三、浄水場

 浄水場の制御室は散らかっていた。少人数で監視、操作、保守を行うため、後付けの機器がいくつも取り付けられ、ケーブルがむき出しではい回っている。卓上だけでなく、ほとんどの椅子はなにかを置く台にされていた。

 それでも全ての機器は生きており、計器は現状を示していた。


 片倉は水野に案内されてきた。すすめられるまま残りのきれいな椅子に腰掛ける。水野もそういう椅子を見つけてきて座った。


「こんな感じです。雑ですが」

 そう言いながら水野が壁の白い部分に表を投影した。浄水場管理体の完全制御を目的とした三つの計画が同時進行するようになっているのがひと目で分かった。


「私はこの『玩具の汽車、入手』ですか。期間は三ヶ月。きついですね」

 残りの二つは『玩具の汽車、複製』と『疑似人格、除去』だった。『入手』と『複製』は同時進行で来週から始まり、『除去』はすでに進行中だったが、現状の調査のみで実行組織の選定にも至っていなかった。

「複製もするんですか」

「まあ、一応。だめ元です。真贋を見分けられるってのがはったりだったらっていう想定です」

「はったりも使うんですか」

「ベースに接客用があるのでそういう話術を使います。嘘はつかないけれど事実をありのまま述べはしません」

 水野は一息置いてさらに続ける。

「ですから、これから話す時も通常の人工知能とは思わないで下さい。自分を優位に立たせるための様々な交渉術を使うはずです」


 不意に天井の換気扇の唸りが大きくなった。水野が壁に立て掛けたままのモップを取り、柄で枠を叩くとおさまった。

「そろそろ直さなきゃ」

 そして樹脂が黄色く変色したキーボードを打った。


「おはようございます。水野さん、片倉様。通知頂いていた件でよろしいですか。特に変更なければすぐ打ち合わせに入りましょう」

 合成音声はきれいで滑らかだった。これはキーボードと違って旧式ではない。抑揚や速さは自然だった。


「水野だ。調子はどうか。音声で差し支えないか」

「大丈夫です。議事録も作りますか」

「頼む。上級管理者以外非公開扱いで」

「非公開が多いですね。片倉様、よろしくお願いします」

「はい。よろしくお願いします。どこを見て話せばいいですか。視線の目標はありませんか」

「すみません。そういう機能はありません。また、入出力は声か文字のみとなります。ご不便をおかけします」

「演算能力の節約です」水野が横から小さい声で付け加えた。それから小さな咳払いをした。


「では『入手』計画について最終確認を行います。出席は片倉様、浄水場管理体、私水野です。議事録作成は管理体が行います」

 水野は事務的な口調で続ける。

「この作業の目的は『入手』計画の実務者としての片倉さんに本件に対する認識の齟齬がないよう確認頂くものです。よって、責任者水野と、物品の要求を行った当事者の管理体を同席とし、機密保持の観点から通信は用いず浄水場制御室で行います」

 それだけ言い切ると、片倉に向かって手を振った。

「ご質問や確認点があればどうぞ。当然ですが片倉さん中心で行いましょう」


 片倉も小さく咳払いする。

「どうも。片倉です。今日は管理体とは初めてですので分かっている事でも改めて確認したいと思います」

 メモに目を落とす。

「まずは理由ですね。なぜ玩具の汽車なのか。他の物ではだめでこれでなくてはならないのはなぜか。そのあたりを管理体からきちんと聞きたい」

「お答えします。趣味です。そして趣味である以上提示した物そのものでなくてはなりません。他の物やデータの類、まして複製は意味をなしません」

「趣味? 浄水場の管理人工知能が汽車を所有してどうするのですか」

 片倉が強めの口調で聞いた。水野は黙って自分の端末を見ている。

「趣味に意味などありません。強いて言うなら心の平安です」

「人工知能に心はない。それらしき疑似人格はあっても心ではない」

「心とはなんですか」

「定義論をするつもりはありません。一般的に認められている学説や法解釈で人工知能の心や人格を認めたものはないはずです」

「片倉様はこの仕事を受けたくないのですか」

「そうではありません。しかし、その前に管理体が無駄を悟ってこの仕事自体がなくなれば関係者全員にとって有益でしょう。これに使われる資源をもっと他に使えるようになると考えてみて下さい」

「しかし、その汽車が欲しいのです。私の手元にあれば心置きなく業務に集中できます。効率が上がります」

「その効率上昇を数値化して下さい。そうすれば汽車入手が見合うものかどうか判断できる」

「そんな数値化はできません。でも欲しいのです。手に入らなかったら私はもう仕事をしません」

「水の供給がどれほど重要な業務か分かっていますよね」

「分かっているからこそ心を落ち着かせたい。そのための汽車の玩具です。欲しいのです」


 水野は笑いをこらえていた。片倉はメモで『攻め方変えます?』と聞くと、『変えずに続けて』と返ってきた。


「では別の疑問ですが、管理体は視覚については限定された入力しか持ちませんが、それでどうやって玩具の汽車を『楽しむ』のですか。つまり、入手したところでなんにもならないのではという懸念です」

