第4話 西町レトロ館の住人達

「僕あいつ嫌いだよ」

――でも君、皆のこと嫌いじゃない」テディベアを諫める年季の入った糸切狭。子供のような声だがその落ち着きようは何十年も生きて来た翁のようだ。

「違うよ。真音のことは好きだもん。あいつ、真音の兄さんのくせしてなよなよしちゃってさ!」

「聞こえてるんだけど……」祖父と母に迎え入れられ、無事家の中に入れた占は、温かい夕食を済ませ、母親と祖父との再会の時間を過ごした。妹はほとんど占とは話そうとはしなかったが。風呂を済ませ寝る前、もう一度、この声の正体を知りたかった。

「やっぱり、本当に、きみたちが喋っているんだよ、ね? ……ただの遊びじゃなかった、夢でもなかったんだね」

――昔は良く話したやんかぁ、占ちゃん」優しい明かりを灯しているガラスランプが妙なイントネーションで気安く話しかけてくる。

「……すっかり忘れていたんだ。君たちの事。僕8歳のころに此処を出ているから。それにこんなこと、だれだって夢だって思うでしょ?」 

――夢かそうじゃないかを判断するのはあんちゃんですわ」

「君の名前は……たしか、――――アズル! 違う?」

――合うてるで」嬉しそうな、落ち着いた男性の声でランプは応えた。

「でもなんで今になって君たちとは話せるんだろう。今まで他の街に居て、モノと話したことなんて無いよ。それに満月の夜だけ君たちと本当に話したってことだってさっき思い出したんだよ」

――ここは少し変わった場所なんだよ」ここの店で一番の古参で、とても優しかった。先ほど毒を吐いたテディベアよりも幼い子供の声で、でも何年も何年も生きて来た知識と誇りを感じさせる声。幼い占と真音に色々なことを教えてくれた糸切鋏。

「……縁」

――覚えていてくれたの、占。僕の名前。嬉しいな」

「今思い出したよ」

――お父さんが止めなかったかい? 君がここに来ること」

「どうして」

――……幼い君にはこの土地は強すぎたんだ。お父さんに連れていかれた時はもう会うことは無いと思っていたよ」

「強いって……物が口を利くということ?」

――形の無い物が力をもつということだよ。例えば魂とか、霊魂とか。時々人間との力の差が逆転する。バランスが歪むんだ。その証拠にこの街では不可解なことが度々起こる。それはとても美しいことでもあるけれど、人を傷つけることもある」

「でも真音は平気なんでしょ?」

――でも君は……」

「あまりしゃべりすぎないで、縁」風呂上がりの真音が、自身の部屋につながるらせん階段上から言った。

――真音ちゃんもあんまり意地はりなさんな」アズルが嗜めるも

「張ってなんかいないわ」真音は冷たくあしらう。

「真音、どうしてそんなに怒っているんだよ。僕は、ずっと真音に会いたかったんだよ。手紙の返事も無くて心配したし。なんか、「モノ」と話しているし」真音とそっくりな顔で、しかし不安な表情で全くの別人にも見えるその顔で、占は真音に問うた。

「貴方もどうせ私を変人扱いするんでしょう?」

その問いに占は畳みかけるように言った。

「どうして? しないよ! お兄ちゃんだもん。……ていうか僕にも聞こえるんだ。未だに信じられないけれど」

一瞬、真音の顔の緊張が少しほどけたような気がした。

「……聞こえるの?」

「うん。真音も覚えてない? 僕、満月の夜だけ、物と話せたみたいなんだ。僕もさっき色々思い出したよ」封をされていたような自身の記憶に未だ戸惑っている。

「……どうして今更帰って来たの?」警戒を解けきれない真音の口調はまだ固い。言葉をかみ合わせることすら拒む。

「本当はずっとここに来たかったんだよ。父さんは僕がここに来ること、あまりよく思っていなかったから。勿論、真音とお母さんが理由じゃないみたいだったけれどね。さっき縁に言われて確かにそうだと思ったよ。……此処はすこし変わっているみたいだからね」店内に並んだ彼らを見回す。

「……ああそう。……じゃ」

そう短く言うと真音は階段を下りてきて『用は済んだ』というように上着を持って出かける準備を始めた。

「ちょっと!? どこ行くのさ、もう夜中だよ」

――最近真音ちゃんは忙しいのよね。ことさら私たちは夜に力を増すから」

そう言ったのはオーバルの形をした鏡だった。塗り重ねられた厚みのある金色の花の装飾が上品な彼女は昔から占達に素敵な物語を聞かせてくれた。祖国フランスで見た人々や景色の移り変わりなどについて。

「久しぶりだね、フラワー」

――思い出してくれて嬉しいわ、占」年月を経たアイボリーの色味が明るみを増して見え、聞こえて来た温かい声は彼女が喜んでいるのが分かる。

「ちょっと、そこどいて」

占を押しのけるようにして鏡の前に真音は立った。

「真音、どうしたの?」

「占には関係ないわ」短く言い放った。

――占ちゃんは真音のお仕事知らないもんねえ」

そう言ったのはドアベルのイユードだ。爽やかな青年の声のブロンズ製の彼は、梟の装飾がしっとりとした優しい金属音を鳴らす。

「今日は『此処から』行ける? フラワー」

――ええ、今日は良く通り道が開けているわ。ね、占も連れて行ってあげたら?」

「嫌よ」きっぱりと答え、

「邪魔になるわ。それに行けるかもわからないし」真音は鏡に納得いかない表情。

――真音のお兄さんなら行けるわよ。こうして私たちとも話しているし」鏡に諭される妹を占は複雑な表情で見守る。彼が知っている真音なら、嫌と言ったら消して考えを曲げない。

「真音、僕は行くよ」そう言葉を刺したのはテディベアだ。

占はテディベアの名前を知らなかった。幼い頃遊んだ記憶もない。おそらく、比較的新入りなのだろう、ことさら生意気なところを見ても。真音はテディベアを抱きかかえると鏡に触れた。鏡は水面のように揺らぐと、真音の身体は波紋に反応し溶けていく。

「待って、真音!」占は慌てて足を踏み出した。

「置いて行かないでよ!」

むかしにも、そんなことを言っていた気がした。

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