第14話 沈黙
占は、静寂のその奥に耳を澄ます。
――これは、スーの力でもなく、僕の力。僕の目で、僕の耳で、聞くんだ。
膝を折ると、目線は少女に真っすぐ向かった。
「みつちゃんは、このドールハウスで、遊びたいんだよね」
「うん……本当は、私の為のものじゃなかったの。これを見ているとね、色々見えてくるの。本当に素敵なおうち。陶器のお鍋に、……あのレースのお洋服、好きよ。この子に着せるの」
そう言うと、ドールハウスの中の子供部屋に座る女の子の人形を無邪気に指さす。
「お茶を入れましょう。お気に入りの食器で。カステラがあったわ。ばあやに切ってもらって、みんなでお茶の時間よ。たくさんお話しして幸せな気持ちになったら……夜は二階の温かいベッドで眠るの」。
「あら……不思議ね」彼女は言った。
「――私、誰かのお母さんだったみたい」思い出したように、少し驚きながら。
「うん」占はみつの手を握って話を聞く。彼女に合わせた視点から、彼女の一生が見える。
「私はずっと、妹の面倒を見て、弟の世話をして、それでも不幸じゃなかったわ。全然、不幸じゃなかったの。いつのまにか結婚して、子供が、……孫が生まれて、一緒にこのドールハウスで遊んだわ。……今振り返ると、毎日を生きていた、ようだったわね。……日々が流れて、そう。ええ、ええ。……私は幸せだった」
「このドールハウスは、みつさんが生きて来た証、そのものなんですね」
みつの姿は時が追いついて、彼女の最期の姿になった。しわが刻まれた、もう死を恐れない顔が言う。
「……ここに残して逝くのが、少し寂しい気もしてね。それに、思う存分遊んでみたかったのよ。あまりにも早く大人になってしまったものだから。……おばあさんがこんなもので遊んでいたら、おかしいけれど」恥ずかしそうにおばあさんは言った。
「おかしくなんか、ありません! ……おかしくなんか、ありません。全然……」もっと相応しい言葉をかけたい。世界で一番温かい言葉を。話を繕う為の老婆のアイロニーが妙に心を締め付ける。
「でも、このハウスと、貴女の世界が違う世界線で隔たれてしまったんです」
「……そのようね。やっぱり、……そうなのね」
「あんたが今感じたことを、あちらでもやってみると言い。ここに形はあるけれど、あんたの記憶に残ったものは、あちらでも形を持つから」那月は言った。少し反省しているのか、低い沈んだ声で。
「……可愛い子ね。貴方、私と一緒に行かなくていいの?」
「僕はやることがあるんでね。生憎、君と違って、僕には器があるんだ」
幽霊は、消えた。
寂しい微笑と、もう戻れないことに対する満足という皮肉を残して。
「ありがとう、なっちゃん」
「危ない奴じゃなくて良かった。ああいう、話が分かるやつばかりじゃないんだからね」
「……うん、それは、分かってる。……だから、君も、そうだと良いんだけど」
「は?」
占は真っすぐ那月を見た。それは確かに白い、愛くるしいつぶらな瞳のテディベアだ。深い緑のリボンを首に結び、耳には占とおそろい、スーの対のピアス、ティンが付いている。しかし、占が見ていたのはその後ろ、濡れた夜のアスファルトのような濃紺の髪は素直にまっすぐつやを帯びて、病的なほど白い足を短いズボンからすらりとのばし、空中で浮かび腕でしっかりテディベアを抱えている。まつ毛が被さる大きな瞳で彼を見下ろす少年の姿がそこにあった。
「君は、」
「うるさいな……」親の説教を聞く反抗期の態度で不貞腐れた顔が今ははっきりと占に見える。
――待って! 言わないで。占」
二人の間の時が止まった。同じテディベアから初めて聞こえてきた声が何かを訴えた。
――それを言ってはだめ。この子を、とらないで」
それだけ言うと、戸惑う占を置いて行くように、
「なにぼーっとしてんの、占、帰るよ」那月は何事もなかったように占を呼ぶ。
時間は戻る。
テディベアの沈黙だけが残った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます