第35話 西町マルシェ・ドゥ・ノエル3

 --『失う準備をしているみたいだね』



 占のマドレーヌも、真音のクッキーとシュトーレンも無事に完売して、慌ただしい一日が終わった。

 人形ミュージアムのオーナー、遠藤の計らいで、施設に併設された喫茶スペースでささやかな打ち上げも終わり、皆ぽつぽつと帰って行った。

 残るは西町レトロ館のメンバーだけで、人一倍売り上げに貢献した神田とお菓子を売り歩いた占は疲れ果て、テーブルに突っ伏したまま眠っている。

「風邪ひくよ」

 そういって遠藤が貸してくれた毛布を真音は二人に掛けた。

「じゃ、僕は家に帰るけど、ここの二階に布団があるから泊って行ってくれてもいいからね。人形たちも喜ぶよ。ははは。鍵はここだから。じゃあおやすみ」

 そう言い残して、帰って行った。


 今起きているのは真音と幹。

 オートマタのサンタは二人の背後に座っている。


「はい、あんたはココアね」

 幹はスパイスとフルーツで煮込んだヴァン・ショー(ホットワイン)だ。香りを嗅ぐだけで少し空間がよろめくような。

 こういうとき、大人は少しずるい。


「疲れたでしょ。ありがとね」

 二人ともカップの中身をすすると体の芯が温かいもので満たされていく。

「あんた、お菓子作りの腕、上達したわね。シュトーレン、本場もの並みの味だったわ」

「お菓子は占の方が上手よ」

「あの子も、なんていうか、……まめよね! いい意味で小さいころと全然変わってない。昔から本当に手先が器用だし、気が利くし、小さいころは真音の女の子用のおもちゃでばっかり遊んでたり。女子力高いところあるわよね」

 シシシ、といたずらに笑った。


「最近あたし仕事ばっかだったし、今日もバタバタしててゆっくり真音と話せてなかったね。どう最近? 学校とかさ」

「別に、普通よ……」

「ほんと―? 聞いちゃったけど、天ちゃんと占が、真音が元気ないってさっきこそこそ話してたわよ。なんかあったんじゃない?」

 占も神田もそういうところは無駄にさとい。

「なんでもないの」

「聞くよー? なに? ……あ! 恋とか?」

 真音は幹の部屋の、香水瓶を思い出して少し可笑しかった。

「……そんなんじゃ、ないのよ。ただ……おかあさんは……おかあさんは、いつも真っすぐね。悩んでいる時間もないくらい」

「えー? あたしからしたらあんたの方がよっぽどしっかりしてると思うけど?」

「私は、……弱い。自分でも、何を軸にしたらいいのか、分からない時があるの」


「……何を悩んでいるのか知らないけどさあ!」

 問い詰めたところで、真音がすべてを表現するのが苦手なことを、幹は知っている。

「あたしも悩むよ? 大人になるとさあ、それを隠すのが、ちょっとだけ、上手くなるだけ」

 

 ――大人になる。

 その境界が分からない。隠すのがうまくなったら、それは大人になるということ?

 ――私、大人になることに抵抗しているみたいね。

 怖れていないつもりだけれど、心の内では変化を信じたくない。


「お母さんは、なんで今の仕事、しようと思ったの?」

「え? 仕事?」

 うーん、と幹は目の前のカウンターに目を落とした。

 台に置かれている、バニラやキャラメルのシロップが入った瓶のなかに答えを探すように。


「そうだねえ、あたしはさあ、留学行ってたじゃん? 若いころ。それが終わって、日本に帰って来て結局こっちで働こうってなって。……二年くらいたった日にね、社会人生活も何とか落ち着いてきたし、向こうでできた親友に電話してみたの。……そしたらさ、キレイに言葉が出てこなかったわけ! 伝えたいこと、たくさんあったのに。『あれって何て言うんだっけ?』て思うたび会話が止まってさ。そりゃ今はメールもスカイプもあるし、顔見ながらつながることが出来るよ。でもその時、心底怖かったのよ! こんなに大切で大好きなのに、同じ言葉を持たなくなったとたん離れてしまう気がして」

 

 ――わたしと同じだ。

 真音は思わず幹の瞳を吸い寄せられるように見返した。


「言葉ってさ、凄く残酷なときがあるの。人っていうのはたぶん肌の色が違っても、国が違っても、面白いことには笑うし、哀しいことがあれば、泣くでしょ。 でも言葉が違うせいで、「国家」とか「民族」っていう概念がときどきね、このひとと私は『ちがう』って壁をつくっちゃうときがあるのよ。それはまあ、同じ言語を持っていても、起こるときがあるんだけどね。日本は島国だから、この世界感覚が閉ざされている感じ、そのときはそんなことが、余計に怖くてさ」


「わたしも、今あたりまえにできていることが、明日、無くなっちゃったら、どうしようって、とてつもなく怖くなることがあるの」

「……それは、ぜんぜん、普通のことだと思うよ」


「あんたたちも、勿論大切。だけどあたし自身の人生も同じくらい大切。この二つの幸せはあたしにとっては切れないの。どちらを犠牲にするとかじゃなくてね。占と真音には、なんていうか、……大人も悪くないよって、あたしの生き方を見て、伝えたかったの。あたしも両親が好きなことして生きているの、見てきたしね。まあ、結果的にはあたしも紆余曲折して離婚したりして、あんたたちには苦労かけてばっかだけどさ」

