第21話 木の夢
「木の夢かあ」
店に戻ってからポツリ占は言った。
「ねえ、セニ。木っていうのは夢を見るんだね」
真音が淹れたコーヒーを片手に、絵画の青年へ話しかける。待ってましたとばかりに店中の絵を伝い、セニは占に合わせて移動する。
――そりゃあ、見るさ。木どころか、花も、草も。命あるものは皆みるよ」
「――虫も?」
――ええ。おそらく。ただ私は虫の声はあまり分からないけれど。草木もあちらの世界に居る時でないと意思の疎通という意味での接触は難しいわ」帰りがけに店に寄ったユノはミルクを小さな舌で受け、上品に味わってから言った。驚く占に、
――言葉が聞けなくって良いこともあるのよ。その反対もね。もし彼らと同じ言葉を持っていて、食べないでくれ、とか捨てないでくれ、切らないで、と言われたら困ってしまうでしょ? 各々の命を成り立たせるのに難しい」
彼女は天真爛漫や気まぐれ、日向ぼっこという猫の形容詞からは遠い理屈っぽい台詞を述べる。
――みんなそれぞれの命で、理で生きているんだ。花が手折られるのを拒まないように、生き方も、受け入れ方もそれぞれ違うものさ」
セニは珍しく真面目に言った。残酷も含めた、冷静で羨望に近い表情だ。
そして彼が続けるには、
――それにしても、木は面白いよ。俺の額縁が最たる例だけど、こいつらは形を変えても、つまり、木から製品、物になっても生き続けるんだ。命は形を変えて、時には芽を残して一つの命が途絶えることなく継がれていくんだから」
占は神社の木の切り株を思い出した。
――じゃあ、僕達が一緒に木の夢に巻き込まれて、そこに切株があったってことは、あの木はまだ生命があるってこと?」
帽子を被ったコケシの姉妹が大中小揃って笑った。
――あはは。占。君には命っていうものについて一からレクチャーしないとならないみたいだね」
セニはそう言うと、
――つまりさ、見えていないのは、視ることができないのは、君たち人間だけなんだよ。一つの身体、一つの魂に記憶。全く狭苦しくて大変だね。……命の定義も俺たちのものとは全く違うんだよ」
占はまだピンとこないようだ。
――僕が思うに、ふつうは木の夢に巻き込まれるなんてことは人には無いけれど、微力ながらもお稲荷さんの祠を守ってきたことに感謝した、そうだな……君たちで言う『神様』という意識が、お礼をしたんだと思うよ。あの子に木の意志を、無念を伝えさせてあげようと思ったんじゃないのかな」
物知り縁の意見を受けて占は考える。
――だから、
――でも『見えない』ということが、
彼らの理屈は難しすぎる。占は頭を抱えながら言った。
「……何か、僕に出来ること、無いのかなあ」
今日はいつもに増して口数の少ない真音も、先ほどから考えているのは同じことだった。
彼女はいち早く動き、神社を管理する公園の責任者に切られた木の行方を聞いたが、落ち葉の処理を面倒とする近隣の住民により、伐採、処分されてしまっていた。
――何も望んじゃいないさ。木は人間じゃないんだ。なあ?」
長い間海上を揺れる船の上で、方角を指した方位磁石を保護していた古い木箱に向かってセニは言った。謙虚な彼はあまり言葉を発しないが、その控えめな態度で、意見した。
――まあ、我々植物は一般的に何もかも運命と受け入れますから。それこそ形を変え私のようになったり、燃料として燃え尽きてから大気になったとしても……そうですね、葉太朗君が元気になってくれたらそれで充分なんじゃあないでしょうか」
占には、木の夢が、どこか切望が形を変えたような、もどかしさを感じている。慕ってくれた葉太朗の傍にもっと居たかったのではないか。喜ばせたかったのではないか。自身の作って来た木陰の役割を邪魔されて、無念なのでは。
――さっきから心配してるけど、大丈夫。木の夢ってのは、ただの記憶が断片的に流れているだけの、強いエネルギーと考えてみたら。つまり彼の構築されてきた意識みたいなものが流れている投影機みたいなものだよ」
ころころ変わる占の表情を面白がって、クックと嗤い乍らセニはいつものようにおどけて言った。
それに続いて縁が言うには、
――ただ、葉太朗君だけれど……あの年齢では、あちらとこちらの区別がつかないかもしれないね……もちろん木は葉太朗に迷惑かけたりしたいなんてちっとも思っていないんだ。ただあの場所と、木の思い、葉太朗の思いがリンクしすぎているのは、ちょっと心配だね。万が一、葉太朗君一人で迷ったりしたら……」
「那月!」今まで黙っていた真音が急に大きな声で呼んだので、那月は思わず
「ハイッ!」威勢の良い返事がでた。
「今日から暫く葉太朗君の傍に居て欲しいの。何かあったら占に伝えられるでしょ? ね、スー、ティン。あなたたちを通じて」穏やかな双子のガラス玉は中の空気の泡を煌かせて勿論、と答えた。
◆◇◆◇
有無を言わせず那月が葉太朗の監視に回されてから一か月ほど経った。
7月もはじめ。学校もあるので毎日四六時中真音や占が葉太朗の傍に居る訳にはいかないが従弟である神田は時間が許す限り葉太朗の傍に居る。一度声を聞けたのが嬉しかったのか、あの夢以来、葉太朗は憑かれたように木から離れようとしない。幻影を見せた夕暮れ時、決まって外に出、そこにもうない木を仰ぐ。
「よーたろー。もう家んなか入ろーよぉ」
たらいに満たした冷水に足を浸し、縁側に座りこむ神田の横には白いクマがちょこん、と居る。
(なんでこの家、こんなに暑いんだよお)そう心の中で愚痴をこぼしながら、葉太朗の両親の帰りを認めてから神田は那月を葉太朗に持たせると自分の家に帰って行った。
「じゃあ、くまちゃん、今夜も頼むよ」
「……くまちゃんじゃないし」この声は神田には届かなかったが。
この一連の流れが学校終わり、ここのところの神田の習慣になっていた。
近所に広がる田んぼ畑からは早々と蛙の合唱が始まる。
鈴虫やクビキリギスのジィと鳴く音。那月はひと際騒がしく虫たちが喜ぶ今宵に違和感を持った。
――占。聞こえる? 今夜かもしれない」
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