第4話
——夢を見た。
それはまだ桐と仲が良くて、彼女のために用意した屋敷へよく通い詰めていた頃の記憶だった。
本来の髪色は目立つからと染めていた桐は、屋敷では惜しげもなくその銀髪をあらわにしていた。相手が誰であっても傲慢で不遜な態度、絶対に屈しない気丈さを持っていっても桐は儚げな美貌の持ち主だ。毛色が異なるが、天女と見紛うその容姿は、周囲にも評判で、屋敷には絶え間なく男共が訪れていた。
桐を囲っているのはこの国の皇子だとしても、関係ないようで遠くから一目でもいいと男達は集う。それを皓月は煩わしいと思いつつも邪険にはできなかった。男として、あのような美人が近場にいたら見たくなる気持ちは分かる。性格に難がある桐が皓月には甘えてきたので見せびらかしたい気持ちもあった。
桐、と名前を呼べば、波打つ銀髪がふわりと揺れて、猫のような金眼がこちらを向く。
「皓月」
無意識なのか普段よりも甘い声で名を呼び、近寄って来る桐が可愛かったのを覚えている。手を差し出すと疑いもなく、その手を握りしめてくれた。唇が弧を描き、目元に朱がさすのを見るたびに胸が温かくなる感覚を覚えたものだ。
「皓月、また来たのか」
「来たら駄目か?」
「駄目なわけがないが、君は皇子なんだ。私なんかより優先すべきことがあるだろう」
呆れたようにそっぽを向く姿も愛おしいと思った。
皓月がこの感情が恋だと分かっていた。そして、桐も同じ気持ちを抱えていたのも理解していた。
ただ、お互いがその想いを言葉として口にすることはなかった。皓月は次期晶王、桐は祖国を追放された罪人。身分が違いすぎる故、結ばれることはないと知っていたからだ。
だから言わずにいようと皓月は決めていた。好きだ、と伝えてしまえば桐は自分の元から去ってしまうと分かっていた。言わなければ、ずっと一緒にいられるのだと、そう思っていた。
あの日までは——。
「皓月、君との生活はこれでおしまいだ。君はこの国の王として、妻を娶り、子を作れ」
いつものように屋敷を訪れた皓月を、桐は出迎えて早口に言った。視線は斜め下に向けられている。
「いきなり、何を言っているんだ」
「いきなりではないさ。私は昔っから言っている。耳を、目を背けていたのは君だろう」
「……私以外にも、晶王なりえる器はたくさんいる」
「私は、君以外いないと思うがな」
「そんなこと」
「このままではこの国は傾く。王は世継ぎを残すのが義務だ」
「確かにそうだが、私は桐以外を妻に迎えるつもりも子を作るつもりもない」
そう告げると桐は不敵に笑ってみせた。皓月は眉間に皺を寄せると、桐の言葉を待った。
「ならば、私はここを出ていく。長くお世話になったね」
「桐!」
「そうすれば君は他の女を好きになれるだろう? それが君には一番必要だ。私に対する感情なんて一時の気の迷いに過ぎないのだから」
「……桐、本気で言ってるのか?」
「冗談でこんなことを言うとでも? ……もう決めたことだ」
苦し気に顔を歪める桐に、皓月は何も言えなかった。反論したかったが、出来なかった。桐が傷ついているのが分かったからだ。でもどうすればいいのか分からないのも事実で、結局何も言えない。
桐は挨拶をしてから出ていくつもりだったようで、必要最低限の荷物だけ手に持つと皓月の胸に何かを押し付けた。
「これは?」
「手紙。後で読んでくれ」
「……もう、会えないのか?」
「そうだな」
「好きなのに?」
「……好きだからこそ、だ。皓月、このままではよくないと君も分かっているはずだ」
最後まで桐は一瞥たりとも視線をくれなかった。会いたくないとでもいいたげに早足で去っていく。遠くなる背中に皓月は手を伸ばそうとするが、できなかった。
その姿を何度も夢で見てきた。その度にその手を掴んで止めていればよかった。抱きしめて、早く想いを告げていればよかった。桐を妃に迎えるために父王や周囲と戦えばよかった、と後悔した。
桐の望んだ通り、妻を迎えて子供を作っても皓月の心には桐しかいなかった。自分の立ち位置をよく理解している物分かりのいい妻、誰にでも懐っこい娘は可愛らしいがそれだけだ。薄情と言われても皓月はたった一人しか愛せない。桐しか愛せない。
***
物音がして目が覚めた。窓の向こうは青空が広がっている。どれぐらい眠っていたのだろうか。外からは和気藹々とした声が聞こえるので早朝ではないことは分かる。
視線を窓から横にずらすと老女が扉を閉める後ろ姿が見えた。物音の正体はこれだったのだろう。
「皓月様、失礼致します。お目覚めでいらっしゃいますか?」
「……ばあや、どうかしたのか?」
「それが……。道捃様が帰ってきまして……」
その言葉を聞いた瞬間、思わず飛び起きた。自分で驚く。身体を起こすのもやっとだったのに飛び起きれたことが信じられない。
それは老女も同じだったようで、驚きに目を見開くと、それからゆっくり微笑んだ。
「体調がよろしければお通ししてもよろしいですか? それか、もう少し後になさいますか?」
「いや、構わない。頼む」
「かしこまりました」
老女が去ると、すぐに足音が聞こえて扉が叩かれた。
皓月ははやる心臓を落ち着かせると「はいれ」と命じた。
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