四、F50試
汽車の型番は『F50試』。片倉は検索をかけ、信頼性でフィルタされた結果を順に読んだ。
これは計画のみで試作すら作られなかった机上の蒸気機関車だった。国内や大陸での長距離貨物輸送を目的としていたが、戦争や政治的混乱で消えてしまった。
戦後、豊国教材模型社が残されていた図面を元に富裕層向けの玩具として販売を行ったが実物がないせいもあってさほどの評判を取れず、初期の百五十から後が続かなかった。
片倉は追跡を続けた。豊国教材模型社はホーコクに社名を変え、模型や玩具以外にゲームソフト開発に手を広げるが、二十一世紀を迎えずしてジュピターエンターテインメントグループ(JEG)に吸収合併される。JEGは大分裂後も生き残り、娯楽を提供する大手の組織として活動を続けている。
JEGに豊国教材模型社が発売した汽車の玩具について資料が残っていないか問い合わせたが、ほとんどが失われ、残っていたのは検索で出てくる程度の情報だった。
片倉は最近汽車の玩具に興味を持った風を装った。特に試作に興味があるかのように資料を集め、収集家の集まりに質問を投げた。あえてF50試については言わず、他の試作型を購入したり、落札したりした。
そうしていると、向こうからF50試の話題を振ってくる事があったが、その場合でも実際に製作されなかった汽車にはあまり興味を示さないようにしていた。
「いやいや、F50試は実際に作られなかったからこそいいんですよ」
「でも玩具だけっていうのはちょっと、ねえ」
「試作機関車を集めてらっしゃるんでしょ? F50試も持っておくべきだと思いますよ。今ならいいのがありますから」
購入してみると、いくつかの部品は欠損し、錆と傷だらけだった。そういうのを何台か購入し、複製担当に送った。
大阪で骨董玩具の展示即売会があり、カタログではF50試があったので出かけてみたが、やはりひどい状態のものだった。それでも購入した。
「F50試でこれならましですよ。贅沢言っちゃいけない」
ついでに和歌山の玩具博物館まで足を伸ばし、そこで初めて美品の実物を見た。形状データ販売はしておらず、撮影も禁止だった。監視センサーがいたるところにあり、形状データ窃盗を見張っていた。
反射防止ケースの中のF50試はそのまま店頭に飾れるような保存状態だった。六つの動輪と前後の従輪が光っている。解説には大陸の荒野をまっすぐ貫く線路を貨物車を引いて走る様子が動画で再現されていた。
豊国教材模型社の痕跡は完全になくなっていた。社屋も倉庫もない。ホーコクになってからのも同様になくなっていた。当時の卸も順にたどってみたが、これはという手がかりは得られなかった。
手で字を書いて配達させる低速の情報伝達や実際にその場に出かけて行う調査に慣れていないためか、この一、二ヶ月は常と異なる疲れに悩まされている。移動は休憩や睡眠時間となった。
小さな羽音がしている。片倉は画面を見ながら人気のない倉庫街を歩いていた。羽音は止まず、同じ大きさのままずっと後ろからしていた。
振り向いて見上げると握りこぶし二つ分ほどの小さな飛翔体が浮かんでいた。それは顔の高さまで降りてきたが、腕を伸ばしても届かないくらいの距離を保っていた。
『F50試について話がある』
安物の合成音声だった。
「お前の身元は?」
『東陽坂との関係についてもだ』
「誰だ?」
『明日手紙が着く、紙のだ。指示に従え』
それだけ言うと飛び去り、あっという間に視界から消えた。
その日の調査は打ち切り、ホテルに戻った。部屋備え付けの秘匿回路と持参したジャマーを最大出力で動作させてから水野に連絡した。
「指示には従わないで下さい。手紙は開封せずこちらに転送願います」
返事は木下氏の組織の太った男から返ってきた。
「相手について分かりますか。推測でもいい」
「予断を与えたくないのですが」
「それはこちらが判断します。私は東陽坂の所属ではありません。協力が得られないなら契約も打ち切りです」
「少々お待ち下さい」保留になり、少しして再開した。
「今考えられるのは我々のような警備を得意とする組織です。そちらからの記録映像にあった飛翔体はそういった組織がよく使う型です。レーサーの改造で、レース場外でのリミッターを除去してます」
「何ができますか」
「偵察、伝言、ごく小さな物を運ぶ。それと体当たり。時速百キロ超えで。降下と合わせてなら百五十から二百。武装するまでもありません。諸元は今送りました」
「ありがとう。遠隔操作と自律両方行けるんですね」
「はっきりするまでホテルから出ないで下さい。屋外では完璧な対処法はありません」
「もちろんそうします。なにか変化があればまた連絡します。それでは」
「お気をつけて」
翌朝、ホテルに手紙が届き、指示どおりその場で未開封のまま東陽坂宛に急送で転送した。
その日、部屋にこもって仕事を片付けていると送り出しておいたネットロボットがニュースを引っ掛けて戻ってきていた。豊国教材模型社とホーコクの鉄道玩具シリーズを復刻するというJEGの報道発表だった。内容を確認すると、第一弾にF50試が含まれていた。
