 知らないと、ぼくは初の家族に、きちんと目を見て謝ることもできないだろう。



「戸籍も、住所も、名前も、オレたちにはねえ。当然、血の繋がった家族も存在しない。繋がりってのは、たった一人しかいないんだよ。オレにはひばり、そして、あいつにとってはお前だったってわけだ」


 迷彩柄のライダースーツを羽織り、軍服に見えるズボンと黒いブーツを履いた巨体。

 オウガ、と呼ばれていた、転校生の傍についていた大男。


「……家族が、いない……?」


 事故やなにかで失った、という言い方ではなかった。

 元々いたものがいなくなったのではなく、本来ならいるべき存在が、元々いない、とでも言いたげな――。


「オレらは存在を認定されていない空白だ。幽霊ってのは、生まれた人間が死亡したことで生まれるものだろ? 戸籍上、失われるが、存在していた事実が消えるわけじゃない。だが、オレたちは違う。存在が認められず、だが、生まれちまった枠外の存在だ」


『一人』として、世界にカウントされていない、だって……?


「お前ら人間がどう解釈しようが勝手だが……オレらは、『死に神』だ」


 だから、その死に神って、なんなんだよ……っ!



 改めて確認だ。

 初が傍にいれば、おれは『おれ』でいられる。


 しかし、初が傍を離れて、駆けつけられない状況だと知れば。

 おれは、『ぼく』に成り下がってしまう――。



 初の蹴りによって吹き飛ばされた大男は、壁を破壊し空き教室の中へ倒れ込んだ。

 閉め切られている遮光性の黒いカーテンのせいで、外の光は、一切教室の中に入り込むことがなかった。

 そのため、奥まで飛ばされた大男の様子が分からない。


 果たして、気絶しているのか……?


「っ!!」


 初が咄嗟に体を捻り、教室の中から回転しながら飛んできた鎌を避ける――のだけど、後ろにおれがいることに気付いて、避け切る寸前で初の手が鎌に届いた。


 だが、まるで実体がないかのように、初の手をすり抜けて鎌が離れていく。


「!?」


 逆に、おれたちの方へ近づいて――っ!?


「わぁあ!?」


 大鎌は、おれたちの斜め後ろへずれて、床に突き刺さっていた。

 取っ手の先端がうぉんうぉんと鳴きながら、小刻みに揺れている。


「…………」


 表情には出ないが、ふぅ、と安堵の息を吐いた初がはっとして振り向いた瞬間だ、

 大きな拳が、初が持つ鎌と衝突し、大木でも倒れたかのような重い音が轟いた。


 同時に、日の当たる場所でなら決して見失うはずがない巨体が、いつの間にか、初の目の前に現れていた。


「普通の奴なら、この一撃で終わっていたんだがな」


 まるで剣士同士の鍔迫り合いのように、力が拮抗している二人の背中を見届ける。

 先に均衡を崩したのは初だ。

 盾に使っていた鎌を、地面に突き刺し、取っ手に跳び乗って、爪先で大男の顎を蹴り抜いた。


 ……速い。

 本当に、一度のまばたきの間に、初は二手も三手も先の行動をしている。


 既に初は、取っ手を足場にし、片足を軸にした回転蹴りの動作に入っていた。

 長い髪が遅れて回り出す。


「その身体能力があいつとの信頼の力なら、後で後悔すると思え」

「負け惜しみ?」


 交わされた会話の中身を考えるよりも早く、初の回し蹴りとそれを防いだ大男の腕が衝突し、再び場が揺れるような轟音に繋がった。


「いいのか、お姫様……って柄じゃねえか。どっちかと言えば、あいつの方がお姫様か。――いいのか? たいそう大事に抱えるお姫様が、自分の危機にも気付かずのんきにお前の応援をしてやがるぜ」


「っ、ひつぎっ!!」


 振り向いた初の声と視線に……「え?」と思わず自分の声がこぼれた時。


 床の大鎌を引き抜いて、背後に立っていた転校生の気配にやっと気付けた。


 呆然とするおれの頭に、強引な力がかかる。


「――ぼさっとしてないで、頭を下げなさい!!」


 ぐんっ、と上から押し込まれたおかげで、振るわれた鎌が、なにもない空間を切った。

 再び、おれは彼女に押し倒される。


「初っ、ひつぎのことは任せて!!」


 任せて! って……知秋を守るって言ったのは、おれなのに!


「知秋……」


 初と知秋の間で、アイコンタクトが交わされていた。

 逡巡したものの、初は覚悟を決めたように、目を細め、握った大鎌を手放した。


 おれたちに向けて、投げたのだ。

 うぉっ――抜き身で、渡してくるのかよ!?


 キャッチできるはずもなく、おれたちの横に突き刺さる大鎌。


 ……身の丈以上の大きさだ、こんなの持てるはずが……。


 恐る恐る手を伸ばす、と。


「――あれ?」


 握った瞬間に感じた、自由自在に操れる予感。

 頭でイメージした通りに持ち上げられ、実際の行動よりも早く、鎌がおれの思考を読んで勝手に動き出したように。


 重さなど感じない。

 手によく馴染む。


 握っているよりも、身につけているような感覚だった。


「なんだ、これ……」

「ひつぎ、逃げて」

「…………初?」


 初が、そんなことを言うなんて……。

 いつもなら、迫る危険をいち早く察知して、あっという間に解決してくれるのに――。

 守られている、というより、守られていたんだなって、毎回、後になって気付くのだ。


 その初が、やけに弱気だった。

 それだけ、目の前の大男は危険なのだろう。


「いや、でも……だったらこの鎌は初が持ってた方が……」

「少しでいいから……踏ん張ってて」


 その時、ふっ、と、初の口角が、僅かに上がった。

 無表情を貫き通していた初が、初めて目に分かるように、微笑んだのだ。


「すぐ、迎えにいくから」

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