「そんなことない。お母さんの人生だもの」

「それが言えるあんたは強いよ」


 ***


「ねえ、おかあさ……」

 幹は酒が回ったのか、いつの間にか、うつぶせになって寝ている。

「……寝ちゃったわね」

 毛布を取ってこようか、それとも無理に起こして帰ろうか。

 真音は席を立った。


 ――寝かせてあげなさい」

 サンタクロースのオートマタが、外した眼鏡をいじりながら言った。ロッキングチェアがゆらゆらと揺れている。

 ――私にも、ココアを淹れてくれるかね」

 真音と目が合うと、ウインクして見せた。バラ色の頬を上機嫌に染めている。


「占を起こしてあげようかしら。きっと会ったら喜ぶわ。神田くんも」

 ――ほっほっほ。きっと起きないよ。彼らは素敵な夢を見ているからね」

 真音はココアを淹れてあげた。大きなマシュマロを2つ浮かべて。

 ――ありがとう。サンタクロースは、ココアが好きだと決まっているからね」


 さっき神田が『クリスマスの雰囲気が出るから』とかけっぱなしにした、ナット・キング・コールの歌が聞こえる。

 ――どれ、素敵な音楽がかかっている。こっちにおいで。素敵な夜だ。ちょっと踊ろうか」

 

 白い手袋越しのサンタの手が真音の肩に優しく触れる。

「此処も、夢?」

 --さあ、どちらだろうね」

 真っ白なカールした髭の奥に笑みが見える。


 赤い服の老人に合わせて踏んでいた遅いステップが止まった。


 真音は震えていた。

「……私だけ残して、居なくならないよね?」

 レコードも、真音の不安に触発されたのか、ふつふつとノイズを出した後、音楽を消した。

 --これこれ、お前まで鳴りやむことはない」


 沈黙。


 人形たちはひそひそと様子を窺っている。

--ね、あの子泣いているんじゃない?」

--プレゼント、貰えなかったのかな?」


「私、こんなに素敵な季節にも、失う準備をしているみたいだね」

 確かに今、サンタの赤い服に触れているのに。

 ――言ってごらん。なにを怖れているのかな」

「変わっていくもの全て」


 サンタの腹に顔を埋める。さっき飲んだココアと、クリスマススパイス、甘いキャンディーの香り。


「こんなに大切なのに、いつか忘れてしまうのかしら」

--そう思うのかい?」

「ううん。思ってない! 思いたくないの。だけど人って、変わっていくでしょう? ……これから私は大人になって、大切だったものがどうでもいいと思うくらい、ほかに好きなことができてしまうのかしら。そんなの、私じゃない。そんな私は、嫌い」

 サンタはその機械の腕で、真音を抱きしめる。

「……忘れるわけがないって思っているけれど……本当は、次会うときにはもう『あなた』ではないような気がして、ひっそりと怖いの」

   

 忘れることが罪だとはだれも責めはしないと思うのだけれど。


 同じ言葉を持たないことで、私たちは離れてしまうのだろうか。


 ――確かに、君たちの一生は、少々短いようだ。内面的な移ろいもその分早いかもしれないね」

 

 「私もあなたたちみたいに、変わらないで、いられたらいいのに」

  生暖かい体温なんか、要らない。

  何も言わず、サンタは真音の肩をぽんぽんと叩き、リズムをとるように、すこし身体を揺らしながら真音をあやす。


 --真音。お聞きなさい。ほら、未来は君が恐れているほど、残酷じゃないことを約束しよう。今日はクリスマスなのだから」


 サンタは、魔法をかけるように指をくるんと動かすと、ミュージアム中の灯りが点いて、オートマタや、人形たちがクリスマスの電飾のなかを静かに踊り、遊び始めた。那月も『テディベアコーナー』でほかのテディベアたちと楽しそうに踊っている。

 

「真音ぉ」

 幹は背を向けたまま、ヴァン・ショーの残りをすすりながら言った。後ろを振り向けば、娘はオートマタのサンタクロースと踊っているし、人形たちはおもちゃで遊んでいるのに、こちらの風景には気が付いていないらしい。

 

 呂律の回らない声で幹は眠りと現実の間を漂う。

 話の続きをしているつもりらしい。


「だからあ、あたしはさあ、今の仕事なら――私はおじいちゃんとか、あんたたちみたいに器用じゃないけど、世界中に行って、良いもん探せるでしょ? 世界中に行けば、私と外とのつながりはなくならない! 私は好きな私でいられる。『仕事が忙しくて、言葉を忘れちゃいました』『生きるために好きなことは辞めました』なんて、自分にも人にも言いたくない。なにを選ぶかは人によって違うよ。

 収入多くしたくて、好きではない仕事をして愚痴言いながら踏ん張ってんのだって、立派な愛だから。

 でも私は、『今のあたし』を選んだの。……しがみついてるの。裕福じゃないけど、あんたたちにも迷惑かけちゃってるけど。大人になっても大丈夫だよ。楽しいこと、いっぱいあるよってあんたたちに言える大人でありたいの。失敗して泣いても……もしそうなりたければ、そうなるのよ! 幸せでいる方法はシンプルなんだから。それに向かって行くことしか、できないでしょ。ふふふ」


 そう言って幹はまたうつぶせになった。

 真音とサンタは顔を見合わせて笑った。


--面白い子だね」

「……かっこいいでしょ。あたしの自慢のお母さんなの」


 ――大丈夫、時間を怖れることは無い。君のお母さんのような人だっているのだから。要は何を選ぶか、どう生きるかは自分次第だっていうことさ。嘆いている時間も、幸せを感じる時間も、同じだけあるのだから」


 ふふっと笑い声が静寂に零れた。

 神田の寝言だった。

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西町レトロ館 瑞浪イオ @io-mizunami

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