「管理体はなんと言ってますか。当事者による復刻です。第三者による複製ではない。これならどうです?」
「まだ確認していません。今朝の手紙と同じく分かり次第こちらから連絡します」
画面の向こうの水野は驚いていた。
「説得して下さい。これまでの調査からするとオリジナルの美品はまず無理です。復刻で満足してもらわないと終わらないですよ」
「そうですね。とにかく話してみます。では」
「管理体は了承しました。復刻版を待つそうです」
日をまたいだ深夜、水野から連絡があった。
「良かった。あの手紙はまだですか」
「まだ届いていません。後は片倉さんですね。手紙の内容次第ですが、今のところこちらから迎えを出す予定です。変わった事はありませんか」
「いいえ。退屈です。あ、という事は浄水場の全権はそちらに移りましたか」
「ええ。当初の要求と違うとは言え、我々のこれまでの管理実績と捜索の努力を認めさせました。株価を見て下さい」
急上昇していた。
「おめでとうございます」
「片倉さんもおめでとう。後は売るタイミングだけですね」
「それは専門組織にまかせてありますから」
「迎えに行きます。今夜遅くに着きますので準備をお願いします」
日が昇ってすぐ、太った男からだった。
「手紙の内容は?」
「F50試をはじめ試作機関車の玩具や模型の美品につき、提供の用意あり。ただし『東陽坂組織連合』への引き渡しは不可。今後の協力関係について話し合いたい。ま、こんなところです」
「組織名は?」
「雪ん子の会」
片倉は笑った。男も笑いながら説明する。
「元は観光業者の組合だったので。東陽坂とほぼ同規模です。我々と同種の警備組織を取り込んでいます。あなたを引き抜こうとしているようですね。目的は水でしょう」
「今さら動いても遅すぎる」
「そうです。だから危険と言えます。遅れを取り戻すために少々強引な手を使うでしょう」
「頼りにしていいですか」
「もちろん。あなたは組織の人間ではありませんが、経緯から当然保護対象となります。ご安心を」
その夜、迎えが来た。外見は目立たない一般的な車だった。
「どうぞ」
太った男がドアを開けた。かなりの厚みがある。片倉が乗り込むまで体で覆いかぶさるようにしていた。
座ってシートベルトをつけるとすぐに発車した。運転席との間には透明な仕切りがある。座席には手紙が置いてあった。
「検査済みです。お返しします」
ざっと目を通したが今朝話したのと同じ内容だった。『雪ん子の会』のマークは判子で、土産物のまんじゅうに押してある焼き印のようなデザインだった。
窓の外は暗い。道路の照明はかなり間引かれている。関西から東海にかけての道路の管理は行き届いている部分の方が少なかった。関東あたりで一時良くなるが、それ以外はどこもあまり良くない。片倉は腹から足にかけて毛布をかけている。今のうちに寝ておこうとしたが、うとうとするたびに道に跳ね上げられて起こされていた。
男は数分のトイレ休憩を取るだけで運転し続けている。口を開かず、ずっと緊張感を漂わせており、声をかけづらかった。時々車間距離を縮めてくる車があるとかなり気にしていた。
「ご無事で。良かった」
水野が迎えに出ていた。そのまま集会所に行く。
「夕食は提供します。まずは休憩をどうぞ。それからすぐで申し訳ありませんが話はその時にしましょう」
疲れた目をしていた。
それから二時間ほど休憩と仮眠を取って食堂に行くと水野がカレーライスとサラダを用意していた。片倉を見るとスープをよそった。
「ここの自慢なんです」
そう言うと厨房から笑い声がした。
「辛口ですね」
大きな肉の塊が入っていたがスプーンで崩せるほどだった。
「肉は購入ですが、野菜は友好関係にある農業組織が育てたものです。汚水処理時の発酵熱を利用してます。こっちは熱と清潔な水と土地、あちらは収穫の一部、という具合にやってます」
水野が慣れた感じで説明した。
夕食が終わり、食器を片付けて茶のやかんを置くと厨房の者たちは帰っていった。
「今回の件では組織間の対立にあなたを巻き込みかけました。申し訳ありません」
水野が頭を下げた。
「いえ、よくある事なので。あまりお気になさらないで下さい。それよりよろしければその対立について経緯や現状をお聞かせ下さい」
水野は茶を飲み干すと、ほう、と息をついた。
「お恥ずかしい話なのですが、私が絡んでいます。『本家』とか『分家』とかいう言葉は分かりますか」
「辞書的な知識だけです」
「そうでしょうね。大分裂よりもずっと前、戦後すぐ生まれの人まででしょう。実感として理解できるのは。長い話になりますが?」
「結構です。F50試の調査で慣れました。人の口から語られる話。足でその場に行く事実関係の確認。手間はかかりますがいい経験でした」
「では、その経験にひとつ私も加えて頂きましょう」
やかんが減った中身に合わせて保温モードのレベルを切り替えた音がした。
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