十八、四月馬鹿

 四月一日。朝は全国的にきれいに晴れ上がった。憲法が発布、施行され、日本国が建てられた。

 それに伴って『準備委員会』を外した無数の政府機関が活動を始めた。ほとんどの地域で最初の仕事は選挙だった。

 また、例の再建された通信施設をはじめ、日本中でこの日を待っていたかのように落成式やこけら落としが行われ、様々な組織やサービスが正式に始まった。


 午後は西から天気が崩れだしたが、ネット配信中心の記念式典は滞りなくすべての行事を終えた。思いがけない出来事は発生せず、片倉は進行表が塗りつぶされていくのを眺めるだけで何もしなかった。


「『パンとサーカス』でしょうか」

 報告を上げてきた部下と雑談する。結論として、『制御された暴動』以外の反政府運動は思ったより少なく、それを受けて部下がそう言った。

「そういう面もあるかもだが、市民を愚民扱いは感心しないな。それに、私個人としてはたなごころ同盟のような活動も反政府運動と見たほうがいいと考えている」

「静かな反乱、ですか」

 片倉は画面に向かってうなずき、秘匿回線である事を再度確かめて言う。

「この手の自立を計画している集団だが、制御可能なようにしておきたい」

「広報室の仕事ではありません」

「広報室が広報だけを業務としていると思っていたのか」


 返事はない。秘匿回線にしているせいか雑音がかすかに聞こえた。片倉が重ねて言おうとしたとき、部下が口を開いた。


「なぜ、それを今私に?」

「これまでの仕事ぶりを評価した結果だ。そろそろ日ノ本ひのもと陛下が広報室に何を期待しているか分かってきただろう。私のような独立人インディーズをいきなり室長に据えた理由も」

「分かりました。他の者には?」

「だめだ。指示は私か日ノ本ひのもと陛下からのみとなる」

「では、広報室としては次の選挙後の宣伝計画を仕上げます。もうひとつの方は現状分析と中長期計画を練りますが少々時間を頂いてもよろしいですか」

「よし。両方ともさっそく取り掛かってくれ。しかし、忘れるな。我々は日本人の幸福のために働いている。日ノ本ひのもと陛下と同じくな」

「幸福を手に入れられると信じておられますか」

「今すぐ、とはいかないだろうが、大分裂の時代よりは近づいた。例えばエネルギーと食料の公平配分は十年以内に当たり前のものになっているだろう。以前だったら思いもよらない事だ」

「結局、パンはいるんですね。サーカスは?」

「それは我々が提供する。ただし、現代のサーカスは政治だがな」

「民主主義万歳」

 片倉は棒読み口調の部下を見て出かかった笑いを引っ込めた。


「工藤さんをですか。後進の育成ですね」

 広報室の『業務』を任せ得る部下について日ノ本ひのもと陛下に話すと、赤い球はそう答えた。

「そうです。私か陛下からの指示のみ受けるように命じました」

「結構です。でも、なぜ? 知る者を増やすのは機密保持から言えば良くはない」

「かと言って私ひとりがすべてを背負い続けるのは現実的ではないでしょう。いずれ陛下が任命されるかと思っていましたが、建国後もその様子がないようなので、勝手ながらそうしました」

「辞める気なのですか」

「今はまだ。しかしいずれは」

 線が脈動している。

「メカニカンス、などと自称しましたが、やはり私は人間ではないのかもしれません」

「どうしたのですか」

「私は辞められませんから」

「辞めればいいでしょう。ちょうどいい。建国も何もかもエイプリルフールだったと言って放り出してしまえば」

「冗談は好きですが、今のは面白くありません」

 声に不満げな調子を混ぜている。

「陛下はバージョンアップが世代交代に当たるのでは? ならホモ・サピエンス・メカニカンスでいいでしょう」

「でも、あなた方亜種サピエンスの世代交代は全く別の人格が置き換わります。私は1から2になっても変化はしますが基本は同じ人格です。交代ではなく成長に近い」

「なんにせよ陛下に自然死はありません。しかしそれが人間である事を否定するとは思いませんよ」

「片倉さん。どう言っていいのか適切な表現が見つかりませんが、あなたは優しいのですね」

 球の脈動は小さくなり、丸みが整った。片倉は返事もせずにじっと見ている。

「どうかしましたか。侮辱と感じられたのであれば謝罪します」

「いいえ、とんでもない。そんな風には感じませんでした。しかし、そろそろ話を戻してもよろしいでしょうか。工藤に任せる任務についてですが」

「結構です」


 片倉は一連のデータを送った。制御下の反政府運動とそうでないもの、今は反政府運動と分類されていないがそう考えたほうがいいもの、そして将来的にそうした運動に発展しそうなものが分類されていた。また、反天皇を掲げる団体は四月一日以降反政府的な主張も強めており、そうした組織も加えた。


「当面は制御されていない組織の監視と機会を見て影響力を及ぼすようにします。はっきりと反政府運動に分類されている組織が対象です」

「くれぐれも注意してください。そうした組織を潰さないように」

「分かっています。反政府運動やそういう思想は国家のために必要です。過剰な干渉はしません。ただし極端な暴力的行動はさせません」

「それでいいでしょう。グレーゾーンの組織はどうしますか」

「それは工藤に任せます。一例としてたなごころ同盟ですが、上下水やエネルギーについては自給は認めないか、もしくは妥協として管理人工知能の常駐を行います」

「それもかまいませんが、詳しい報告が必要です」

「陛下から命じて下さい」

「あなたを通さなくてもいいのですか。室長でしょう?」

「表向きの仕事ではありませんので。それにいずれは譲り渡すのですから」

「引退は本気なのですね」

「はい。思ったより日本人は国にすんなりとなじみましたし」

「なぜだと思いますか」

「一般市民の生活においてはほとんど何も変わらなかったからでしょう。建国というのは大層な行事ですが、今晩のおかずが変わったわけではない。冷静に考えてみれば今まで通りに暮せばいい。大半の日本人がそう考えたからです」

「市民は冷めきっているのですか」

「陛下、それは違います。皆とても利口で真剣に生きています。だからこそ動くべき時とそうではない時が分かるのです」

「片倉さん。国民性についてとても興味深い分析ですが、本当にそう思っていますか」


 赤い球がまた脈動を始めた。片倉はかすかに笑う。


「見破られましたか。すみません。推測です。根拠はありません」

「どの部分?」

「皆が利口で真剣に生きているという部分です。そうであったらいいなという願望も含んでいます」

「そうですか。分かりました。とにかく日本は始まりました。選挙が終われば私の役割も縮小します。片倉室長と違って引退はできませんが」

「亜種メカニカンスには老化はないですし、亜種サピエンスのように組織の構成人員の新陳代謝は不要ですから」


 脈動は規則正しい。拍子をとっているようにも見える。


「片倉さん。あなたはなぜそんなに優しいのですか。サピエンスなのに」

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