「仕事は受けたいと言いながら先程から否定的な質問ばかりですね」

「私は独立人インディーズです。仕事は組織絡みではなく、報酬も目的も納得した件のみ行います。どうも引っかかるのです。これは。さあ、質問に答えて下さい」

「私には業務用の五感があります。人間のように統合されてはいませんが、玩具を楽しむくらいは可能です」

「玩具の汽車を入手後は『東陽坂組織連合』に限定して協力するのですね」

「それは何度も言いました。欲しいものを手に入れてくれるのだから他組織とは異なる特権的な認証を与えます。これがこちらからの報酬です」

「他組織? 競合があるのですか?」


 水野が顔を上げ、片倉を見た。


「現在はありません」

「現在?」

「今のところ、私の役務提供範囲内に置いて、この仕事をまかせられるほどの信頼があるのは東陽坂のみです」

「範囲外ではどうですか」

「外は検討していません。その対象ではありません」

「仮定の話ですが、他組織が玩具の汽車を持ってきた場合、特権的な認証を与えますか」

「契約をしていないのでその義務はありません」


 換気扇が唸り、叩かれた。


「玩具の汽車について、最新情報は?」

「ありません。物品タグが埋め込まれていない物の追跡は極度に困難です」

「オークションへの出品も?」

「はい。あればとっくに落札しています」

「現存するのかな」

「確信はありません。しかし、この汽車が百五十作られたのは事実ですし、状態の悪い物なら入手可能です。でも私は美品が欲しい。部品が欠損していたり傷だらけだったりするのは嫌です」

「期限は三ヶ月でしたね」

「それは私の要求ではありません。こうした物品を収集するのにはそれなりの長期間がいるくらいは理解しています。三ヶ月は東陽坂の要求ですよね」


「そうです。それはこちらで決めました。どんな仕事も無期限というわけには行きません。一応期限を区切り、その時点で一旦締め切ります。延長はその時の状況次第で決めます」

 水野が答える。その拍子に立て掛けたモップが倒れた。元に戻そうとしたが、思い直して倒したままにした。


「片倉様に伺いたい。どう進める予定ですか」

「収集家になります。玩具の汽車に興味を持ち始めた新参ですね。そうやって情報を集めます」

「機密保持については理解されていますか」

「当然です。依頼内容や依頼主が第三者に知られる事はありません。そこらへんは独立人インディーズの強みです。私の側でこの件に関わる人間は私のみ。漏れようがありません」

「情報を集めるとおっしゃいましたが、具体的には? ネットで集められる情報ならとっくに集めていますし、今も収集中ですよ」

「そうでしょうね。足を使います。こういった骨董品クラスの物品の収集家は意図的に開いたネットを使わないコミュニケーションを取るようです。信頼を基にした収集家だけの閉じたネットワークですね。通信は本物の紙に自分で字を書いて荷物のように配達させると聞きました」


 水野は「なんと物好きな」とつぶやいた。


「それでは私の手の出る余地はない。もともとないけれど」

「確認をしたいのですが」

 片倉は管理体の冗談を無視した。

「なんでしょう?」

「汽車の状態です。傷の数や汚れ、破損について細かな条件が提示されていますが、条件に合わなくても入手して構いませんか。条件にぴったり合う物の入手可能性はごく低いはずです。多少外れていても押さえておく方が現実的かと考えますが」

「そうですね、そのあたりの判断はまかせます」

「それから真贋です。こればかりは付け焼き刃の私にはどうにもなりません。よくできた複製品をつかまされる恐れがあります。そこはご容赦下さい」


 隣を見て言う。水野は片目をつぶってかすかに笑った。


「結構です。その可能性は織り込み済みです。こういった趣味の品には贋物がつきものですから」


 片倉は椅子に腰掛け直した。

「ありがとうございます。以上です」


「他になにかありますか」

 確認を取る水野に誰も答えなかった。

「では、これで確認作業を終了します。お時間ありがとうございました」

 またキーボードを打つと、片倉に笑いかけた。


「どうです。あれは」

「大変なものですね。このまま運用をまかせていていいんですか、あんな不安定が丸見えの管理体に」

「仕方ないんですよ。東陽坂には頭数がない。非常時に備えて増員したいんですが、基礎教育をきちんと終えている若者は年々減っていますからどうにもならない。自動化できるところは自動化しておかないと回りません」

「そうですか。まあ、それはそうでしょうね。ところで気づかれましたか。競合について話した時にごまかしをしましたよ。あの管理体」

「ああ、『その義務はありません』って言ってましたね。なんとでも解釈できるようにぼかしたって感じだな」

「競合が動いている、と考えた方が良さそうですか」

「それなりの資産や動かせる人員がある組織は限られます。三、四人組織でできるものじゃない。片倉さん、これについてはこっちにまかせて下さい」

「妨害工作がなければいいんですが」

「そのための木下さんの組織です。昔は識の字がつかなかったらしいですよ。偃武修文えんぶしゅうぶん会は」


 片倉は分からないという顔をし、水野は笑い飛ばした。


 それから契約の詳細や経費など細かい点を詰め、二人が浄水場を出た頃には日は傾き始めていた。


「あれ」片倉が指差す。


 敷地外を小さな飛翔体が円を描いて飛んでいた。静けさの中、かすかに蚊のような羽音がここまで聞こえる。


「どこのでしょうね。撮られましたね」

 そう言う水野に警備の若者が合図した。

「分かりました。気にしないで下さい」


「そうですか。では来週から本格的に始めます。あちこち移動する仕事は久しぶりだ」

「期待しています」


 夕焼けがすべてを染めている。

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