第13話 ドールハウス

玄関で出迎えてくれた神田のクラスメイト、奥谷泉(おくやいずみ)は、大人しい少女だった。眼鏡越しの凛とした眼差し、小さい声だが淡々と話す様子は才女の印象を受け、オカルトを信じるような性質には見えなかった。占を真音と勘違いしたことを詫びてから、部屋に通してくれた。

「おばあちゃんのものなのよ。もともとは曾おばあちゃんの物だったのだけれど」

 少し困ったような、だがどこか捨てきれない情を秘めた声で彼女は言った。例のドールハウスは、2、3歳の子供が屈めばすっぽりと収まってしまうほど大きい二階建ての洋式の家の断面になっていて、中にはミニチュアのヨーロッパの家具や住人代わりのぬいぐるみ、人形が所せましと並んでおり、その空間は一部屋の間取りを埋めている。

「先日おばあちゃんが無くなって、使わないけれど、譲る人も居ないし、でもお母さんが捨てきれなくてね。私も小さい頃はこれで遊んだからよく分かるし、思い出の品でもあるの。幸い私の家は広いし、場所も困らないからこの部屋、今は大学で家を出たお姉ちゃんの部屋に置いているんだけど」肩肘を抱えながら、目をドールハウスには向けようとしない。

「立派なドールハウスだね。こんな大きいもの、初めて見た」

 一見見た限りでは、嫌な印象は無かった。細部に渡る装飾に惚れ惚れさえする。泉は(そうでしょう)と言わんばかりに二階の寝室の小さなランプをつけて見せる。生きているこの明かりを見れば、アズルは友達を見つけたように喜ぶだろう。

「……実際に何か見たの?」

「見たっていうか、何か、怖いのよ。妙に生き生きしている感じが。触ってみないのに人形の向きや位置が変わっていたり、それに時々、声がするような」

「どんな?」

「私は、よくわからない。最初はおばあちゃんかと思ったの。だけど、子供の声にも聞こえるの。妹が、足音聞いたって。ここで誰かが居たのも見ているのよ。今は怖がって叔母の家にいるけれど」

 

 親しんできたものが、その持ち主を亡くしたとたん、命を持ったように気配を付けた、という。彼女の祖母なのかどうかもわからないし、仮にそうだったとして、無念ある死者は家族を怖がらせたい、などと思うだろうか。誰か、何者か、知りたい。声を聞かせてほしい。不透明に怯える泉の様子を見て、占はしばらくこの部屋に自分だけ残すように言った。

「さあ、なっちゃん」

 占はリュックで待機していた那月を出した。

「結局僕頼み?」

「だって、僕、どうしたって嫌な感じがしないんだ。幽霊が出るとき特有のさ」

「ほんとうに中途半端だな、お前の能力」

「スーも何も言わないし」左耳に着けた青いガラス玉をさする。

「そいつばかりに頼るなよ。ガラス玉に出来ることなんて限られてる。見ようとしなければ、見えないよ。特に実体の無い物はね」

「……それ、むかし誰かにも言われた気がする」

 占は閑閑かんかんと微笑んだ。いままで意識してみてやろう、なんて思ったことはなかったが。息を吐く。吸う。当たり前のことだけど、当たり前のことじゃない。集中と曖昧な現実が生み出す浮遊感。白昼夢に意識が漂う。占は集中する。――自身のレンズがとらえたのは5歳ほどの少女、占が見た写真に写っていた子供だった。

「……君は、だれ?」丁寧に言葉を、シンプルに。

「あたし、みつ」

 それは、泉の祖母の名前だった。

「君は、泉さんのおばあさん、だよね」

「あら、おばあさんだなんて、失礼ね。あたし、まだ5つよ」少女はほほを膨らまして怒る。

「占。そんなこと言ったって分からないよ。死んだ齢のままでいる訳じゃないんだ。記憶も時間もあっちにいったら時系列じゃないんだから」そう当然のように言うと、那月は少しだけ声を優しく、しかし一つのタスクのように

「――みつって言ったね、あのね、ここは君のおうちじゃないんだ。とにかく、君はここを出ないといけない。君の大切な家族が怖がっているからね」整然と言った。

「あたし、ここから出たくない」おかっぱ頭の少女は口を尖らせ、頑なに言う。

「此処じゃなくても君が願えば、そのハウスと一緒にいつでも遊べる」

「願うって、何を?」少女には、当たり前にあるものの望み方がわからない。

「……これだから子供は」早くも大きなため息がテディベアから聞こえた。

「これがいいの」。『これ』とは、この空間の今占の目の前にあるドールハウスを指すのだろう。

「こいつにはこいつの役割があるんだよ」到頭つっけんどんな那月。

「これじゃなきゃ嫌。あたしここで、これで遊んでいたいの」

「お前はここにいちゃいけないの。あんまり手間かけさせると、消しちゃうぞ」占の止めるのも那月は聞かず、子供の顔は引きつり、今にも泣きそうだ。

「どうしてそんなこと言うの」くすんだ橙の着物を着た女の子、みつは占の瞳に確かに映っているがその姿は時にはとらえきれなかった残像のように乱れると一人の女性、はたまた老婆のようにも見えて定かではない。残像と残像が入り乱れては消え、入り乱れては消え。

「なっちゃん」――些か冷たすぎはしないかい? という意志を込めて那月を見返す。

「占。こいつダメだ。自分の立場、分かってない。早いとこ、こいつをへやらなくては」

「どうすればいいの?」

「これごと燃やせばいい」算数の簡単な一問を解くように言い放った。

「ええ?! そんなこと、できないよ。だってそれができないから僕たちのもとへ相談が来たんでしょう?」

「そんなこと言っている場合じゃないんだ! こいつはここに居てはいけないんだよ!」急に気色ばんだテディベアに占は困惑する。

「――それでも、大切なものってそう簡単に燃やしたり手放したりできないよ。ことさら大事だった人のものなら」

「これだから人間は。……使わないのに自己満足で埃にまみれて、人みたいに惰眠をむさぼることもできず、朽ちていくのを待つよりもよっぽど幸福だろ!」

 そう吐き捨てた。

「……そんな」

 ――そうかもしれない。

「……分からない、けど。それでも、僕は、話せるのなら、僕らには言葉があるのなら、まだあきらめたくは無いよ」

 念じるように、願うように目を瞑ると、答えが見えそうな気がした。

 

――ガラスはね、

 なんでも通すのよ。人の気持ちも、物の言葉も、向こうの世界も。 でも、死者と生者を隔てる壁でもあるの――


 そう、スーは言った。――でもどうして今こんなことを思い出すのだろう。そうだ、君は昔にも、僕を守ってくれていた。僕は、ガラスの小さな力で精いっぱい僕を守っていてくれたスーが、今度は真音を守ってくれるようにあの日、父さんと一緒に出ていく日、小さなお守り袋に入った彼女を真音に渡した。

 ――君は僕のもとに帰ってきてくれたんだね。


 占の脚は、意固地な幽霊に歩み寄って行く。怖くはない。だってそこに確かに、ちゃんと居るのだから。

 

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