第2話 西条占
霾る。あまりにも静かなので、無人かと思った西日が差した改札には駅員が二人、ちゃんと居て、西条占(さいじょうせん)は古い駅舎に似合わない四角い機器にICカードを当てた。
駅から伸びた商店街がどこか寂しいのは夕日の所為だけではない。シャッターが下りた店が目立つ中、老舗の洋菓子屋から手を振る素朴でオーソドックスな甘味に惹かれながらも真っすぐ目的地に向かう。――おみやげはもう買ってある。
錆びた看板と、昭和を感じさせる洒落た文字列を過ぎてしばらく歩くと、記憶の隅にあった大きな鳥居が占を迎えた。ここを抜けて行けば近いはずだ。境内、水の奥の、魚の鱗の一枚一枚も透けて見えるような湧き水の池に少々魅入ったが早い春の寒さに身震いし、また足を進めた。
神社を抜けて、また続く林が引っ張る小道のその先に、彼の目的地、『西町レトロ館』はあった。
双子の妹、真音(まと)に会うのは10年ぶりの占は緊張していた。両親の離婚に伴い物心つくかつかないくらいに別れてから、しばしばやり取りしていた手紙もいつの間にか占の一方通行になっていた。離れた妹の為という訳では無かったが、真音の住む母の実家近くの高校へ何となく進学を決め、それに伴い母の実家「西町レトロ館」へ引っ越してきた。
あの頃は重く、大きかった緑色の木戸が、今日はとても小さく感じた。扉を覆うガラスから中を伺っても相変わらず中は暗い。何だか自分がよそ者になったような気がしてそうっと扉を開けた。母は仕事で遅くなる。祖父も修理品を届けると言って、まだ家にいない、と連絡があった。冬を残した初春の影はまだ長い。明日から春休みの真音ならばもう帰って居るだろうという考えで、この夕刻に尋ねることにしていた。
「誰か、居ますか?」細々とした、男性とは言い難いまだ少年らしい声は、乱雑と置かれた「住人たち」に吸収されてしまう。暗い店の奥から声がした。鈴の転がるような楽しそうな笑いは真音のものだと思った。占はほっとした心持ちになり、軋む床を静かに鳴らし、声のする方に向かった。
――今日は早く帰って来たねえ、真音」
声の主は子供だ。小学生3、4年生くらいと言ったところだろうか。高いが、のびやかでしっかりと話す口ぶりは遊び盛りの男の子らしい。近所の子だろうか。姿は、見当たらない。
「早くこの子と話したくてね。で、なっちゃん。名前を聞き出せた?」
暗い店内と、複雑な店内の構造が彼の姿を隠している。ガラクタの隙間から見える少女は久しぶりに見ても真音だと分かった。性別は違えど自分と同じ顔なので。
「『牡丹』だってさ。前の持ち主、花が好きだったんだって」
得意そうな声の主、真音が会話を交わす相手はどう見ても人ではない。――テディベアだ。緑のリボンをつけている。――彼は続けた。
「前の持ち主はもうおばあさんで、最近死んじゃったんだってさ。形見として娘が牡丹を貰ったんだけど、その娘の子どもがね、気味が悪いって嫌がるから困って、捨てる訳にも行かずここに来たんだってさ。バカだよね、人間って。なにがどうして怖いんだか。……あ、真音はバカじゃないよ! 真音は特別だから」
隠れるつもりなどないけれど、手は自然と口を覆い、占はなぜか声をかけられなかった。怖い、というより見てはいけないものを見ているような、抜け出せない夢を見ているような気がした。
「牡丹ちゃん。私のおじいちゃんが貴女の破損を治すわ。私は、貴女に新しいお着物を作る。新しい持ち主が欲しければ一緒に探すし、ここに居たかったら、好きなだけここに居ていいの。貴女は十分働いたわ。もう、好きなようにしていいのよ」
――私は『人形』よ。誰かに必要とされなかったら私の存在の意味なんて無いわ」
その声は凛として、芯のある涼やかなな響きだった。
「またお前はー! そうやってうじうじして! 真音を困らせたら承知しないぞ!」可愛い外見とは裏腹にこのテディベアは辛口だ。
「まあまあ、那月、ちょっと待って。ね」真音はテディベアを宥めた。
「そうね、確かにあなたを作ったのは人間。……でもね、例えば……人間を作ったのが神様だとして、私は、少なくとも私は、神様のために生きようと、神様の役に立とう、と思ったことは一度も無いよ」
人形はすすり泣く。真音はその黒髪を梳いてやる。分かっている。必要とされないことがどれだけ虚しいことか。
「今は傷を、心と体の傷をゆっくりここで休めたらどう? 幸い貴女には残酷なほど沢山時間があるもの」
――……不思議な人ね。貴女みたいに私たちに話しかける人は初めてよ。みこちゃんとも良く話したけれど、貴女と話すのは何か、とっても不思議な感じがするわ」
――みこちゃんてのは前の持ち主の名前だってさ」カラン、とガラスの音を立てて部屋の隅、ガラスランプが言った。風も吹かぬのにひし形の装飾が躍るように揺れる。オレンジ、青、薄桃の装飾ガラスが店内に反射し色を足した。
「真音はモノの心が分かるんだ。僕達『話す』モノは大抵何かいい意味でも悪い意味でも『思い』とか『魂』が宿っていることが多い。そういったものは人間にとっても価値があることが多いから目利きとして、ここでおじいちゃんの手伝いをしている。君みたいなのを買い取ったり、修理をしたり。新しい持ち主が見つかれば売るし、――勿論その『物』が望んでいればね。少なくとも真音はあんたに気味が悪いなんて言う奴に渡したりはしないよ、だから安心しなよ」テディベアは得意げに言った。
――貴方も新しいお友達を探しているの?」
「お友達?」声は嘲るように言う。
「持ち主の事? そんなの要らないね。僕は何処にもいかない。ずうっと真音の傍に居るんだ」
――……そうしてもいいの?」
「勿論。ここではね、モノと人は対等なの。好きなようにしていいんだよ。実際おじいちゃんの修理の腕がいいので、それだけでも十分収入はあるしね」変わらない真音の笑顔に占はいくつかの疑問を置き去りにして少し安心した。閉め切ったままのドアに着けられたベルが鳴った。
――ごめぇん。鳴るの、忘れてた。お客さんきたよーっと」さっき扉を開けた時に鳴らなかった玄関のベルの音が時差を経て今更鳴った。
「ちょっと、イユード、ちゃんと仕事してよ」
――ごめんごめん。でも、占だし別にいいかなって思ってさ。彼なら別に隠す必要もないし。さっきからそこに居ただろう? 隠れていないで出ておいでよ。久しぶりだねえ」青と緑の光が反射するランプからそう聞こえたと同時に自分に気づいた真音の顔が急に険しくなった。
「えっ、と……」占も自身の足が棒になっていることに気が付いた。
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