第29話 ひかる

――人づきあいが苦手な訳ではない。「家」はたくさんの人が通っていくから、どうしたら相手の気分が良くなるかなんて、5歳のころには分かっていた。……愛想よくへらへら笑っていれば、大抵は上手くいくし。

 ……とっても悲しくて素敵な思い出が、幼いころの俺に在ったような気がする。どうしたって思い出せないのだけれど。

 なんでだろ?

 ……そうだ。友達が居た。本物かどうかなんて分別のつく訳もない頃の俺には友達だった。


 小学3年生の春、熱を出して学校を休む日が続いた。熱はあってもじっと寝ていることなんてできなくて、テレビも飽きて、窓から外を眺めたら、二階の屋根と競うように背伸びした、桜の樹の下にいると目が合った。俺くらいの背格好だったから、10歳くらいの男の子かな。風に舞う花びらがそいつの周りで踊っていた。その様子が単に綺麗で。

近所の子でもなさそうで、一人っきりでも迷子のように狼狽えた様子はない。人々は彼に無関心で、彼も人々と時間に無関心な目つきでただひたすら桜を呆然と見つめていた。もしかしたら桜を見つめていたわけでもなかったかもしれない。

『こっちに来いよ。一緒に遊ぼうぜ』

その目が時折恨めしそうに桜を見ているものだから、声をかけた。――過保護な家族に宝物のように管理されていたから、そのときからわがままを言い放題、なんでも遊びになった。

 うつろにこちらを見返すと、

『行けないよ』

ちいさな声だったけれど、しっかりと俺には届いた。

『なんで? うちのことなら気にすんなよ。親も家族もいまは家にいないからさ。ばあちゃんにだけ気づかれないように入ればダイジョブさ。ばあちゃん、耳遠いからバレないって。あ、俺、天空たかあき。お前は?』

『ひかる』

ひかるは真っすぐに俺を見ていった。同じような年にしては大人っぽいというか、抑揚のない音で、名前だけ名乗った。

『来いよ、ひかる』

『僕はこうして桜の木を下から見ていたいんだ』

そう言うと、また視線を落ち行く花びらに向ける。俺はちょっと拍子抜け。近所でも人気者だったし、俺に誘われて断る友達なんていなかった。周りの大人にも可愛がられていたからね。でも、

『……でも君がどうしても退屈って言うんなら、ここから話し相手になるよ』

大人びた冗談を言っているつもりなのか、得意そうに言った。

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