第19話 19時05分、クヌギの木

「こんにちわぁ」間延びした声が店内に反響し、落ち着いた金属音でイユードが来客を知らせる。近所の名物、黄身餡がおいしい苺大福を手提げた、神田だった。

「あれ、神田君」

「やっほ、占君。さっきぶり」

 入学式を迎えてから二か月が経っていた。同じクラスになった神田と占は先ほど教室で別れたばかりだ。


 神田は菓子を贈呈し、一息つくと真音を見て言った、

「あはは、真音さん、嫌そうな顔」

「神田君がお菓子を持って来るときは大抵面倒ごとを一緒に持ってくるのよ」

 神田の笑いながらも下がった眉に、

「で? なんなの?」

「物、のことじゃないんだけどさ」

 神田が持ってきた話は、要は「子守り」だった。

「俺の従弟なんだけど、まだ5歳でさあ、ここ数日、子守り頼まれちゃって」

「そう、よかったわね」

 真音が言った。その反応が欲しかったわけではない、と神田。

「だってぇ、なんか、最近元気ないらしいんだよ。病気のせいだとは思うんだけど……俺どう接したらいいか、わかんないし」

「そんなの私だって分からないわよ」

 相変わらず真音は人には厳しい。

「病気なの?」

 ――また出た、お人好し」食いついた占に那月が呆れた声で言う。


 神田の従弟、葉太朗ようたろうは、太ももの骨の先端が壊死するぺルテス病を患っていた。幸い重度ではないが、足に負担をかけさせないため、走ったり飛んだりを禁止されるのは、遊び盛りの葉太朗には耐えがたかった。彼の家は西町のはずれ、錆びた遊具が退屈そうな公園の脇、小さなお稲荷さんを挟んだところにある。

 縁側は小さな稲荷神社を囲む林が心地よい日陰を作る。  

 

 ――ぽつんと佇む男の子がいた。

 神田は先に彼の家に行っており、縁側で暑そうにうちわで扇いでいる。まだ6月上旬だというのに、なぜか家周辺だけ、真夏のように暑い。結局子守りの手伝いを任された占と真音は汗を滲ませる。

「やぁ、悪いねぇ。葉太朗の両親も宜しく伝えてって。なんか、この家暑いから、アイスもジュースもいっぱい置いてってくれたよ」そう言うと目元が少し神田と似た葉太朗を紹介した。丸いおでこ、短く刈った髪、小さく笑い、小さな声で挨拶をする。

「ああ、葉ぉ。あんまり動いちゃだめだよ」ガラス細工の子供に慣れていない神田の様子が占も真音も面白かったが、葉太朗はどこか寂しげな様子だ。彼には高すぎる鳥居の方を仰ぐようにして何度も視る。

 ――真音さん、占君」普段はは、インクを滑らせる紙がないので仕方なしに二人を呼んだ。

 ――この子は、探している様ですよ」。

「何を?」

 空間を壊さないように小さな声で真音は聴いた。

 ――聞いてごらんなさい。この子なら、貴女が何を聞いているのか、分かるでしょう」

 葉太朗は、治療の為の器具に足取りを阻まれるのを煩わしそうに、痛みがあるのか、顔色もあまり良くない。真音は彼のもとまで行くと、目線を合わせるようにして聞いた、

「葉太朗くん。……なにを探しているの?」

「ん……木がね、あったの」

 なるほど彼の見つめる先、白狐が見守る祠の裏に切株があった。神田は思い出したように、 

「木がどうかした? あー……そう言えばここにあった木、いつの間にか切っちゃったねえ」

 この木はご神木と言われるほど長生きでも、人から崇められる程立派な木では無かったけれど、良く虫を呼んで、葉太朗が生まれたばかりのころから彼を楽しませていた。喜んでくれたら嬉しいので、いち早く彼の病気に気づいてからは、低いところに樹液を流して彼らの季節でもないのにクワガタを早く目覚めさせ、根元に眠るカブトムシを昼間に起こしては、葉太朗を楽しませた。

 喜ぶ彼に『季節は木が運ぶんだ』と言って教えた。退屈する彼のためこの木の周りだけ夏にしてしまった道理。

 『早く良くなるといいねえ』と葉をそよがせたのは白い陶器のお狐さんだけが知っている。

 

 切られた木。


「真音は、木と話せる?」占は聞いた。

「……うーん、たまに花から音を聞くことはあるけど、全部理解はできないわ」

「木は切られたら幽霊になるのかなあ」

 そんなことを、アイスを食べながら議論しているうちに、いつの間にか夕刻は近づく。16時。熱気を含んだ湿気た西日が差す。公園の向こうには、微かに西町レトロ館の近くにある時計台が見える。19時5分を指している。

「……あの時計、ずれてるね……」

 占がそう言った時、帰宅を促す放送が切なく流れた。子供を家路に導くその音楽は次第に夕影へ溶けていく。

 哀愁を帯びた大気に狂った音程が、暑苦しく子供たちを包んだ。

 アスファルトの熱はまだ冷めない。


「ほんとうに暑い」

誰かがそう言った後、


 葉太朗の「わあ!」という歓喜の声に、一同は振り返る。



 紫色の神社に木陰を作っているのは、切られて、無くなったはずのクヌギの木だった。


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